「大丈夫? 少しは落ちついた?」

零士さんの手が、私の頭を優しく撫でる。

「もう大丈夫です。零士さんが助け出してくれたから」

にっこり笑って答えると、零士さんが目を細めて私のこめかみにそっとキスを落とした。


ここは、都内にある零士さんのマンション。
リビングに置かれた大きなソファーの上で、私は零士さんの胸に抱きしめられていた。

遡ること5時間前、私の実家を出た直後に零士さんが言ったのだ。

“ホントはちゃんと籍を入れてからって思ってたけど……もう一緒に住んじゃおうか”

零士さんは、お兄ちゃんのことが心配だと言って、一緒に住むことを提案してくれた。

そんな零士さんの申し出に、私はすっかり舞い上がってしまった。

ずっと麻里奈さんのことで悩んできたけれど、そんな不安なんて一瞬で吹き飛んでいた。


早速、アパートに寄って数日分の着替えと私物をスーツケースにつめて、零士さんのマンションに運んだ。

本格的な引っ越しは、零士さんのご両親に会って籍を入れてからということになっているけれど、とにかく今日から私は零士さんと一緒にここで暮らすことになったのだ。


もう手の震えなんて、すっかり治まっていた。恐ろしい言葉も聞こえない。

今はそんなことよりも、零士さんと迎える夜のことで胸がいっぱいだった。

きっと今夜は、零士さんのベッドで一緒に眠ることになるだろう。

覚悟ならちゃんとできている。
今度こそ零士さんと。

夕方の5時。
まだ外の日は落ちていないけれど、私は密かに意気込みながら、頰を真っ赤に染めていたのだった。


……


「じゃあ、そろそろ夕食でも作りますね。冷蔵庫の中のもの勝手に使っちゃってもいいですか?」

そう声をかけてキッチンに入ると、零士さんが「ごめん」と謝りながらやって来た。

「冷蔵庫にはビールしかないんだよな。いつも外食かコンビニ弁当だから」

零士さんは苦笑いを浮かべながら、ビールがぎっしり詰まった冷蔵庫を見せてくれた。

「こめんね。今日はピザでもとろっか?」

なんて、零士さんが呟いた時だった。
インターホンのチャイムがけたたましく鳴り響いた。

『ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン』

「ったく、誰だよ」

零士さんは文句を言いながら、インターホンのモニター画面を覗き込んだ。

「え……麻里奈?」

その名前を聞いて、私の胸は一気にざわついた。

『ごめんね、零士。ちょっと相談に乗ってくれないかな』

麻里奈さんの声は、何だか少し震えている気がした。

零士さんは慌ててオートロックを解除して、エントランスのドアを開けた。

「いいんですか? 今、麻里奈さんを部屋に上げたら、私達のことバレちゃいますよ」

「そうなんだけど。ちょっと麻里奈の様子が変だったから」

零士さんは心配そうにそう言った。

「そうです……よね。そんなこと言ってる場合じゃないですよね」

私って嫌な奴だ。

明らかに何かあったような感じだったのに、追いかえして欲しいと思ってしまった。

自己嫌悪に陥っていると、零士さんが私を抱き寄せた。

「ごめんね、鈴乃。二人だけの時間だったのに」

「いえ。そんなことないです」

私は大きく首を振る。

でも、ようやく掴みかけた幸せが壊れてしまいそうな気がして、凄く怖かった。