才崎 一色(サイザキ ヒイロ)
高校1年生
初恋を追いかけて、田舎のおばあちゃん家に引っ越しました。
*
高校の3年間を、自由にして良いと両親から承諾をもらった私は、おばあちゃんの田舎の高校を受験した。
東京の、初等部から大学まである私立の学園に在籍していた私。
親を説得するのは簡単じゃなかったけど、どうしても後悔したくなかった。
私は小学1年生の夏に落ちた恋を、時間の経過だけじゃ、終わらせられなかった。
ずっと、ずっと、彼が私の心にいた。
だから、会いに来たのだ。
彼がこの町で、親の診療所を継ぐことをおばあちゃん情報で知っていた。
あの日、私を送ってくれた雅徳君は、律儀におばあちゃんにも挨拶してくれた。
そして、彼が帰ってすぐ、私はおばあちゃんに宣言したのだ。
『私、大きくなったらね、のりちゃんのお嫁さんになる!』
以来、おばあちゃんは私に雅徳君の情報をくれる。
(だから、)
私は、この3年間を懸けて、初恋にぶつかることを決めたんだ。
*
「才崎さん、診察室へお入り下さい」
看護師さんに名前を呼ばれ、診察室へ入る。
「のりちゃん先生!」
私の大好きな人が、座ったまま、社交辞令でニコリと微笑んで、立ったままの私を見上げた。
「…はい、いらっしゃい。才崎さん。採血だから、看護師さんに従ってね」
「はーい!」
実は私。
元々、虚弱体質である。
なので、雅徳君に会いに遊びにではなく、 普通に診療所の世話になっている。
今日は貧血の検査の為の採血の日だ。
先日、私は体育の授業中に立ち眩みを起こし、早退した。
私にとっては、割りと日常のことだったが、あまりにも保健の先生が心配するので、改めて貧血の検査をすることにしたのだ。
腕にゴムが巻かれ血管に注射器を当てられる。
「チクッとしますよー」
この看護師のお姉さんは、雅徳君の幼なじみらしい。はっきりとした顔立ちの、美人さんだ。
名前は、栗山美紀さん。
ちなみに、結婚されてる人だ。
小さなこの診療所は、雅徳君と雅徳君のお父さん、看護師の栗山さん、それから昔からいるおばさん看護師さん3人と、医療事務のお姉さんの7人で成り立ってる。
「はい。オッケーです。来週には結果が出てるから、予約入れても良いかな?」
「お願いします」
「じゃあ、来週の土曜日、12時30分ね」
土曜日は午前だけ開いている。
12時30分は最終受付時間だ。
「…ごめんなさい、ありがとうございます」
「良いのよー!」
朝早く起きるのが苦手な私は、どうしても土日は昼まで寝てしまう。
「はい。じゃあ、先生の診察です」
栗山さんの案内で、雅徳君の前の丸椅子に座った。
「……立ち眩み、でしたか」
「うん」
「はい、じゃあ、あっかんべー」
「べー」
舌は出さない。
私は両目の下瞼を引き下げた。
「いいですよ、もう」
「ん」
「まぁ、血液検査の結果は来週。ですが、貧血ではあるでしょう」
雅徳君は、私のこれまでのカルテをパソコンで確認する。
私の今までのかかりつけ医から引き継いだデータである。
私は元から貧血体質だ。
「すぐに改善されてるとは思えない。特に治療は今までして来なかったのか」
ため息をついた雅徳君の口調が砕ける。
こちらが彼の素だ。
「うん。漢方とか食事療法はやってたけど。漢方は体に合わなかったし」
サプリメントや増血剤は使ってなかった。
その類いは、漢方以上に私の体質に合わない。
「そうか」
「立ち眩みは、貧血が直接の原因ではないんじゃないかと思う。多分、あの時ペース配分を考えないで走ったからだし」
「……そうか」
「自分の体だからね。分かるよ。もう何年もこの体と付き合ってるんだもん」
適切な睡眠とバランスのとれた食事、ストレスを溜めない生活。
「大丈夫。分かってる」
必要最低限の体のメンテナンス。
サボれば倒れるのは、身に染みて分かってる。
自業自得なんだ。倒れるのは。
だから。そんな痛そうな顔、しないでよ。
橘 雅徳先生
この町の小さな診療所を今年、親から継いだばかりの駆け出しのドクター。
白衣と眼鏡の似合う、美青年。
再会は、引っ越し早々、熱を出した私が、この橘診療所に駆け込んだから。
診療所に到着してすぐ、意識が遠退いた私に、どれ程焦ったことか。
目を覚ませば、腕には点滴が繋がっていた。
「…起きたか」
「……のりちゃん──?」
私の発言に、顔を覗きこんでた雅徳君の目が驚愕で見開かれた。
「お前、ひいろ?」
よく覚えてたな。
私は、高校生の雅徳君しか知らなかったとはいえ、ずっと、ずっと、想ってた人だ。
きっと、こんな風に成長してる。
そんな妄想をしてた私にとって目の前の彼を、“彼”だと認識するのは、そう難しいことではなかった。
「俺をそう呼ぶのは、1人しかいない。なぜこの町にいる?」
眉間に皺を寄せ、難しい顔をする雅徳君。
雅徳君を呼ぶ時は、“のりちゃん”でなるべく統一しようと、朦朧とする頭で決心した。
脳内では“雅徳君”呼びが定着してるが。
「こーこー」
「高校?」
「ん」
「こっちに進学したのか。にしても、また何でこんな田舎町に…」
あなたがいるからだよ。
熱は下がりきっていないのだろう。
クラクラとする意識の中、私は再び目を閉じた。
「お休み、ひいろ」
雅徳君の、私の額を撫でた冷たい体温を、私はしっかり覚えてる。
「おい。どうした?」
「あっ、ごめん。のりちゃん先生。ちょっとボーとしちゃった」
「……今日の診察は、お前で終わりだ」
今日は土曜日。午後の診察はお休みの日だ。
「あ、うん 」
「送るから、待合室で待ってろ」
「え!?本当に大丈夫だよ!」
「はいはい。会計して待ってろ」
「…はーい」
私は抵抗するのを早々に諦め、素直に返事を返して、診察室の丸椅子から立ち上がった。
待合室に向かう。
診察は私で終わりでも、まだ仕事は終わらないはずなのに、雅徳君は私をよく家まで送ってくれる。
勿論、毎回ではないが、私の体調を診て判断してるようだ。
……迷惑を、かけたい訳じゃないのに。
出会った時から、そうだ。
受付で会計を済ませ、待合室の椅子に座って、雅徳君を待っている間、おばあちゃんに雅徳君に送ってもらう旨を伝える。
私のおばあちゃんは、スマホを使いこなすおばあちゃんだ。
おばあちゃんから、雅徳君のお昼も用意すると返信が来たところで、雅徳君が待合室に顔を出した。
「一色。行くぞ」
「うん」
雅徳君は、診察の時以外は、私を名前で呼ぶ。
理由は、知らない。
そして、診察の時はなるべく丁寧な口調で話すようにしてるようだ。
「のりちゃん先生、おばあちゃんがお昼食べて行って、だって」
「じゃあ、邪魔をする。二三代(フミヨ)さんのメシは美味い」
二三代さんとは、私のおばあちゃんだ。
おばあちゃんは、おじいちゃんが亡くなってからずっと、1人でこの田舎町で暮らしてる。
おばあちゃん家は、診療所から車で5分の距離だ。
ちなみに、私が通ってる高校は、自転車で20分。雅徳君の母校でもある。
雅徳君は高校卒業後、東京の医大を出て、研修医として経験を積んでから、この町に戻って来たそうだ。
雅徳君のお父さんは、まだまだ現役ではあるが、院長の役職を雅徳君に引き継ぎ、ほとんどの診察を息子に任せてる。
早く引退して奥様と旅行に行きたい、って仰ってた。
「ほら、着いたぞ」
雅徳君と一緒の5分は、本当にあっという間だ。
「ありがとう。のりちゃん先生」
「また、ボーとしてた。眠いか?」
シートベルトを外して、雅徳君は右手を私の首に伸ばした。
「……脈は、正常。だな」
「だから、大丈夫だって」
へらっ、と笑った私に雅徳君は顔をしかめる。
そんな雅徳君の表情に、気付かないフリをして、私はにっこり笑った。
「さぁ、橘先生。おばあちゃんが、お昼を用意して待ってますよ」
「……そうだな」
「今日も、送ってくれて、ありがとうございました」
「いや、気にするな」
たまに私が使う他人行儀な敬語に、余計、不機嫌そうになった彼は、私のシートベルトを外す。
「降りろ」
「はーい」
初めて会った時が子供だったからか、それとも、11歳も年下の高校生の私は、やはりまだ彼にとって子供だからなのか。私が子供らしくない事をするのを、雅徳君は嫌う。
(私は、)
対等になりたい、だなんて。
高望みだって、分かってる。
けど。
彼の隣を歩ける人に、なりたい。
彼に引っ張ってもらうんでも、背負ってもらうんでもなく。
隣を一緒に歩けるパートナーに、私はなりたいんだよ、のりちゃん。
高校1年生
初恋を追いかけて、田舎のおばあちゃん家に引っ越しました。
*
高校の3年間を、自由にして良いと両親から承諾をもらった私は、おばあちゃんの田舎の高校を受験した。
東京の、初等部から大学まである私立の学園に在籍していた私。
親を説得するのは簡単じゃなかったけど、どうしても後悔したくなかった。
私は小学1年生の夏に落ちた恋を、時間の経過だけじゃ、終わらせられなかった。
ずっと、ずっと、彼が私の心にいた。
だから、会いに来たのだ。
彼がこの町で、親の診療所を継ぐことをおばあちゃん情報で知っていた。
あの日、私を送ってくれた雅徳君は、律儀におばあちゃんにも挨拶してくれた。
そして、彼が帰ってすぐ、私はおばあちゃんに宣言したのだ。
『私、大きくなったらね、のりちゃんのお嫁さんになる!』
以来、おばあちゃんは私に雅徳君の情報をくれる。
(だから、)
私は、この3年間を懸けて、初恋にぶつかることを決めたんだ。
*
「才崎さん、診察室へお入り下さい」
看護師さんに名前を呼ばれ、診察室へ入る。
「のりちゃん先生!」
私の大好きな人が、座ったまま、社交辞令でニコリと微笑んで、立ったままの私を見上げた。
「…はい、いらっしゃい。才崎さん。採血だから、看護師さんに従ってね」
「はーい!」
実は私。
元々、虚弱体質である。
なので、雅徳君に会いに遊びにではなく、 普通に診療所の世話になっている。
今日は貧血の検査の為の採血の日だ。
先日、私は体育の授業中に立ち眩みを起こし、早退した。
私にとっては、割りと日常のことだったが、あまりにも保健の先生が心配するので、改めて貧血の検査をすることにしたのだ。
腕にゴムが巻かれ血管に注射器を当てられる。
「チクッとしますよー」
この看護師のお姉さんは、雅徳君の幼なじみらしい。はっきりとした顔立ちの、美人さんだ。
名前は、栗山美紀さん。
ちなみに、結婚されてる人だ。
小さなこの診療所は、雅徳君と雅徳君のお父さん、看護師の栗山さん、それから昔からいるおばさん看護師さん3人と、医療事務のお姉さんの7人で成り立ってる。
「はい。オッケーです。来週には結果が出てるから、予約入れても良いかな?」
「お願いします」
「じゃあ、来週の土曜日、12時30分ね」
土曜日は午前だけ開いている。
12時30分は最終受付時間だ。
「…ごめんなさい、ありがとうございます」
「良いのよー!」
朝早く起きるのが苦手な私は、どうしても土日は昼まで寝てしまう。
「はい。じゃあ、先生の診察です」
栗山さんの案内で、雅徳君の前の丸椅子に座った。
「……立ち眩み、でしたか」
「うん」
「はい、じゃあ、あっかんべー」
「べー」
舌は出さない。
私は両目の下瞼を引き下げた。
「いいですよ、もう」
「ん」
「まぁ、血液検査の結果は来週。ですが、貧血ではあるでしょう」
雅徳君は、私のこれまでのカルテをパソコンで確認する。
私の今までのかかりつけ医から引き継いだデータである。
私は元から貧血体質だ。
「すぐに改善されてるとは思えない。特に治療は今までして来なかったのか」
ため息をついた雅徳君の口調が砕ける。
こちらが彼の素だ。
「うん。漢方とか食事療法はやってたけど。漢方は体に合わなかったし」
サプリメントや増血剤は使ってなかった。
その類いは、漢方以上に私の体質に合わない。
「そうか」
「立ち眩みは、貧血が直接の原因ではないんじゃないかと思う。多分、あの時ペース配分を考えないで走ったからだし」
「……そうか」
「自分の体だからね。分かるよ。もう何年もこの体と付き合ってるんだもん」
適切な睡眠とバランスのとれた食事、ストレスを溜めない生活。
「大丈夫。分かってる」
必要最低限の体のメンテナンス。
サボれば倒れるのは、身に染みて分かってる。
自業自得なんだ。倒れるのは。
だから。そんな痛そうな顔、しないでよ。
橘 雅徳先生
この町の小さな診療所を今年、親から継いだばかりの駆け出しのドクター。
白衣と眼鏡の似合う、美青年。
再会は、引っ越し早々、熱を出した私が、この橘診療所に駆け込んだから。
診療所に到着してすぐ、意識が遠退いた私に、どれ程焦ったことか。
目を覚ませば、腕には点滴が繋がっていた。
「…起きたか」
「……のりちゃん──?」
私の発言に、顔を覗きこんでた雅徳君の目が驚愕で見開かれた。
「お前、ひいろ?」
よく覚えてたな。
私は、高校生の雅徳君しか知らなかったとはいえ、ずっと、ずっと、想ってた人だ。
きっと、こんな風に成長してる。
そんな妄想をしてた私にとって目の前の彼を、“彼”だと認識するのは、そう難しいことではなかった。
「俺をそう呼ぶのは、1人しかいない。なぜこの町にいる?」
眉間に皺を寄せ、難しい顔をする雅徳君。
雅徳君を呼ぶ時は、“のりちゃん”でなるべく統一しようと、朦朧とする頭で決心した。
脳内では“雅徳君”呼びが定着してるが。
「こーこー」
「高校?」
「ん」
「こっちに進学したのか。にしても、また何でこんな田舎町に…」
あなたがいるからだよ。
熱は下がりきっていないのだろう。
クラクラとする意識の中、私は再び目を閉じた。
「お休み、ひいろ」
雅徳君の、私の額を撫でた冷たい体温を、私はしっかり覚えてる。
「おい。どうした?」
「あっ、ごめん。のりちゃん先生。ちょっとボーとしちゃった」
「……今日の診察は、お前で終わりだ」
今日は土曜日。午後の診察はお休みの日だ。
「あ、うん 」
「送るから、待合室で待ってろ」
「え!?本当に大丈夫だよ!」
「はいはい。会計して待ってろ」
「…はーい」
私は抵抗するのを早々に諦め、素直に返事を返して、診察室の丸椅子から立ち上がった。
待合室に向かう。
診察は私で終わりでも、まだ仕事は終わらないはずなのに、雅徳君は私をよく家まで送ってくれる。
勿論、毎回ではないが、私の体調を診て判断してるようだ。
……迷惑を、かけたい訳じゃないのに。
出会った時から、そうだ。
受付で会計を済ませ、待合室の椅子に座って、雅徳君を待っている間、おばあちゃんに雅徳君に送ってもらう旨を伝える。
私のおばあちゃんは、スマホを使いこなすおばあちゃんだ。
おばあちゃんから、雅徳君のお昼も用意すると返信が来たところで、雅徳君が待合室に顔を出した。
「一色。行くぞ」
「うん」
雅徳君は、診察の時以外は、私を名前で呼ぶ。
理由は、知らない。
そして、診察の時はなるべく丁寧な口調で話すようにしてるようだ。
「のりちゃん先生、おばあちゃんがお昼食べて行って、だって」
「じゃあ、邪魔をする。二三代(フミヨ)さんのメシは美味い」
二三代さんとは、私のおばあちゃんだ。
おばあちゃんは、おじいちゃんが亡くなってからずっと、1人でこの田舎町で暮らしてる。
おばあちゃん家は、診療所から車で5分の距離だ。
ちなみに、私が通ってる高校は、自転車で20分。雅徳君の母校でもある。
雅徳君は高校卒業後、東京の医大を出て、研修医として経験を積んでから、この町に戻って来たそうだ。
雅徳君のお父さんは、まだまだ現役ではあるが、院長の役職を雅徳君に引き継ぎ、ほとんどの診察を息子に任せてる。
早く引退して奥様と旅行に行きたい、って仰ってた。
「ほら、着いたぞ」
雅徳君と一緒の5分は、本当にあっという間だ。
「ありがとう。のりちゃん先生」
「また、ボーとしてた。眠いか?」
シートベルトを外して、雅徳君は右手を私の首に伸ばした。
「……脈は、正常。だな」
「だから、大丈夫だって」
へらっ、と笑った私に雅徳君は顔をしかめる。
そんな雅徳君の表情に、気付かないフリをして、私はにっこり笑った。
「さぁ、橘先生。おばあちゃんが、お昼を用意して待ってますよ」
「……そうだな」
「今日も、送ってくれて、ありがとうございました」
「いや、気にするな」
たまに私が使う他人行儀な敬語に、余計、不機嫌そうになった彼は、私のシートベルトを外す。
「降りろ」
「はーい」
初めて会った時が子供だったからか、それとも、11歳も年下の高校生の私は、やはりまだ彼にとって子供だからなのか。私が子供らしくない事をするのを、雅徳君は嫌う。
(私は、)
対等になりたい、だなんて。
高望みだって、分かってる。
けど。
彼の隣を歩ける人に、なりたい。
彼に引っ張ってもらうんでも、背負ってもらうんでもなく。
隣を一緒に歩けるパートナーに、私はなりたいんだよ、のりちゃん。