「ミミは異世界の存在を信じる? ここではないどこか違う世界に行ってみたいと思わない?」

窓の向こうに見える、霞のかかった紺碧の空を見上げながら桜小路乙女〈さくらこうじおとめ〉が訊ねる。

「お嬢様ったら、またそんな非現実的な空想話を!」

四月の空は柔らかく暖かい。なのにこの少女の声は固く冷たく尖っている。彼女は乙女付きのメイド・三奈階〈みなかい〉ミミ。

「あらっ、空想話ではなくてよ。かの有名な作家“チェリー・ブロッサム”もここに書いているわ」

乙女が三センチほど幅のあるハードカバーの本をかかげ言う。
「お嬢様」とミミがフルフルと頭を振る。そして、呆れたように言う。

「その作者はお嬢様じゃないですか」
「しっ! 大きな声で言わないで」

唇に人差し指を当て、乙女は部屋を見回して誰もいないのを確認する。その時、「あらっ」と窓辺に目が留まる。

建て付けが悪いのかしら?

カーテンがユラユラと揺れていた。

冬までに修繕が必要ね、と乙女は眉間に皺を寄せ、またお金が飛んでいくのね、と現実世界に溜息を吐く。

桜小路家は由緒正しき伯爵家だが、学者肌の祖父が家庭を顧みなかったためにどんどん落ちぶれ、現当主である乙女の父・大樹(たいじゅ)と代替わりした頃には、屋敷だけは立派だが貧乏を絵に描いたような生活を送っていた。

――なのに……大樹もまた祖父の血を色濃く継いだとみえ、海洋生物学の学者として研究にのめり込み、この五年、南洋の海に行ったきりナシのつぶてだった。