あの人との暮らしが3年目に突入し、あの人の行動は更に酷いものだった。



父さんから預かった毎月のお金のほとんどが消えっていった。



どんなに父さんが追求しても無言だった。



どんなに場所を変えても鍵を付けても壊される一向だった。



だから、父さんは現金で渡すのを止めて、新たなに口座を作った銀行にお金を取るようにと通帳とカードを渡された。



銀行だと暗証番号がないと現金が引き出せないので取られることはないだろうと言ってくれた。



その後、お金を取られることはなくなったが、あの人の奇行な行動は更に悪化していった。



その行為がどんどん俺ら親子の空間を地獄へと追い詰めていた。



その頃同時に、架菜の事もあって穏やかになれる感情というものがあまりなかった。



学校でも家でも辛い連続で、その頃の家庭環境というものが、あまりにも残酷で悲痛なものだった。



ただ、あの人は口ではしょっちゅう『殺してやる』と俺らに連呼しているが刃物を手に向ける事は決してしなかった。



それ以外は本当に酷いものばかりだった。



家は壊されていくは喚き声は激しいは罵倒はするは少しでもお金があると盗みはするはと散々だった。



更にそれ以上ものだったかもしれない。



確かに暴力や刃物を振るわれる事はなかったが、一度だけ暴力と刃物を振るわれた事があった。



それは父さんではなく俺に対してだった。



その時の傷は少し深かったが傷跡は残っていなかったから良かったけど、今でも時々疼く時がある。



あの人とようやく離れる事が出来たのは、俺が高校に上がって夏休みになった頃だった。



あの人は3年目になった頃から家を開ける事が多々あったので逃げる事は簡単だった。



父さんの東京に引っ越す事を聞いて、それを機に逃げ出す計画を立てた。



脅されていた事もあって離婚は出来なかったが、結婚の際に無理矢理父さんがあの人に離婚届に書いてもらっていたから簡単だった。



そして、あの人に何も知らされる事なくあの人がいつものようにフラフラっとどこかへ出掛けたあの日、まるで逃げるかのようにこの町へと引っ越しに来た。



ちょうどこの頃の俺はいつも気がおかしくなっていて、学校でも家でも休まる感覚なくて、どうしたら以前の穏やかな生活に戻れるのか、そんな苦しい感情に苛まれていた。



別に父さんが悪いではない、きっとあの人に脅されて仕方なくこうなってしまったんだと思う。



でも、このままあの人と一緒に生活していくなど、あまりにも耐えれる訳でもない。



それにヘタしたら殺しに掛かるかもしれない。



引っ越しの際、お金も家具も全て残す事なく、あの人の荷物だけを残して家を出たのだった。