ボクは走った。午後の授業が終わった瞬間、掃除当番をすっぽかして、カバンを持って駆け出した。さとし君の家に向かっていた。何をどうするつもりなのか自分でもわからないけど、とにかく今こうするべきなんだって、気持ちが高ぶっていた。
信じたくないけど、かずまの話の痩せた小学生は、ほぼ間違いなくつよし君だ。態度といい、子どもで初対面の人にそんなひどい暴言を吐くやつなんて、他にそういるはずない。それにしても、どうしてボクが落としたキーホルダーをつよし君が持っていたんだろう。あの夜公園にいたのはさとし君なのに…。ボクが見落としていただけで、家までの道のりのどこかにあったんだろうか…。
休まず走り続けて、やっと住宅街の区画の角にあるさとし君の家に着いた。

以前来たときよりもいっそう緊張しながら、ブザーを鳴らすと、インターフォンからまた前と同じ落ち着いた声が聞こえてきた。
「私は、家政婦の者ですけれども、本日は皆様ご不在です。大変申し訳ございませんが、明日以降、またいらしてください。」
ボクは面食らった。
「そ、そうなんですね!すみません、また来ます!」
ボクは慌ててドアから離れてすぐ帰ろうとしたけど、明日は何時だと会えるか聞いておけば良かったと思い返して、またブザーを鳴らした。
「はい」と返事があったので、「あの、何度もすみません、明日だったら、さとし君には何時に会えますか?…つよし君でもいいんですが。」と尋ねた。
すると少し間が空いて、「...私は、家政婦の者ですけれども、本日は皆様ご不在です。申し訳ございませんが、明日以降、またいらしてください。」と声が聞こえたあと、無言になった。

ボクは困惑した。
恐る恐るまたブザーを鳴らして黙っていると、「はい」と声がしたあと、しばらく間が空いて、また全く同じ調子で、全く同じ言葉が返ってきた。
「...私は、家政婦の者ですけれども、本日は皆様ご不在です。申し訳ございませんが、明日以降、またいらしてください...。」
ボクは、また動悸がはじまり、たじろいでしばらく玄関に突っ立っていた。
そして、失礼だとは思ったけど、家の中の様子が気になって、前庭に入り、玄関から少し離れたところにある一番近い家の窓に忍び寄っていった。

ーもしかしたら、さとし君のお父さんお母さんは忙しすぎて、人を寄せ付けないようにあんな細工をしたのかもしれない...。

窓の角からそっと顔を出して覗き込むと、ボクは目を見張った。

家の中は、空っぽだった。
テーブルも、イスも、テレビも、棚も、何にもない。ただフローリングの床が広がっていて、天井に立派なシャンデリア風のライトがついているだけだった。カーテンがないから、奥のキッチンの向こう側にある窓の外が筒抜けで、日差しで部屋全体に埃が立ち込めているのがよく見えた。
明らかに、誰も住んでいなかった。
ボクの動悸はさらに強くなり、夏も間近の気温なのに、手足が冷えてきた。
家を間違えているはずがない。前に遊んだ帰りに、さとし君がこの家の前に連れてきて見せてくれたもの。

ボクは、窓から離れ、庭を見渡した。
綺麗な植物や花は、あらためて見ると、あまりにも無造作に生えていて、雑草も混ざって生い茂っていた。
そして、庭の奥にある小屋に目が止まった。
ボクは、手に汗を握りながら、ゆっくりと小屋に近づいた。となりにそびえ立つ背の高い木の陰に半分隠れている小屋は、近づくほど不気味に感じて、誰も入ってはいけないようなまがまがしい空気が漂っていた。
扉は引き戸で、鍵がかかっているかもしれないと思ったけど、そっと取っ手を引いてみると、するりと簡単に動いた。
ボクは思い切って、扉全てを開けた。

薄暗い小屋の中は、右上にある小さな窓から入る光で、かろうじて見えた。暗さに目を慣らしながら足を踏み入れると、湿った、埃っぽいこもった空気が流れてきて、ボクは口を押さえた。4畳くらいの広さの床はコンクリートで、靴の裏が砂利でザラザラしているのを感じた。左側に目を向けると、床下に一人分の大きさの薄い敷き布団が敷かれていて、その上には掛け布団代わりのように、ダンボールが一枚被さっていた。右側には、奥の壁に古びた小さな木製のタンス、その手前に折りたたみ自転車や小さな椅子、木の板が数枚置かれており、床にはカナヅチや釘などの工具が散らばっていた。
よく見ると、タンスの側面に、野球バットが立て掛けてあるのに気がついた。
ボクは無意識にバットを手に取り、先端を上にして真っ直ぐに持ち直し、光があたってもっとよく見える場所へ移動した。バットには、ところどころ黒いシミがついていた。
ボクは、顔を近づけてよく見た。
血だった。

ボクの心臓は、また大きくドクンと鳴った。