ナツナは卓上のノートとペンケースをリュックにしまい、建物を後にした。

「アカリ、バイト行ってくるね。」

ナツナはそういうと手を軽く振り、踵を返した。
アカリは笑顔でナツナを見送り建物の中へと戻っていった。

ミカヅキハウス、と書かれた建物の看板は錆びているせいか、建物まで古く感じさせてしまう、そんな印象があった。
ミカヅキハウスはシェアハウスとして運営されており、入居者はナツナとアカリの2人だけだ。繁華街から徒歩10分という良好なアクセスなのに入居者が増えないのは建物の看板がボロボロに錆びてるせいだろう、とナツナは勝手に思っている。

ナツナはふと、振り返りミカヅキハウスの屋上に目をやった。

「今日は三日月か・・・。」

三日月を見てると何だか心がしょっぱくなってくる。
子供の時、体験した苦い思い出のせいだ。
ナツナは視線を落とし、歩き始めた。

ーもう過ぎた事なのにいつまでも引きずるんだな。

ナツナはポケットからイヤフォンを取り出し耳を塞ぐようにして中へとねじ込んだ。

ーさ、今は忘れよう。

ナツナはキュンと痛む小さな心のささくれを無理やり隠すかのように音楽の音量を上げながら歩き、バイト先へと向った。


「ふぅ、今日も稼ぎますか。」
ナツナは冬という時期にもかかわらずTシャツに着替え、腰エプロンを巻き、ペイズリー柄の黄色いスカーフを頭に巻き、更衣室のロッカーを閉じた。

ナツナは高校を卒業してから半年、ミカヅキハウスから徒歩10分の場所にある繁華街の焼肉屋「牛どん」でアルバイトを始めた。
高校卒業したらすぐに働くという目標はあったナツナだが、正社員になってまで働こうとは思っていなかったので、とりあえず住んでいる所から近い場所で働こうと、今の場所で働き始めた。
牛どんというネーミングは牛丼じゃなくて牛とおいどんを掛け合わせたものらしい、とナツナは他のアルバイトから聞かされたがお金さえ稼げれば良かったので、他のことにはさほど関心は持てなかったのであった。

「おねーちゃん、タン塩!」

「生中おかわり!」

「はーい生中ね!タン塩は売り切れたよ!」

ホールに響き渡る客と店員の声。
賑やかな店内の中、ナツナはせわしく動き回る。
金曜日なので仕事終わりのサラリーマンたちが特に多い。

「ふぅー。」

ナツナは聞こえないようため息をつきながらビールを運ぶ。
そして厨房へと戻り注文品を受け取る。
週に5日はその繰り返しだ。


「あー、終わった。」
時計の針が0時をまたぐかまたがないかの時間だった。

「ナツさんお疲れでーす。」

アルバイトたちがナツナに挨拶をして帰る。
ナツナは牛どんの中で一番働くスタッフとして一目を置かれようとしていた。

「お疲れ様です!」
ナツナは丁寧に挨拶を返し、牛どんの建物を後にし、ミカヅキハウスへと帰路を急いだ。