『結婚は二番目に好きな人とした方がいい』

なんて言葉、一体誰が言ったんだろう。
少なくとも私には当て嵌まらなかった。

何をしたって、これがもし彼だったらと想像して、無意識に比べてしまう。

そんなことを二年間続けて、私はとうとうバツイチとなった。


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日本に帰国して1ヶ月。
旧姓に戻った私、本宮麻里奈は、都内にある結婚相談所を訪れていた。


「何、おまえ………ホントに来たのかよ」

私を見るなり、幼なじみの村瀬零士が呆れ顔で呟いた。

彼はこの結婚相談所の社長であり、私が3年前に別れた元カレ村瀬英士の弟でもある。

「いいじゃない。せっかくだから話だけでも聞いてみようと思ったのよ」

入会する気なんてこれっぽっちも無かったけれど、英士のことを聞きに来たとも言えずに、パンフレットをペラペラとめくった。 

「ふーん。でも、おまえは男探すより、まずは仕事だろ?そうだ、おまえ、うちで働けよ。秘書として雇ってやるから」

「は?」

予期せぬ言葉に私は慌てて顔を上げる。

「ほら、おまえ、社長秘書になりたいとか言ってたじゃん。俺がおまえの夢叶えてやるよ」

零士の言葉で昔の記憶が蘇る。

確かに言ったのは間違いないのだけど、それは、英士が社長になると言い出したからで、彼が検事となった今、私には何の興味もない。

でも、まあ。
どの道仕事は探さなきゃだし、零士のそばにいることで、英士の情報も色々と掴めるかもしれない。

そう思い直した私は、ゆっくりと顔を上げた。

「そうね。零士がそこまで言うなら、働いてあげないこともないけど」

「よし、決まりだな。それじゃ、これにサインして」

零士は雇用契約書を出してきた。

「印鑑ないけど」

「とりあえず拇印でいいよ」

「分かった」

こんなものを書いてしまったら後戻りが効かなそうだけど、まあ仕方ないか。

「はい。これでいい?」

書き終わった書類を見せると、零士がにっこりと笑った。

「よし。じゃあ、麻里奈。早速で悪いけど、駅前のパン屋で俺の昼メシ買って来てよ」

「は?」

「種類は適当でいいけど、メロンパンだけは忘れるなよ」

零士はそう言うと、私の手にお札を乗せた。

「ちょっと!!」

「何だよ」

「これじゃ、ただのパシリじゃないの。私は秘書なんじゃなかったの?」

「社長の食事の管理も秘書の大事な仕事だろ?」

「はあ~?? ったく、調子のいいこと言っちゃって」

「まあ、そう怒んなよ。ちゃんとおまえの分も奢ってやるから」

「あったり前でしょ!!」

「じゃ、よろしく~~」

「も~~」

手を振る零士をジロリと睨んで事務室を出ると、後ろから若いスタッフの女の子が追いかけてきた。

そして、私を正面からキッと睨みつけた。

「何ですか?」

「私、あなたなんかに、絶対負けませんから!! ちょっと社長に気に入られたくらいで、いい気にならないで下さいね!」

彼女はそれだけ言うと、フンと顔を背けてスタスタと去って行った。

はっ?
ライバル宣言!?

さっきのやり取りのどこにそんな要素があっただろうか?

零士が私を女扱いしていないのは一目瞭然なのに。
女って本当に面倒くさい。

私は深いため息をつきながら、パン屋へと向かったのだった。



……………


私の両親は二人で会社をやっていて、営業で地方に行くことが多かった。

その為、ひとりっ子の私は、幼い頃からよく村瀬家に預けられていた。

英士は2つ、零士とは1つしか違わなかったけれど、二人とも面倒見がよくて、私のことを本当の妹のように可愛いがってくれた。

『おまえ、兄貴のこと好きだろ?』

自覚したのは中1の春。
かっこよくて優しい英士のことを、私は零士の言うように男として意識するようになっていたのだ。

『英士には絶対に言わないでよね。バレて気まずくなったら困るから』

と言いつつも、私は英士と同じ委員会に入ったり、英士のいるバスケ部のマネージャーになったりして、夢中で彼のことを追いかけていた。

そして、高校も二人のいる進学高へと進む。
けれど、そこで最も恐れていたことが起きてしまった。

英士に彼女ができたのだ。

常に彼女がいた零士とは対照的に、英士はバスケ一筋だった筈なのに、同じバスケ部の麗華先輩と付き合ってしまったのだ。

私はあまりのショックに学校を休んだ。

『だから早く告白しろって言っただろ? おまえがグズグズしてるから』

様子を見に来た零士にも呆れられた。

『だって、まさか英士が彼女作るなんて思わなかったんだもん。今までは誰の告白も受けなかったのに』

『まあ、兄貴だって健全な男子だからね』

『やめてよ、そういう言い方。エロい零士と一緒にしないで!』

私は枕を投げつけた。

『おまえね』

『とにかく、もう帰ってよ!』

完全な八つ当たりだった。


そして、その翌日、私は目を腫らしながら学校に行った。

この時ばかりは、同じ部活に入ったことを死ぬほど後悔した。同じ時間に終わる為、二人と帰りまで一緒になってしまうのだ。

手を繋いで仲良さそうに歩く二人の背中に、私は涙が止まらなかった。

そんな私の少し先を、私と同じように手で涙を拭いながら歩く女の先輩がいた。

彼女も英士に失恋したのだろう。
初めは親近感を抱いていたのだけど、歩道橋の上にさしかかった所で異変に気づいた。突然その先輩が英士達に向かって走りだしたからだ。

咄嗟に英士が危ないと思った。
私は追いかけて、その先輩の体に必死でしがみついた。

『ちょっと、あんた何すんのよ!邪魔しないでよ』

『英士に何する気!』

『村瀬くんには何もしないわよ!あの女を階段から突き落としてやるの!』

彼女の目は正気じゃなかった。

マズいと思った。
そんなことをされたら、きっと英士が麗華先輩を庇って大ケガを負ってしまう。

『ダメ! そんなこと絶対させない!』

『いいから放しなさいよ!』

彼女と揉み合っていると、英士の叫び声が聞こえた。

『麻里奈、危ない!!!』

その瞬間、私の体は宙に浮いた。

『キャー!!』

『麻里奈!!』

バランスを崩した私は、歩道橋の階段から転げ落ち、肋骨を骨折。3週間の入院となった。

そして、

『麻里奈。ごめんな』
『麻里奈ちゃん。ごめんなさい』

毎日のように、英士と麗華先輩が病院に来た。
それが私には凄く辛かった。

だから、零士から英士に伝えてもらった。

『もう、二人には来ないで欲しい』と。
『私は英士のことが好きだから』と。

結局、それがきっかけで英士は麗華先輩と別れ、私を彼女にしてくれた。

私もそれが罪ほろぼしだと分かっていながら、英士を手放せなかった。

そらから二年が経ち。
私が大学に合格した春、英士から同棲を持ちかけられた。

すっかり舞い上がった私は、英士が独り暮らしを始めていたアパートにその日のうちに押しかけた。

左手にはお揃いのペアリングを嵌めて、まるで英士の妻のように振る舞った。

英士は司法試験の勉強やバイトで忙しそうにしていたけれど、私はいつも彼にベッタリで、嫉妬や束縛ばかりしていた。

とにかく英士はモテるから、心配でたまらなかったのだ。

『大丈夫だよ。俺は麻里奈のものだから』

英士は私を安心させる為に、いつもそう言ってくれたけど、私はその言葉を素直に喜べなかった。

だって、彼には私への負い目がある。
私を本当に好きな訳じゃない。
そう思うと苦しくて、おかしくなりそうだった。

そして、英士がロースクールに通い出した頃、私を更に追い詰める出来事が起こった。

麗華先輩がそのロースクールにいたからだ。よくよく聞けば、彼女も同じ大学の法学部にいて、友達として付き合っていたのだという。

黙っていたのは心配させない為だと言われたけれど、それ以来、私は彼女との仲を疑うようになってしまった。

何度も泣いて、何度も困らせた。
そんなことを一年続けて、私は疲れきってしまった。このままじゃ、英士を不幸にしてしまう。
そう思った私は英士に別れを告げた。

『もう無理。英士といると、どんどん自分が嫌な人間になっていくの。きっとこのまま一緒にいても、私も英士も幸せにはなれないと思う。だから、別れて欲しい』

これが3年前。
私が会社に就職した年だった。

勿論、引き止められた。
別れたくないとも言われた。

でも、私には英士が無理しているようにしか見えなかった。本当は麗華先輩とやり直したいんじゃないかって。

だから私は、当時告白してきた会社の先輩と付き合って、そのまま彼のプロポーズを受けた。

情熱的な恋とはほど遠かったけれど、追いかけるよりも追いかけられる方が幸せになれるはず。その時はそう思ってしまったのだ。

結果、二年で結婚生活に終止符を打った。
彼には罪悪感しかない。

バカだな……私。

胸には英士とお揃いのペアリングが揺れる。

もうきっと、英士は捨てちゃったよね。
仙台で麗華先輩と幸せに暮らしてるのかもしれない。
込み上げてくる涙を手で拭い、私は大きく息を吐いた。