「ただいま」
玄関に入ると、艶のある大きな黒い革靴が目に入った。私に続けて入ってきた千夏さんがドアを締めながら言う。
「今日はね、お父さんの方が結衣ちゃんより早かったの」
最近CMで耳にする鼻歌を歌いながら私の横を通り過ぎていった。リビングへと通じるドアを開けながら私を振り返る。
「結衣ちゃんのためにケーキ買ってきたって!みんなで食べましょ」
ほら、手を洗ってらっしゃいな。
千夏さんは微笑むとそのままリビングへ入っていった。
「…」
また今日も、私は何も言えなかった。
いつも塾の送迎してくれてありがとう。
何も言わない私に優しくしてくれてありがとう。
お母さんと呼べない私を許してくれてありがとう。
心の中では何度も思っているのに、何故か千夏さんと喋ることが出来ない。口がどうしても開かない。
はぁ。