「仙道さんも、ビール飲みますか?」

倉本さんがメニューを見ながら呟いた。

ここは、倉本さんのご親戚が経営されているという焼き肉店。芸能人なんかもよくお忍びで来るらしく、お店の壁には沢山の色紙や写真が飾られていた。


「私はウーロン茶でいいよ。すぐ酔っ払っちゃうから」

おしぼりを開けながら、彼女にそう告げる。

こんな時、一緒に飲めたらと思うのだけど、どうしても躊躇してしまう。

「別に酔っ払っても面倒みますよ? このあと浩太さんに車で迎えに来てもらうことになってますし。たまには羽目を外してみたらどうですか?」

「ううん。いいの」

私はブルブルと首を振る。
新しい職場でも真面目だと言われてしまうのだけど、やっぱり人様に迷惑をかける訳にはいかないから。

「前に酔っ払った時にね、零士さんに絡んですごく迷惑かけちゃったの。だから、零士さんに、飲むのは俺と一緒の時だけにしてって言われちゃ…て」

ハッとして、言葉を止める。

「何言ってるんだろうね。もうとっくに別れてるのに」

自嘲気味に呟くと、虚しさが一気に込み上げてきた。
ダメだ。
泣きそうだ。

「仙道さん……」

倉本さんが私を悲しげに見つめる。

「まだ、終わってないんですね。仙道さんの中で」

その瞬間、堪えていた涙がポロポロとこぼれ落ちた。

「今さらだけど後悔してる………逃げないで零士さんと向き合えばよかったなって。もしかしたら零士さんは私と別れる気なんてなかったんじゃないかとか……そんな風にさえ考えちゃって……どうしても前に進めないの」

感情に任せて言葉を吐き出すと、倉本さんが思いかげない一言をポツリと放った。

「彼……仙道さんに会いに来てましたよ」

「え……」

顔を上げて驚く私に、彼女はこう続けた。

「仙道さんがショックを受けると思って、ずっと黙ってましたけど…。実は仙道さんが家を出てきた翌日、彼はうちの会社に来てたんです。彼は私にこう言ってきました。誤解を解きたいから仙道さんに会わせて欲しいと。とりあえず彼の話を聞こうと思い、昼休みに彼と会う約束をしました。でも、結局彼は現れませんでした。仙道さんと本気でやり直す気があるなら来て下さいと伝えていたので、私はそれが彼の答えだと受け取りました」

「……………そ……そっか。なんだ」

つまり、私はとっくにフラれていたということだ。
初めて聞かされた真実に動揺しつつも、それだけは理解できた。

「でも、彼がどうして来なかったのか、仙道さんはきちんと確かめるべきだと思います。例えそれがどんな結果でも今の仙道さんならちゃんと受け止められますよね? きちんと恋を終わらして下さい」

倉本さんはそう言うと、テーブルに置かれた私のスマホをスッと目の前に差し出した。

「え?」

「私、しばらくトイレに行ってますので頑張って下さい」

倉本さんは私に微笑むと、席を立ち個室から出て行った。

えっ??
零士さんに電話しろってこと?

そんな心の準備できてない。

いや、でも……。
倉本さんの言う通り、ハッキリと彼の口から聞いた方がいいのかもしれない。

そうしなきゃ、やっぱり前に進めない気がする。

私はスマホを手に取った。
零士さんの番号は着信拒否にはしていたけれど、ちゃんと残してある。

大きく深呼吸した後、震える手でスマホを耳に当てた。
バクバクと心臓が鳴り響く。
けれど、聞こえてきたのは零士さんの声ではなく、無機質な音声だった。

『お客様のおかけになった電話番号は現在使われておりません』

私はゆっくりとスマホを離す。

もう十分だ。
彼の中に私はもういない。
きっと麻里奈さんと幸せにやっていることだろう。

さようなら……零士さん。

私は彼の名をスマホから消して、小さく呟いた。