でも――ひとつだけ、わかったことがある。
 私たちくらいの中学生は、いつもなにかを見つめている。
 その対象は異性だけとは限らない。
 友達の持ち物とか、先生がひいきにしている生徒とか、雑誌のモデルの髪形や服装とか、とにかく自分を取り巻くものすべて。
 見つめる度あいも、凝視、注目といったひたむきなものから、盗み見、一瞥のような程度の軽いものまでいろいろ。
 そして、必ず比べている――自分が勝っているか、劣っているか。
 結果が数字で表れるものには特に過敏で、ときには思考の全部を支配されてしまう。

 私がいい例だわ。
 私は小さい頃から成績がよかった。
 ほめられるのも、いい点を取るのも、あたりまえ。
 優秀に見られるのが常だったから、それを維持するために努力した。
 すすんで手をあげるタイプではなかったけど、誰にも解けなくて、しかも自分は解くことのできる問題があるときは『先生、指名して』と強く念波を送った。
 テストとか通知表の数字は、家族にしか打ちあけたことがなかった。
 私にとって、その数字は『人より優れているかどうか』ではなく『人よりどれだけ優れているか』が重要だった。
 だから、友達に見せられっこなかった。
 見せて、話をしようものなら、成績にこだわる浅ましい私をみんなの前にさらけだすことになる。

 それなのに、川崎くんには見せてしまった。
 点数と一緒に、私の内面までも見られた気がする。
 これは、川崎くんのせいだ。
 川崎くんの持つ妙な雰囲気が、私のかたくななガードを緩めたんだ。
 まるで、川崎くんは太陽、私はコートを着た旅人みたいだ。

 太陽に照らされて、旅人は思う。
 なんだか知らないが、暖かくなってきたぞ。
 さあコートを脱がなくちゃ。