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美沙樹はおそらく俺が優しく気にかけてあげているのは親切心からだと思っているだろう。



確かに俺は困ってる人間や弱い者を放って置けなくて、つい助けてしまうという良心がある。



でも、一般的な視点で見れば、それは゛良い人゛や゛優しい人゛という論点が脳裏に浮かぶだろう。



けど、それは俺からすれば良い人や優しい人という人間を見せて周りに信頼を得ている事に過ぎないのである。



いわば、演技や偽り点数稼ぎに過ぎないんだ。



俺は優しい人間ではない。



なぜなら自分に興味がないからだ。



自分が大嫌いだからだ。



他人に興味を持っても自分には何一つ興味を持つ事がない。



例えば、゛自分の長所゛や゛自分の好きな所゛はどこかと聞かれた場合、俺は答える事は出来ても、それは信実ではなく嘘偽りの演技の言葉が出てくるだろう。



つまり俺という人間は、自分という存在をとことん毛嫌いして嘘偽りの虚像の俺を創り上げては、他人には良い人というアピールをしながら手を差し伸べる、それが俺という人間なんだ。



美沙樹もきっとそういう風に良い人という感情で俺を見ているのだろう。



けど、昔はこんなにも自分を毛嫌いする事などなかった。



いつから、自分に偽りの感情をするようになったのだろう。



それに、こんな俺を父さんや零詩は知らないのだろう。



俺が醜くて他人には愛想が良い自分なんて、きっと幻滅するだろう。



きっと、架菜や美実さんに対して可哀相とういう感情があるのだろう。



俺が変になってしまった根本的な理由があるというのに、助けたいといと思っている。



また、美沙樹にも同じ事が言えるのだろう。



美沙樹のお母さんや力の事が可哀相に見えて手を差し伸べたいと思っているから気に掛けるのだろうか。



ただ、美沙樹に対しては可哀相という感情とは別の自分の想いが出ているのも事実だ。



それは、かつて架菜に対しては持っていた感情と同じだけど別の感覚である。



美沙樹と歌菜との感情って何が違うのだろう。



同じなのに…。



とりあえず美沙樹の事は置いておいて、歌菜と美実さんに対する感情というものがなんとなくだが似ている。



それは可哀相という意味というものだろうか。



ただ、手を差し伸べて助けたいと思う気持ちは邪魔なだけだったのだろうか?



心に憎しみと深い闇を持った人間に手を差し伸べるのは無意味に値するものなのか。



歌菜を探してるのだって、ただ助けたい一心での事なのに…。



あいつもまた迷惑しているのだろうか。



あの人に向けたように親切心が苛立つものに見えているのだろうか。