感謝のひとことに尽きるよめさんだ。

あれは50年ほど前
愛知県一宮のサークルがあり、当時は繊維系の仕事が多く、集団就職で、学校に行きながら
働いている人が多かった。

わたしは病気がちで、サークルへは誰の誘いかは覚えていないが、いっていた。
年末のクリスマスのころには100円以内でプレゼントを買い

サークルで輪を作ったダンスの中で止まった人と交換だった。
その相手が今の妻です。

すこしして会うようになり、長崎出身と聞いた

その後、手術をすることになったというう。見舞いに行ったら、母が付き添いをしていた。
そのときに近くに患者がいて
私に向かって、惚れて通えば、千里も一理だね、、と記憶がある。

そのご会うことも多くなった。
時にわたしは宮崎に親子で帰京することになっていた。
不況のためである。

宮崎に帰ってすこしすると、嫁と連絡をやりとりしているなか
嫁の荷物が届いて宮崎に移住となった。

その後、保育園で55歳まで子育て、仕事と働いた。
あっという間の時間だったような

嫁にもらうときに、国生さん、静雄さん、仲立ちの日高優さんたちのせわになった。

そのころ、嫁の実家は新築を始めていた。
父は役場の課長、、母も教育関係の優秀な家庭だった。わたしのような
ところへ来てくれたことは本当に感謝している。
このことは今の自分のことを支えてもらった。
嫁に感謝し
義母の母は98歳で元気だ。

感謝感謝