平成30年2月15日携帯へ元旭有機材の甲斐さんより電話、11時ころに伺いますとのことであった。
甲斐さんとは不思議な出会いで
あまり好きなタイプではないと思ったが、その後の自分の人生を大きく変えていったきっかけの出会いでもあった。

まだ駆け出しの私は旭有機材という地元の上場企業ではあるがイメージは悪かった。しかし、甲斐さんはそのイメージを変えて、私が旭有機材の商品を業界に対して販売協力をする行動に変えさせた

北方地方のひと「高千穂」は人間性が良い事でも知られる。甲斐さんはその代表のような人であった。あらゆる方向からアプローチする営業技術は類を見ない

人格を持ち合わせている優秀な人物に出会え共に一時代を過ごせたことは今本当の意味で感謝している。いま故郷の北方に、おやじとの約束であったと言い、地元に帰り、農業、地域の為に生きている。

いくつもの思い出がある・・・・彼の出世に相乗りしていき私の会社も大きく成長していった。

宮崎県政にも影響を持ち、当時の出納帳を動かし、OBの獲得、そのOBを私が利用させてもらう。業界の中でもそのことで影響力を増していくことになった。

甲斐さんとの人脈で得たことは今でも生きている。

丁度5年ほど前甲斐さんが退職したあと、市内で飲み会を開いた。元県の職員、旭有機材の元専務、甲斐さんとの4人であった。懐かしかった。わたしが新築したときも来てもらった。懐かし限りの人だ。

昨年病気になり、大変な思いをしたと、、歩けなくなり、病院を変えてやっとよくなりましたと、福井県時代が懐かしい様子で雪の話をしていた。孫ができて宮崎市内へ来たのでと

嫁さんは孫の世話で、市内へ

大阪、東京築地まで軽自動車を乗り回し楽しんでいる人生の話は私には新鮮で、うらやましい限り