夕陽に染まった恋

雨が窓を打つ音が響く。


うっすら目を開ければ、保健室の天井でも自室の天井でもない天井が目に入った。


(ここ、)


視線を巡らせれば病院であることが分かる。

今となっては見慣れた、橘診療所だ。


ついうっかり、保健室であのまま寝た私は、いつの間にか、ここに移動させられ、診察室の奥のベッドに寝かされてたらしい。


(わざわざ本当、申し訳ない)


カーテンが引かれ、診察室の様子は見えないが、人の声がいくつも聞こえる。

まだ、診察の時間なのだろう。


起きたことを伝えた方が良いのだろうが、忙しい空気が伝わってくる中、声をかけるのは憚れる。


それに、まだ熱が引かない体は、休息が欲しいと訴えている。


私は、素直に再び、目を閉じた。
















冷たい手が、額に触れ、そして頬を撫でた。

それに私は、ゆっくり目を開く。


「……の、り、ちゃ」


喉がカラカラで、上手く声が出ない。


「おはよう」


雅徳君は近い距離で、私の顔を覗き込んでたようだ。


すぐそこに、彼の綺麗な顔が目の前にある。


しかしすぐに、それは離れてしまった。



「水を持ってくる」



そう言って、数分。

雅徳君は、ミネラルウォーターのペットボトルを持って、戻って来た。


「…飲めるか?」

「大丈夫」


体を起こして、差し出されたキャップを開けたペットボトルを受け取る。


「ありがとう」


常温の水が喉を潤す。


口を離して雅徳君を見上げれば、手を差し出された。
私は飲みかけのペットボトルを渡す。
雅徳君はキャップを閉めた。


「ねぇ、私…」

「もうすぐ19時になる。熱は下がったようだな。二三代さんには電話してある。明日は一応、学校は休め」

「……運んで、くれたの」

「ああ。意識のない人間としては軽すぎだ。もっと太らなきゃ、体力はつかんぞ」

「あー、うん。ごめん、ありがとう」


重いって言われなくて良かった。

でも、迷惑かけて、ごめんね。

私がもっと、元気だったら。


熱が下がったとはいえ、体調が万全という訳ではない。
具合の悪さに引き摺られて、考えがネガティブになる。

梅雨、ってのもあるのかな。

なんか、雨ってテンション下がる。


「どうした?」

「何でもないよ。本当、ごめんね」


俯いた私に、雅徳君は眉間にぐっ、と皺を寄せた。


「おい」

雅徳君は怖い顔で、私を呼ぶ。

「なに…?」

「……お前。なに考えてる」


質問の意図が分からず、私は首を傾げる。

さらに凶悪な顔になった雅徳君は、一歩私のベッドに距離を詰めた。

美人が怒ると本当、怖い。

そんな、ことをぼんやり思う。


「暗い顔してんじゃねーよ」


「へ?」


いつになく、乱暴な言葉遣い。


「くだらない事、考えてんだろ」


「くだらない…?」


今度は、私の機嫌が悪くなる番だった。

私の身勝手な自己嫌悪を、彼にとやかく言う資格があるのか。

私の心に踏み込む権利があると?

私は、貴方にとって、ただの患者でしょう。


これ以上、優しくしないで──────


「くだらない、って、なに? 私の考えに口を出す権利が、貴方にあると?」


「ひいろ…?」


「貴方は確かに、私のかかりつけ医です。
私の体調に関して口を出すことはあるでしょう。それに今まで散々私は、貴方に迷惑をかけてきた。

ただの患者、と言うには過分な扱いをして頂いた身で、この様なことを言うのは大変心苦しいですが、私はただのこの診療所の患者で貴方はただの医師の1人に過ぎません。

私の心の内まで、とやかく言う程の関係ではありませんわ、先生。
勿論、今まで立場を顧みず、貴方に馴れ馴れしくしてた私に非がないとは決して言いません。申し訳ありませんでした」


(ああ、もう、さよなら私の初恋。もうどうにでもなれ)


雅徳君は私の言葉を遮らず、腕を組んで最後まで聞いていた。


そして、


「……で?」

「は?」

「お前。なにがあったの」


「はぁ!?」


空気は少し軽くなったような気がする。

雅徳君も、さっきまで醸し出してた怖い感じはなくなった。


私は、言い過ぎたと反省する間もなく、雅徳君の言葉に混乱する。


「お前さ、一色。こっち来てからずっとだけど。俺と距離を詰めようとしようとしたと思ったら、距離を置こうとしたり、他人行儀になったり。どっちなんだよ」


「え?あ、」


「確かにな。才崎一色はウチの患者だな。けど、俺にとって一色はただの患者じゃない。だから、気にするな。俺はお前を特別扱いする。……特別、だからな。だから、お前が気に病むことはない。堂々と甘えてろ」


「意味が、分かりません」


だって、そうだ。


なんて、支離滅裂。


「言うつもりなかった。俺もそれなりに動揺してる。何を言いたいのか、よく分かんなくなっちまった」


雅徳君は苦笑して、ベッドの端に腰かけた。


「昔話だ。あの時、俺は迷ってた。医者に、親父の跡を継ぐかどうか」

「……え?」

それは、つまり。

私を“特別”と言う、話の流れからして。

(私と初めて出会った当時の話──?)

雅徳君は、私の心の中の疑問に答えるように、軽く微笑んだ。

「そう。お前と会った時、俺は高校3年。いい加減、進学先を決めなきゃいけない時だった。あの日も、先生に呼び出された帰りだった」

「……」

「お前がさ。俺が手当てした後、スゲー笑顔で『ありがとう』って、言ったじゃん?」

にっこり笑った雅徳君は、私の頭をそっと撫でる。

「あん時、決めた。あ、俺、医者になろうって。だから、一色は“特別”。挫けそうになる時、いつも一色の笑顔を思い出してた。あの時のあの子みたいに患者さんを笑顔にしたい、って嫌な事があった時とか気持ち切り替えてた」

「そう、なの」

なんだか、恥ずかしくなって俯いてしまう。


でも、そっか。

だったら、私は。

これから、頑張ろう。

今度は、私に恋してもらえるように─────


「ありがとう、一色。あの時、俺の背中を押してくれて」


顔を上げれば、とても優しい顔で私に微笑む雅徳君と目が合う。


(ああ、私は、)


そんな彼に、私は2度目の恋をした。


「雅徳君」


面と向かって、ちゃんと名前を呼んだのは多分、初めてだ。

それに雅徳君が驚きで、目を見開く。


「私もね、雅徳君を特別に思ってる」


「一色?」


「雅徳君に会いに、この町に来た」


「え?」


「あなたの特別になりたくて。あなたの隣を歩ける人になりたくて。……近づきたくて」


だから。


「でも、やっぱり諦めなきゃって何度も思った。私はただの患者だし…。だから距離をとらなきゃって。それに、のりちゃんにとって私って何なんだろうって、悩んでたしね」


けどね。


「もう、諦めるのは、やめにする。私、のりちゃんが好きだから」


「っ!?」


私の、遂に、面と向かって言った「好き」という言葉に、雅徳君は明らかに動揺した。


「これから、全力で口説くから。覚悟してよね」


茶化すように、にやり、と口角を上げた私に、落ち着きを取り戻したらしい雅徳君は少し乱暴に私の頭をくしゃくしゃと撫でた。


「その前に、お前は風邪を治せ!」

「分かってるよー!」

「はいはい。準備して来るから待ってろ。送るから」

そう早口で言いきった雅徳君は、座ったままだったベッドから立ち上がって、足早に診察室を出た。


「…………」


そして、1人残された私は、


「言っ、ちゃった」


ポスリと体をシーツに沈めた。


「私、のりちゃんに、好きって…。しかも口説くからとか!?」


掛け布団を頭から被り、今更全身を駆け巡る羞恥心に、あー、と無意味に声を押し殺す。


(どーしよー!いつかは言うつもりだったし、後悔しない為にここまで来たからには口説く気でいたけど!)


「…だって、」


正直に、語ってくれた彼に、私も私の気持ちを伝えたかったんだ。


「だから、これで、良い」


時間は巻き戻らない。


これからは、遠慮なく“好き”をぶつけよう。


火照る頬に触れながら、私はため息を吐いて、そう決めるのだった。