「なあ、話聞いてくれって! やり直そう!」

背後から聞こえてきた声に足を止めて、ため息を漏らす。
あと何回言えば伝わるのだろう。


「あの、先輩」

振り返って先輩の顔をじっと見つめる。痛んだ明るめの茶髪に口元に開いたピアス。

三年生の中では目立っている存在だ。

仲良くしていた時期もあったけれど、それは親切な先輩として見ていたから。恋愛対象として見ていたわけではなかった。今では近づきたくもない相手になってしまっている。


先輩は私が足を止めたことに期待をしているようだった。申し訳ないけれど、その期待には応えられない。


「私、そもそも先輩と付き合っていません! それじゃ」

それだけ言って、逃げるように走り出した。

言い逃げだろうとなんだろうと構わない。この先輩のせいで私は上級生の女子たちから嫌がらせを受けていた。できれば今後この人とは関わりたくない。

今の私には恋愛なんてよくわからなかった。かっこいいと思う相手がいても、恋愛までに発展しないことがほとんどだ。


周りを見ていると羨ましく思うことがある。

今まで恋愛に興味がなさそうだった幼なじみがクラスの女の子と付き合いだして、ずっとそばにいた私が驚くくらい彼女にぞっこんなのだ。

想いあっている彼らは幸せそう。恋をしていない私は、その場所から遠いところにいる気がしてしまうことがある。


振り返るとまだ先輩が追ってきている。急いで階段を駆け下りて、廊下を曲がると誰かとぶつかってしまった。


「ごめんなさい!」
「……あれ? 木崎さんだ」
「え?」

自分の名字を呼ばれて、慌てて顔を上げる。ぶつかった相手は同じ学年なら知らない人はいないのではないかというくらい有名な人だった。


「西島くん」

見た目がかっこいいだけではなく、サッカー部のエースで勉強もできるらしい。それに性格も親切で爽やか好青年。恋愛としての好きではないけれど、私も憧れを抱いていた人物だ。


「そんな急いでどうした?」
「実はちょっと逃げてて」
「先生?」
「……先輩。あ、やば。来たかも」

ばたばたと階段を駆け下りる音が聞こえて、顔が引きつる。いい加減にしてほしい。この距離じゃもう逃げ切れないかもしれない。どうやって引き下がってもらおう。


「こっち来て」
「え?」

西島くんに腕を引かれたかと思えば、抱きしめられた。突然のことに困惑して動けずにいると、耳元に声が降りてくる。


「ちょっと我慢してて」

その言葉で彼の意図を理解した。私だとバレないように隠してくれているんだ。けれど、この状況に冷静でなんていられない。

自分以外の人の熱が触れた部分から流れ込んでくるみたいで熱くなってくる。シャツから香る柔軟剤の匂いに、伝わってくる速い鼓動。


この緊張は私だけのものかもしれない。西島くんは躊躇うことなく私を抱きしめていた。