才崎 一色(サイザキ ヒイロ)

高校1年生

初恋を追いかけて、田舎のおばあちゃん家に引っ越しました。


















高校の3年間を、自由にして良いと両親から承諾をもらった私は、おばあちゃんの田舎の高校を受験した。

東京の、初等部から大学まである私立の学園に在籍していた私。

親を説得するのは簡単じゃなかったけど、どうしても後悔したくなかった。

私は小学1年生の夏に落ちた恋を、時間の経過だけじゃ、終わらせられなかった。

ずっと、ずっと、彼が私の心にいた。

だから、会いに来たのだ。

彼がこの町で、親の診療所を継ぐことをおばあちゃん情報で知っていた。

あの日、私を送ってくれた雅徳君は、律儀におばあちゃんにも挨拶してくれた。

そして、彼が帰ってすぐ、私はおばあちゃんに宣言したのだ。

『私、大きくなったらね、のりちゃんのお嫁さんになる!』

以来、おばあちゃんは私に雅徳君の情報をくれる。


(だから、)


私は、この3年間を懸けて、初恋にぶつかることを決めたんだ。

















「才崎さん、診察室へお入り下さい」

看護師さんに名前を呼ばれ、診察室へ入る。

「のりちゃん先生!」

私の大好きな人が、座ったまま、社交辞令でニコリと微笑んで、立ったままの私を見上げた。

「…はい、いらっしゃい。才崎さん。採血だから、看護師さんに従ってね」

「はーい!」


実は私。

元々、虚弱体質である。

なので、雅徳君に会いに遊びにではなく、 普通に診療所の世話になっている。

今日は貧血の検査の為の採血の日だ。

先日、私は体育の授業中に立ち眩みを起こし、早退した。

私にとっては、割りと日常のことだったが、あまりにも保健の先生が心配するので、改めて貧血の検査をすることにしたのだ。


腕にゴムが巻かれ血管に注射器を当てられる。


「チクッとしますよー」


この看護師のお姉さんは、雅徳君の幼なじみらしい。はっきりとした顔立ちの、美人さんだ。

名前は、栗山美紀さん。

ちなみに、結婚されてる人だ。


小さなこの診療所は、雅徳君と雅徳君のお父さん、看護師の栗山さん、それから昔からいるおばさん看護師さん3人と、医療事務のお姉さんの7人で成り立ってる。


「はい。オッケーです。来週には結果が出てるから、予約入れても良いかな?」

「お願いします」

「じゃあ、来週の土曜日、12時30分ね」


土曜日は午前だけ開いている。
12時30分は最終受付時間だ。


「…ごめんなさい、ありがとうございます」

「良いのよー!」


朝早く起きるのが苦手な私は、どうしても土日は昼まで寝てしまう。

「はい。じゃあ、先生の診察です」

栗山さんの案内で、雅徳君の前の丸椅子に座った。

「……立ち眩み、でしたか」

「うん」

「はい、じゃあ、あっかんべー」

「べー」

舌は出さない。

私は両目の下瞼を引き下げた。

「いいですよ、もう」

「ん」

「まぁ、血液検査の結果は来週。ですが、貧血ではあるでしょう」


雅徳君は、私のこれまでのカルテをパソコンで確認する。

私の今までのかかりつけ医から引き継いだデータである。

私は元から貧血体質だ。


「すぐに改善されてるとは思えない。特に治療は今までして来なかったのか」


ため息をついた雅徳君の口調が砕ける。
こちらが彼の素だ。

「うん。漢方とか食事療法はやってたけど。漢方は体に合わなかったし」

サプリメントや増血剤は使ってなかった。
その類いは、漢方以上に私の体質に合わない。

「そうか」

「立ち眩みは、貧血が直接の原因ではないんじゃないかと思う。多分、あの時ペース配分を考えないで走ったからだし」

「……そうか」

「自分の体だからね。分かるよ。もう何年もこの体と付き合ってるんだもん」

適切な睡眠とバランスのとれた食事、ストレスを溜めない生活。

「大丈夫。分かってる」

必要最低限の体のメンテナンス。

サボれば倒れるのは、身に染みて分かってる。
自業自得なんだ。倒れるのは。

だから。そんな痛そうな顔、しないでよ。



橘 雅徳先生

この町の小さな診療所を今年、親から継いだばかりの駆け出しのドクター。

白衣と眼鏡の似合う、美青年。

再会は、引っ越し早々、熱を出した私が、この橘診療所に駆け込んだから。

診療所に到着してすぐ、意識が遠退いた私に、どれ程焦ったことか。

目を覚ませば、腕には点滴が繋がっていた。

「…起きたか」

「……のりちゃん──?」

私の発言に、顔を覗きこんでた雅徳君の目が驚愕で見開かれた。

「お前、ひいろ?」

よく覚えてたな。

私は、高校生の雅徳君しか知らなかったとはいえ、ずっと、ずっと、想ってた人だ。

きっと、こんな風に成長してる。

そんな妄想をしてた私にとって目の前の彼を、“彼”だと認識するのは、そう難しいことではなかった。

「俺をそう呼ぶのは、1人しかいない。なぜこの町にいる?」

眉間に皺を寄せ、難しい顔をする雅徳君。

雅徳君を呼ぶ時は、“のりちゃん”でなるべく統一しようと、朦朧とする頭で決心した。

脳内では“雅徳君”呼びが定着してるが。

「こーこー」

「高校?」

「ん」

「こっちに進学したのか。にしても、また何でこんな田舎町に…」

あなたがいるからだよ。

熱は下がりきっていないのだろう。

クラクラとする意識の中、私は再び目を閉じた。

「お休み、ひいろ」

雅徳君の、私の額を撫でた冷たい体温を、私はしっかり覚えてる。









「おい。どうした?」

「あっ、ごめん。のりちゃん先生。ちょっとボーとしちゃった」

「……今日の診察は、お前で終わりだ」

今日は土曜日。午後の診察はお休みの日だ。

「あ、うん 」

「送るから、待合室で待ってろ」

「え!?本当に大丈夫だよ!」

「はいはい。会計して待ってろ」

「…はーい」

私は抵抗するのを早々に諦め、素直に返事を返して、診察室の丸椅子から立ち上がった。

待合室に向かう。

診察は私で終わりでも、まだ仕事は終わらないはずなのに、雅徳君は私をよく家まで送ってくれる。

勿論、毎回ではないが、私の体調を診て判断してるようだ。

……迷惑を、かけたい訳じゃないのに。

出会った時から、そうだ。

受付で会計を済ませ、待合室の椅子に座って、雅徳君を待っている間、おばあちゃんに雅徳君に送ってもらう旨を伝える。

私のおばあちゃんは、スマホを使いこなすおばあちゃんだ。

おばあちゃんから、雅徳君のお昼も用意すると返信が来たところで、雅徳君が待合室に顔を出した。


「一色。行くぞ」

「うん」

雅徳君は、診察の時以外は、私を名前で呼ぶ。
理由は、知らない。

そして、診察の時はなるべく丁寧な口調で話すようにしてるようだ。

「のりちゃん先生、おばあちゃんがお昼食べて行って、だって」

「じゃあ、邪魔をする。二三代(フミヨ)さんのメシは美味い」

二三代さんとは、私のおばあちゃんだ。

おばあちゃんは、おじいちゃんが亡くなってからずっと、1人でこの田舎町で暮らしてる。


おばあちゃん家は、診療所から車で5分の距離だ。

ちなみに、私が通ってる高校は、自転車で20分。雅徳君の母校でもある。
雅徳君は高校卒業後、東京の医大を出て、研修医として経験を積んでから、この町に戻って来たそうだ。

雅徳君のお父さんは、まだまだ現役ではあるが、院長の役職を雅徳君に引き継ぎ、ほとんどの診察を息子に任せてる。

早く引退して奥様と旅行に行きたい、って仰ってた。



「ほら、着いたぞ」

雅徳君と一緒の5分は、本当にあっという間だ。

「ありがとう。のりちゃん先生」

「また、ボーとしてた。眠いか?」

シートベルトを外して、雅徳君は右手を私の首に伸ばした。

「……脈は、正常。だな」

「だから、大丈夫だって」

へらっ、と笑った私に雅徳君は顔をしかめる。

そんな雅徳君の表情に、気付かないフリをして、私はにっこり笑った。

「さぁ、橘先生。おばあちゃんが、お昼を用意して待ってますよ」

「……そうだな」

「今日も、送ってくれて、ありがとうございました」

「いや、気にするな」

たまに私が使う他人行儀な敬語に、余計、不機嫌そうになった彼は、私のシートベルトを外す。

「降りろ」

「はーい」

初めて会った時が子供だったからか、それとも、11歳も年下の高校生の私は、やはりまだ彼にとって子供だからなのか。私が子供らしくない事をするのを、雅徳君は嫌う。



(私は、)

対等になりたい、だなんて。

高望みだって、分かってる。

けど。

彼の隣を歩ける人に、なりたい。

彼に引っ張ってもらうんでも、背負ってもらうんでもなく。

隣を一緒に歩けるパートナーに、私はなりたいんだよ、のりちゃん。