ちょうど大河に会った時もそんな時だった。

「ねえ、君、職員室ってどこにあるの?」
大河と初めて会話したのはそんな一言だった。

その人は、スーツ姿で、両手にたくさんの本を抱えていた。
見るからに業者の人だったので、急に話しかけられて怖いという印象は全くなかった。
それよりも、頼られたっていうのがなんだかとてもうれしかった。
ずっと誰とも話すことのない時間が続いていたので、久しぶりに話しかけられてとても新鮮だった。
「職員室はこっちです」
私は大河の前を歩いて職員室まで道案内をしてあげた。
 
ドサドサドサー
 
その音に振り替えると、大河が運んでいた本が廊下に落ちていた。大河は慌てて落ちた本をつかもうとしていたけれど、そうすることで、さらに持っていた本がバランスを崩してバサバサとまた落ちた。
 
「わわわわ…」
 大河は顔を真っ赤にして慌てていた。
 
「ぷっ」
私は思わず笑ってしまった。この人どんくさい。
 
大河は顔を真っ赤にして私にこう言った。
「き、君、僕だって新入社員だというのにがんばっているんだよ。なのに、笑うなんてひどいじゃないか」
 
ふうん。この人新入社員って大学卒業したばかりなのかな?
確かに見た感じ若そうだった。
 
「わっ!」
怒ったそばからまた大河の腕の中の本がこぼれた。
 
私はみかねて落ちていた本を拾ってあげた。拾ったその本は2年の国語の教科書だった。「高校生の直木賞作家」。そんなタイトルが目に入った。1学期に授業でやったところだった。
 
このどんくさい人がこの文章編集したのかな?
 
「この文章、この前授業でやりましたよ」
ちらっとそんなことを言ってみた。
 
「あ、そうなんだ。うれしいなあ。これ僕が編集したんだよ」
やっぱり…。
 
「すごい…よかったです」
お愛想でもない本音の感想だった。高校生で直木賞作家になった人の話で、高校生なのに、お金を稼ぐこともできれば、こんな大人の世界に足を踏み入れることもできるんだって初めて知った。
 
「本当!うれしいなあ。そういってもらえたら徹夜した甲斐があったよ」
そういってくしゃっと笑った。
その顔がとても素敵だった。

この人ともっと話したい。
そんな気持ちがふんわりと生まれた。
思えばこれが私のひとめぼれだったのかもしれない。
そして、大河に恋に落ちた瞬間だったのかもしれない。
 
「笑ってしまったおわびに、私、持ちますね」
そういって私は、落ちた本を拾って持ってあげた。この人どんくさいからまた落とすかもしれないしね。
そして、落ちている本だけでなく、大河が腕に持っていた本も何冊か分担して持ってあげた。
「いやー、悪いね。君いい子だね」
「そんなことないですよ」
私はそんなことをいわれて恥ずかしくなった。そんなこといわれたのも久しぶりだった。私のこと、そんなふうに認めてくれる人がまだいるんだ。

私は恥ずかしくてわざとそっけなくいった。
本当はうれしくてニヤニヤしてしまいそうだったけれど。
「いや、とってもいい子だよ」
大河は何度もそう言ってくれた。
 
「この本、おじさんが全部作ったんですか?」
「お、おじさんって…。ショック。俺そんなに君と歳離れてないぜ。おじさんはないんじゃないか?ああ、ショック!JKにおじさんっていわれるなんて…」
大河は大げさに頭を振った。
私は思わずうろたえて、「あ、いや、ごめんなさい。えーと、なんて呼べば…?」
「あ、そういや自己紹介まだだね。僕は木下大河っていいます。河東出版で編集の仕事をしています。ええと、あとは何かな?ああ、そうそう、文芸担当をしています。この本のいくつかは僕が編集したものです。ただ、今テキストの編集時期でもあって、人員が足りてなくて…。僕はこの学校にテキスト見本の整理にやってきました」
 
へえ、文芸かあ。
「じゃあ、担当とかいるんですか?」
「うん、もちろんいるよ。まだ駆け出しなので数名だけどね」
 
そうなのか。
 
そんな話をするうちに職員室についてしまった。
道のりは長かったはずなのに、とても近く感じた。
この人といると楽しい。
 
「あ、ここが職員室です」
「ありがとう、じゃ」
そういって、大河は職員室に入って行ってしまった。
今まで仲良く話していたのに、もう終わり。
あまりにそっけなくて呆気にとられそうだった。
職員室の空いた扉からちらっと中をのぞくと、大河は教頭先生と長々と話し込んでいて、まだしばらくかかりそうだった。出入りの業者のようにぺこぺこと頭を下げていた。大人ってこういうことをするんだ。なんだかリアルに感じた。
 
私はいったん教室に戻ったものの、とても家に帰る気にはなれず、また職員室に行ってみた。
木下大河さんいるかな?
 
「おう、杉山、まだ帰らないのか?」
運悪く担任の丸山先生につかまってしまった。
でも、職員室にいる大河の姿は見えた。
「あ、はい、ちょっとほかの先生に質問があって」
「そうか、気を付けて帰れよ」
「はい」
 
「あ、杉山、教室に戻るならこの資料持って行ってくれ。教卓に置いといてくれたらいいから」

えー!

だけど、断る言葉も見つからず、私は大河の後姿を見ながらしぶしぶ教室に戻った。

スピードアップして、走って職員室に戻ってきたら大河はもういなかった。
あーあ。ショック。
丸山先生恨む。
もう一度ぐらい木下大河さんと話がしたかった。私杉山みなみっていいますってちゃんと伝えたかった。
「あれ?杉山、お前まだいたの?今度は何の用だ?」

丸山~。

「いえ、もう帰ります」
もういいんです。木下大河がいないならここにはもう用はない。さっさと帰りたい。
「おう、気を付けて帰れよ」
「はい」

あの人、もう会えないのかなあ。
また会いたいなあ。

山下大河…さんかあ。
みんなになんて呼ばれているのかなあ。
山下さん?
私ならやっぱり大河って呼び捨てにしたい。
大河。タイガ。
うん、いい響きだね。
タイガ、タイガ、タイガ。
タイガと…みなみ。
悪くない…よね?
久しぶりになんだか気持ちが華やいだ。