雨がコンクリートで弾かれる音が次第に強くなっていく。

アサガオでさえ雨に潰されそうになる。

穴の空いたビニール傘をさして新品のビニール傘を片手に抱えて。

「ヒカちゃん!ごめんおまたせ〜。」

私は傘を少しあげて顔を覗かせた。

「遅いよ、紘。9時って言ったじゃん。」

彼は髪を雨で濡らしたまま両手を合わせて謝った。

私は名瀬 日花里(なせ ひかり)高校2年。

彼は立花 紘(たちばな こう)高校1年。

濡れた髪をくしゃっとして新品の傘を渡した。

紘は髪の毛を直さずそのまま笑って傘をさした。

2人で家へと向かう。

「あのバイトやめようかなぁ。」

紘のふとした言葉に私は傘ごと振り向いた。

傘についた雫が紘の顔にかかってしまい、紘はその雫を拭いながら答えた。

「なんか…、時々親の事出されるからさ…。さすがにキツくて。」

泣きそうな目を隠すように傘を私の方へ傾けた。

なんと言ってあげれば正解なのかは誰だってわからない。

「そっか。」

冷たい言葉に聞こえるかもしれないが、同情も、励ましも、批判も紘が望んでいる訳では無いことを私は知っている。

まるで聞いてなかったかのように私は話を切り替えた。

そうしているうちに帰るべき家へとたどり着いた。

【児童養護施設】と書かれた看板。

ここが、私たちの帰るべき家だ。

いや、帰ることの許された家なんだ。

門限の10時まではあと5分で園長が不機嫌そうな顔をして玄関を通り過ぎた。

「…怒られなくて良かったね。」

紘は胸を撫で下ろしていた。

そうだねと私も靴を脱いで部屋へ向かう。

2回へ上がり、私の部屋から顔を覗かせていたのはルームメイトの佐伯 華澄(さえき かすみ)

「まぁ〜た紘のお迎え行ってたのぉ?」

華澄は美顔器を顔に当てながら膨れっ面した。

「傘、忘れて行ってたから。」

紘は華澄の視線にビクッと体を震わせて3階へこっそり上がって行った。

「ちょっと紘!!あんたいつまでヒカの弟気分なわけよ!!」

「華澄?!」

私は予想以上に怒る華澄に動揺した。

「こんのヘラヘラ男が!!」

華澄の口を抑えながら部屋にはいり扉を閉めた。

私は暴れる華澄をなんとか椅子に座らせた。

「どうしたの、今日!!」

華澄は鏡で抑えられた口を確かめながら答えた。

「逆にヒカがどうしたのよ。馬鹿になった?」

鏡をしまうと今度は携帯をもって長い爪を邪魔そうに扱う。

私は華澄の言葉に過去を思い返しながらも何も思い浮かばなかった。

「うちら高2だよ?高校卒業したら、ここも出るんだよ?そろそろ紘離れしなよ。」

華澄の言葉にその通りだと頷いてしまう自分が居た。
ごもっともな正論につい俯いてしまう。

「紘は親の事、完全にトラウマになってる。その穴埋めをしてたのがヒカだけどさ。もうあと一年半もすればヒカはいなくなるし、それからは紘も1人で-」

「分かってるよ!!」

自分でも驚くくらい大声で反論してしまった。

その事にまた驚いてしまう。

華澄も驚いた顔で立ち上がり扉を開けると周りを見渡してすぐに閉めた。

「園長きたらどうすんのよ!静かにしてよ!!」

華澄は私の顔を覗いてため息を着くとベッドへ体を預けた。

私はベランダへ出ると星のひとつさえ出ていない真っ暗な夜空を見上げて思い返した。

紘は4際の時にここへ来た。当時私は5歳で。

ちょうど私がここへ来てから1ヶ月たった頃だった。

どういう経緯でここへ来たのかは基本知られないがすぐに噂で全員へ渡る。

しかしそんな噂がまわる前にすぐにわかった。

紘がここへ来たのは両親の虐待だった。

愛された記憶をこれっぽっちも、ただの1つももっていなかった紘の目はこの夜空のように真っ暗だった。

ご飯も全く食べようとしない紘を見かね、私は真夜中におにぎりをつくって、中には唯一冷蔵庫にあった梅を入れて部屋へ持って行った。

すると紘の目が初めて少し輝いた気がした。

ほんの少しだったが紘はそのおにぎりを食べた。

この日をきっかけに私は毎日おにぎりをつくっては紘に食べさせた。

いつの日にか紘の声を聞いた。

いつの日にか紘の笑った顔を見た。

いつの日にか、紘は弟のようになった。


「でも、そろそろ離れなきゃなぁ。」