深い森の中、ぽっかりとあいた場所に、小さな湖があった。そのほとりに、ひとりの少女が立っている。

少女は湖を見下ろしていた。重い重い夜が少女の肩にのしかかって、今にも崩れそうな少女は、浅い呼吸を繰り返した。

遠くで火の爆ぜる音と、そっちに行くなと少女を呼ぶ声。少女はその全てを思考の隅に追いやった。

薄い青色の瞳を何度か瞬き、ゆっくりと瞳を閉じる。

「ねえ…いるんでしょう?」

小さな声で願うように呟いた。
瞬間、湿った風が吹き、肩上で切り揃えた少女の銀髪を撫でた。突如として訪れた静寂。心臓の音さえ聞こえないような、無。

そこに、ふと、何かが落ちた。その気配を、少女は知っている。
恐る恐る瞳を開けて、湖を見やる。少女の瞳が揺れ、悲しげな色をまとった。

先程まで感じていた気配を、少女はその目で確かめた。湖の上に、"それ"は浮かんでいた。黒いモヤに包まれた人間のような"それ"は、血界の悪魔や妖魔の類だった。

少女の前に現れた"それ"は、少女を懐かしむように微笑む。

「もういいの?」

その問いに、少女が答える。声が震えないよう細心の注意を払って、

「もういいの…。」

一歩進む。湖の上を、少女は歩いた。
何故か知らない、昔から"それ"が現れている時は、水の上を歩けていた。

夏の生暖かい水の上、足の裏には確かな水面の感触。進んだ。一歩、また一歩。

少女はツバを飲み込んだ。心臓の音がうるさい。吐きそうになりながらも、少しずつそれに近づていく。

少女には、守りたいものがあった。
自分の全てに代えてでも守りたいものが。

手を伸ばせば届くほど近づいた時、少女は自分が泣いている事に気づいた。
泣くというよりも、ただ雫が溢れていくような、そんな感覚。悲しいのか悲しくないのか、少女にはもうよく分からなかった。

少女はそれの眼を見た。見返された眼は妖麗な黄金。まっすぐにそれを見据えて言った。

「約束通り、私の半分あげる。そのかわり、貴方の半分をちょうだい」

"それ"が嬉しそうに微笑んだ瞬間、少女は黒いもやに呑まれた。

その晩、少女の村に雨が降り、
燃える家々を濡らした。

傷ついた村人を濡らして、
その傷を癒した。

傷つけた奴らを濡らして、
苦しめて殺した。

その雨は何かを惜しむように、
長く、弱く、ひと晩中続いた。


そして、それを境に、
少女を探す者はいなくなった。





魔法学書第3巻〜血界の掟〜

○血界の者との契約

前提として、自分の器にあった血界の者と
契約する事。

1、血を半分捧げる事。
2、代わりに相手の血を半分もらう事。

○契約を結んだ場合

人間の眼が契約したそれと同じ色をまとう事
(それの力を使った時のみ)

人間は驚異的な魔力を手にし、
血界の者は力の器を手に入れる事。

人間の方は寿命が極端に短くなるので、
生き延びるためには別の誰かの魂を
吸収する事。

○その他

血界の者に選ばれ、契約を
結んだ者は『エリュ』と呼ばれる。

また、近年ではエリュを滅ぼすため、
狩人によるエリュ狩りが行われる。

契約を結んだ者はくれぐれも気をつける事。