塾の終了は8:30。これ以降になると、親が帰ってきてしまう。親が仕事から帰ってきたとき、私が家にいないときっと大騒ぎになるだろう。そうなれば、きっと大河のせいと思い、私の自由はさらになくなってしまう。
もうあきらめて帰ろうと駅に向かって歩き出した時、ふと誰かに肩をつかまれた。

…!

びっくりして振り向くと、息を切らした大河がそこにいた。

「大河!」

「みなみ!ずっと待っててくれたのか?ごめんな。あーあ、こんなに体が冷えてしまって…。」

「出てこれたんだ!ああ、会えてよかった」

私は大河に抱き着いた。待っていた甲斐があった。
冷えていた体も気にならなくなるぐらい、心がほっこりした。

だけど、せっかくだけどもう時間が…。
ちらっと見た時計はもうすでに20:05。
せっかく会えたのに。
時は無常だ。

大河もそれを気にしていたようだった。

「みなみ、送っていくよ」

私は無言で大河に抱き着いた手に力を込めた。

「みなみ」

大河は優しく私の頭をポンポンと叩いて、私の手を握り、そのまま握った手を自分のポケットの中に突っ込んだ。

あったかい。
なんだかこういうちょっとしたことが今の私にはしみた。

大河はポケットの中でまるで私をなだめるかのように手を動かして私の手を握る。そして、そのまま駅に小走りに走り出した。

私は少し走るのを抵抗してみたが、大河が困った顔をしたので、それ以上は何もできなかった。

わかっている。
もう時間がないことは私が一番よくわかっていた。
もし、このまま、8:30の電車を逃したら。
帰りが遅くなったらきっとうちの両親は警察に連絡をして、大ごとになるだろう。そうしたら、今度は私は家も出られなくなるかもしれない。ここで、大河を待つことすら無理になるかもしれない。

そして、このまま、8:30の電車を逃したら。
わかっている。
そんな大きな代償を払っても、大河と一緒にいられない。
大河はたぶんもうすぐにでも仕事に戻らなくてはならないはずだから。
今だってなんとか抜けてきてくれただけだから。
私は一人また寒い木枯らしの吹く駅で次の電車を待たなくてはならない。

わかっている。
いろいろとわかっているけれど。

ただ、大河と一緒にいたいだけなのに。

このまま感情に任せて、いっそ何もかも投げ捨ててしまいたい。
そう思ったけれど。

わかってる。大河はそれを望んでいない。

「ねえ、みなみ。スマホはまだ戻らない?」
大河のその言葉を聞いて思わず泣いてしまいそうになった。

「ごめん。まだ…」

あの時、私がミスをしなかったら。
大河との連絡はもっとうまくとれていたのに。