高千穂号に乗っていた。当時24時間かかって名古屋に着いていた列車である。就職列車で有名な国鉄の名機関車であった。井沢八郎の”ああ”上野駅で有名な

丁度、姫路城の近くで、弁当を食っていた。白飯の中に、のりの佃煮、いまでも想い出す味だ。それから時間が経過して、大阪、京都、と、やがて「一宮、、一宮、、という駅で、母が、降りるど、と、」着いた。それから過ごす第二の人生、小学校4ねんのときであった。