夏、真っ盛り
暑い!
大人しく、内向的で、自他共に認める
インドア派の僕にとって
好きな季節は、秋と冬
嫌いだ、夏は
期末テストも終わって、夏休みまでのこの期間
好きな写真にも打ち込めず
僕は、だらけた毎日を送っていた
だらだらした気分になるのは
暑いから?
打ち込めるものが無いから?
違う
もっと、込み入った事情で
モヤモヤしているから
悶々としているから
言いたく無いけど
認めたく、無いけど
リン...のことが
頭の片隅に、引っかかって、いるから
あの蒸し暑い、夜
酔っ払いのリンから、受けた衝撃
「先輩から、告白された」って、事実
あれから、僕は、リンと話していない
避けていたんだ、無意識に
先輩のカノジョとなった、リンに
そう、僕は、噂で聞いた
リンは...告白を受けて
先輩と、付き合い始めた、らしい
港町のカフェで、楽しそうに話し合っていた、とか
手を繋ぎながら、歩いていた、とか
お似合いのカップルだ、とか
いや、避けていたのは
僕じゃなくて
リンの方かもしれない
僕に、気を遣っていたのか
恥ずかしかったのか
...どうでもいい
どうしようもない
僕たちは、ただの、幼馴染だ
いずれは、離れていくんだ
例えば、僕が
多分、あり得ないけど
誰かから、告白されたら?
僕が、その人と、付き合い始めたら?
リンは、どう思うだろう?
「幼馴染だから...」と思うだろうか
いやいや、アイツのことだから
「アツヤッ!この、裏切り者ッ!」
なんて、血相を変えるだろうか
...何だ、体が震える
このクソ暑いのに
スマホが、震えている
ああ、全く、気が付かなかった
誰から...?
え?リンの、お母さん?
「もしもし?」
「アツヤくん!アツヤくん!アツヤくん!」
いきなりの名前の連呼
リンのお母さん、ただならぬ雰囲気
胸騒ぎ
「おばさん、アツヤです、どうしたの?」
慌てふためく、リンのお母さん
その口調は、やがて、涙声に
「アツヤくん、リンが、リンがあっ!」
「おばさん、落ち着いて、ね
リンが、どうしたの?」
「く、く、車にっ!
は、はねられた、のおっ!」
急に、周りの音が聞こえなくなって
スマホを落としそうになって
地面に、崩れそうになって
かろうじて、僕は、でも
声が、出ない
何も、聞こえない
遠くから、何か聞こえる
うわんうわんと、響いてくる
何だ?誰だ?
僕に、話しかけてるのか?
「...ツヤ...くん...アツヤ...くん」
聞いてる...アツヤくん?」
いきなり、我に帰る
そうだ!電話だ!
リンのお母さんから
なんだって?
リンが、どうしたって?
ちょっとだけ、冷静さを取り戻した僕
おばさんの話によると...
...学校からの帰り道、リンは
いきなり車道に飛び出して
走ってきた車に、接触
救急車で、病院に運ばれたらしい
リンが、リンが、
車にはねられた?
とりあえず、おばさんから入院先を聞き出し
僕たちが住んでいる港町にある、総合病院へ
走る、駆ける
何だ、一体
どうしたって言うんだ、リン
いつも直感的に行動して
猪突猛進なイメージのある、彼女
どうして、車道なんかに
いきなり、飛び出したんだ
無事で
無事でいてくれ、リン
先輩の告白を受けたんだろ?
楽しそうに、カフェで笑いあってたんだろ?
これから、これから、お前たち
この角を曲がれば、総合病院
リンが運び込まれた病院
弾けるような笑顔のリン
いつも元気いっぱいのリン
リン!リン!リン!
待ってろ、リン!
病院の入り口が見えてきた
駆け込む
受付で、リンの病室を教えてもらって
5階へと、エレベーターで上がる
扉が開いた
消毒液の匂い、ツンと鼻をつく
どっち?右?左?
視線、感じる
正面から
エレベーターを降りたところに
いる、彼女が
あの、リンの友達の、武闘派の子
真正面に
射すくめられる、視線に
全力疾走で駆けてきた、息の荒い僕に
汗びっしょりの僕に
突き刺してくる、視線
しばらく、動けない、僕
でも
いつもと、違うような気がする、視線
僕を射すくめる、視線
レーザービームのような
いつもとちょっと違う、どういうこと?
何か、訴えかけるような、視線
一体、何を?
...そ、そうだ、そんなことより
リンの病室
どっちだ?右か?左か?
右手、握られる、いきなり
彼女から
確か、岸下...ミナさん?
レーザービームの、彼女から
え?何で?
「...こっち」
うわ、しゃべった
話しかけられた
そして...手を握られた
引っ張られる、彼女から
そう、右方向に
あ、ああ、案内してくれるの?
リンの病室へ?
「あ、ありがとう」
いきなり手を握られ
ちょっとドギマギする、僕を
手を握ったまま、導いてくれる
ナースステーションから、少し離れた病室
たくさんの人たちが、病室の前に
何やら、ヒソヒソ、ヒソヒソと話し合っている
レイコ先生がいる
リンの、取り巻きの、明るい友人たちも
一様に、暗い顔
まさか
容態が悪いのか?
瀕死の重傷なのか?
リン、リン、大丈夫なのか?
「岩田...」
いきなり声をかけられた
声の主は...レイコ先生
いつになく、深刻な表情を浮かべて
「先生?先生!リンは?リンはっ!」
「岩田...」
「リンは?大丈夫なんですか?
だ、大丈夫ですよね?」
「...心配すんな、怪我は、大したことない
意識もある、ただ...」
深刻な表情を、さらに曇らせて
視線を、病室の方に移す、レイコ先生
物音がして、病室のドアが開く
中から出てきたのは...リンのお母さん
たまらず駆け寄る
「おっ、おばさんっ!リンは?大丈夫ですかっ!」
「あ、ああ、アツヤ君...」
リンと同じく、いつも陽気なお母さん
人が変わったように、暗い表情を浮かべている
無理もないか、娘が車にはねられたんだから
「...うん、怪我はね、大したことないの
ただ、ね...」
その先...聞くのが、はばかられた
お母さんも、言いづらそうだった
「ただ...」って、何?
何となく
「会って、あげて...」
消え入りそうな声で、お母さんが告げる
そして、フラフラと、廊下のベンチへ
ドアの向こうに、あるのか
真実が?
リンが、いるのか?
無事なのか、リン
無事なんだろうな?
無事なんだよな?
真実を、見なくちゃいけない
おばさんの言っていた、
レイコ先生も言っていた
「ただ...」を、確かめるべく
後ろを振り返る
レーザービームを感じる
岸下さん、僕をじっと見つめている
軽く、しかし、しっかりとうなづいた、僕に
背中を押された、気がした
意を決して、ドアを開ける
病室には、ベッドが一つ
個室のようだ
若いドクターが、女性と何やら話している
女性は、ベッドにいる
半分、起き上がって
頭に、包帯を巻いている
リンだ
笑顔が無い
表情が、無い
ドクターが、僕の方に振り返る
「...君は?」
「あ、あの、友達です、彼女の...」
慌てて答える僕、
「そう、か...
話して、あげなさい」
ドクターまで、深刻な表情
ドクターが少し後ろに下がる
ベッドに近寄る
「リン?」
不安を押し殺すように、無理矢理笑顔を浮かべつつ
リンに、話しかける
リンは表情を、僕の方に向ける
「大丈夫か?心配したぞ?
あ、怪我は、どうなの?大丈夫なの?」
リン...じっと僕の方を見ている
うつろな眼で、どうした?
「もう、相変わらず、慌て者だな、お前
何?猫を助けようと、道に飛び出したって聞いたけど?」
リン、見ている、僕を
「あ、アツヤ!ゴッメーン!
アタシったら、ドジだなあ
アッハハハハー!」
そんなリンの反応を、待っていた、僕は
期待、していた
湧き上がる不安感を、押し殺して
「あの...」
「本当、ドジだなお前!
運動神経抜群なんだろ?車くらい避けろよ!」
「あの...?」
「やれやれ、ホントに、心配かけやがって!」
「あなた、誰?」
「もう、おばさんから電話かかってきた時は、
ほんと、びっくりしたよ!ハハハッ」
「どなた、ですか?」
「いやあ、イノシシみたいだな、お前!
猪突猛進って言うんだよ、そういうの!
で、どうなの?傷は痛むの?
大したことないんじゃ
......
え...?
「私の、お友達、ですか?」
え...え...?
リン?
リン?リン?
どう、しちゃったの?
どうなっちゃったの?
「どなた?」だって?
「誰?」だって?
あ、そうか、人違いか
つまり僕が、慌てて、隣の病室に入ってしまったとか
リンの顔を見る、もう一度
...リンだ、間違いない
いつもの、弾けるような笑顔、無いけど
間違いないのに、リンなのに
「あなた、誰?」だって
あ、そうか、わかったぞ
僕が来るのが遅かったから、怒ってるんだろ?
拗ねてるんだろ?
ああ、わかったわかった、今度何か奢ってやるから
特盛フルーツパフェでいいか?
奢ってやるから、な
いやいや、お前、もう彼氏いるんだっけ
僕が出しゃばっちゃ、申し訳ないな
機嫌、直せよ
なんだよ、それ
なんなんだよ、それ
冗談にしては出来すぎてる
サプライズ?人を散々心配させといて
ひどいなお前、いくら僕でも傷つくぞ
振り返る、
ドクターの顔を、見る
力なく、首を横に振っている
「やっぱり、ダメか...」と言わんばかりに
ずるずると、体から力が抜けていく
足元から、床に沈んでいくみたいだ
後ろから、誰かに抱えられる
沈み込みそうな、僕を
「岩田、こっち来い」
レイコ先生だ
そして、誘導される、部屋の外に
病室の外へ
みんながいる、一様に、沈んだ表情で
僕は...僕も、同じような表情をしているんだろう
抱き抱えられるように、僕は談話室に
「お母さん、後は、私が...」
一緒についてきたリンのお母さんを
優しく、制して、レイコ先生が
僕を、椅子に座らせる
いつになく、深刻な表情を顔に張り付かせた
レイコ先生
「岩田、あのな...
リン...ちゃんは、な...」
「キオク...ソウシツ...?」
にわかには、理解できなかった
またまた、レイコ先生、冗談きついな
その病名...記憶喪失の言葉を聞いて
信じられなかった
小説や、映画では聞いたことがあるけど
「岩田、まあ、落ち着いて聞け、な」
落ち着いているけど
取り乱しても、無いけど
ちょっと、動揺しているだけだ
いや、取り乱してるか、かなり
レイコ先生の話によれば...
学校からの帰り道
幹線道路の、歩道を歩いていた、リン
道路を横切った、黒い物体
(子猫だったらしいけど)
拾い上げようとして
歩道の柵を、咄嗟に乗り越えて
道路の真ん中あたりで、立ち竦んでいた
子猫を、抱き上げて
そこへ...
車が近づいてきて、急ブレーキ
も、虚しく
ドンッ、という音とともに、リンは
車にはねられ、宙を、舞って
地面に、叩きつけられた、らしい
持ち前の運動神経の良さで
受け身をしっかり、取ったみたいだけど
後頭部をしたたかに打ち付けて
そのまま、昏倒
救急車で、病院に運び込まれた
当初、意識はなかったらしいけど
ドクター達の懸命の措置によって
意識を、取り戻した
が...
病院に駆けつけた、リンのお母さん
頭に包帯を巻かれているものの、
無事な娘の姿を見て
喜び、ベッドの上のリンに抱きついた
「あの...あなた、誰?」
その声を聞くまでは
おばさん、リンのお母さんは
僕と同じ様に
娘の無事を、ただ喜んで
リンの言葉を、悪い冗談だと思っていた
らしい
確かに、そうだ
いつも、弾けんばかりの笑顔を振りまいて
こっちが落ち込んでいても、つられて
笑ってしまいそうな、笑顔で
「アッハハハハー!」なんて笑い飛ばして
そんなリンが
白く、冷たい
能面の様な表情で
「あなた、誰」
だって?
「...岩田、岩田!」
レイコ先生の声で、我に帰る
「は...い」
呆然としている、僕
何とか、返事をする
もうダメだ、腑抜けだ
「しっかりしろ!男だろ?
リンちゃんの幼馴染みなんだろ?」
僕の肩を、バシバシ叩く先生
「はい...」
「だったら...
守ってやれよ、リンちゃんを!」
しばらくして
レイコ先生を始め、お見舞いに駆けつけた人達は
重苦しい表情と足取りで
そう、鉛を流し込まれたかの様に
一人、二人と、病院を後にして行った
まだ、残っている
名残惜しそうに
閉じられた病室の扉を、見つめて
岸下さん
あの、武闘派の女の子
リンの、親友だったっけ
お母さんから、
「もう遅いから、帰って?」
って言われて
お母さんに、深々と頭を下げて
長椅子にへたり込んだままの僕を見つめて
...何か、違う
いつもの、レーザービームじゃない
睨みつける様な、ではなく
僕の心を
心の奥を、揺さぶる様な、視線で
同情しているのか?僕に?
幼馴染みが、リンが、
記憶喪失になったから?
「アツヤくん...」
お母さんに話しかけられて、振り向く
寂しそうな、疲れた表情で
それでも、精一杯の笑顔を浮かべて
「今日は、ありがとうね」
「あ、いえ...」
これから、どうなるんだろう
どうすれば、元のリンに
戻れるんだろう?
「おばさん、気を確かに...」
言えなかった、さすがに
僕なんかが
おばさんに、そんな、偉そうなこと
お母さんに別れを告げ
病院の、エレベーターに乗る
堂々巡りだ、頭の中で
ドクターでもないのに
...キオクソウシツ、だって
遠い世界の、そう、
小説や映画の世界、だけって思っていた
ガコン、軽い衝撃
ああ、一階についたな
扉が開いて、エレベーターを降りる
ああ、白いな
病院の、研究施設みたいな場所かな
降りるフロア、間違えたみたい
...白い?
視界は、確かに白い
でも、何もない
研究施設によくあるような
いや、それも、僕は行ったことないけど
その...ベッドや、医療機器とか
何も、ない
ただ、そこには、白い世界が
第一、僕は、エレベーターを
一階で、入りたはずだ
病院の一階は、普通は受付や初診のエリア
真っ白の、医療施設?
ふと思いつき、後ろを振り返る
ない
僕が出てきたはずの、エレベーターのドア
つまり、後ろも、真っ白
180度、回ってみる
真っ白だ
違う
ここは、医療施設なんかじゃない
僕は
どこか、異質な空間に
迷い込んだんだ
つまり、ここは
異次元だ
前後左右、真っ白
遠くを見ようとした
ボンヤリと、霧のようなものが
「...アツヤ.....」
どこだろう、ここ
白い、世界
...としか、表現できない
目に映るもの、全てが白
というか、周りに、何もない
ここは、どこだ?
屋外なのか、それとも室内か
「アツヤ...アツヤ...」
暗くはないけど、とにかく白い
そして
体の周りを、霧が
白い霧が、たなびいている
「...アツヤ...アツヤ...」
誰の声だ
僕を、呼んでいる、のか?
「どこ?
どこにいるの?アツヤ?」
リン!
リンの声だ
近くに、いるのか?
リンも、この白い世界に
迷い込んじゃったのか?
「リン、どこだ!」
呼んでみる、声のする方向に
いや、リンの声が
どこから聞こえてくるか、わからない
だから、180度、周りながら、叫ぶ
怖い
いきなり白い世界に迷い込んで
出口も全くわからず
誰にも助けを求められず
怖くて、不安で、叫びたくなる
でも
僕以上に、リンは
怖がっている、はずだ
元気いっぱいで、野獣系で
多少、男勝りで
そんなアイツも
実は、本当は、物凄く怖がりで
...2年前、遊園地のお化け屋敷に
行った時も、
ガタガタ震えて、ギャアギャア叫んで
入り口から出口まで、僕に
しがみついていた
半泣きになりながら、だ
そのくせ、お化け屋敷から脱出すると
しがみついていた僕から、さっと離れて
「ああ、楽しかった!
もう、アツヤはホントに、怖がりだなあ!」
なんて、ヌケヌケと口にして
夜の公園で
タバコを吸っていたヤンキーたちに
注意した時だって
強がってたけど
顔面蒼白で
ガタガタ震えていたよな、お前
「リン!いるんだろ?
どこだ!」
「...こっちだってば、アツヤ!」
だから、その「こっち」がわからないから
苦労してるんじゃないか
白い霧の世界
霧を払おうと
両手をグルグル、回しながら
多分、リンも、同じことをしてるんだろう
早く、見つけなきゃ
リン、どこにいる?
僕以上に、怖がってる、リン
声から、伝わってくる
ん?白い世界が
少しずつ、変化して
違う色の、霧が
黒い、霧が
僕の周りを、包み込む、ように
まだだ
まだ、ダメだって
ただでさえ、リンを探すのに
苦労してるのに
今度は黒い世界か?
僕の周りは、徐々に白から黒へ
ますます、見えにくくなって
黒く変わりつつある、異次元の世界
白と黒、以外で
何かが、見える
手だ
リンの手だ!見つけた!
黒い霧の渦から、伸びてきている
「リン!リン!見つけたぞ!」
「アツヤ!もう、何してたのよ、今まで!
遅いじゃないか!」
リンの声、聞こえる、近くに
怖かったのか、半分泣き声だ
「アツヤ!
早くきてよ!ここだって!」
もう、すぐそこだ
手を伸ばす、思い切り
リン、ここだ、僕はここだ
掴まれ!
ここから、脱出するぞ!
ああ、邪魔だ、黒い霧
見えなくなる、リンの手が
掴めないっ!
僕の体は、包まれる
黒い霧に
見えないっ!
どこだっ
どこだどこだどこだ
「...わああああああっ!」
「アツヤ!アツヤ!大丈夫か?」
...お母さ...ん?
目の前に、母親の顔
あれ、僕は、一体?
「...もう、あんた、びっくりするじゃない
うなされて、叫んで...」
ああ、そうか
夢だったんだ
それも、悪夢...
ひどい...夢だった
ん?ちょっと待てよ
どこからが、悪夢だったんだ?
「あんた昨日、病院からフラフラで帰ってきて...
そのまんま、寝ちゃったでしょう?」
え?僕が?病院から?
「リンちゃん、大変なことになったわね...」
...と、いうことは
リンが事故に遭って
記憶喪失になっちゃったのは...
悪夢、ではなくて、
現実、か...
「...アツヤ、あんたもしっかりしなさい!
リンちゃんの幼馴染み、なんだから」
お母さん、そう言って、部屋から出て行く
ああ、今日は
土曜日、だったな
学校は、休みか
ひどい夢を見たせいか
体が何か、ギクシャクする
とりあえず、病院に行ってみた
淡い、期待を胸に
そう、リンが
記憶が戻って、いつも通りのリンに戻って
病院に着くと
リンのお母さんが、病室の前で
ドクターと、何か話している
深刻な表情、全てを物語っている
やっぱり
戻ってないんだ、記憶
ドクターとの話が一段落したのか
リンのお母さんが、僕の方を見る
「アツヤくん、ありがとう!
来てくれたのね!」
明るい笑顔、無理やり作って
リンが...娘が、記憶喪失になって
僕以上に、辛いはずだ
泣きたいはずだ
僕の方に寄ってくる
リンのお母さん、僕を談話室へ誘導する
自動販売機のミルクティーを、一口飲んで
「アツヤくん、リンは、ね...」
昨日は、僕もかなり、動転していて
詳しい話は、聞けなかったけど
絞り出すように話す
お母さんの話
リンをはねた、車の運転手
すぐに救急車を呼んで
警察の事情聴取、実況見分にも素直に応じ
...何よりも、
「申し訳ありません!申し訳ありません!」
って、土下座せんばかりに謝罪して
自らの過ちを、心から悔いている、らしい
「...その人、30歳の会社員さんでね、
あれだけ謝られると、さすがに私も...」
確かに、状況だけ聞くと
いきなり車道に飛び出した、リンに
非は、ある
運転手も、避けようがなかったんだろうな
さらに
車のドライブレコーダーにも
リンがいきなり飛び出して
はねられる、一部始終が、映っていたらしい
「まあ、後々の補償は、全て責任を持つって、言ってくれたんだけど...」
それにしても
自らの危険を省みず
仔猫を助けるためだけに
車道に飛び出すなんて
いかにも、リンらしい
「あの、おばさん、リンは?」
「ああ、今、寝てるんだけどね
記憶は、やっぱり...」
やっぱり、
戻ってないんだ
疲れた様子のお母さん
それでも、しっかり、話してくれた
...今日は土曜日で、検査はない
来週、月曜日から、本格的な検査、治療が
始まるとか
まあ、確かにそうだな
僕みたいな、素人が
ただの幼馴染みが、
軽々しく、口を挟めるような
問題ではない
「...アツヤ君、見ていく?
リンの顔...?」
「あ、はい、
でも今、寝てるんじゃ?」
起こしても悪いんだけど
でも
お母さんと一緒に、静かにドアを開ける
ベッドの上で
仰向けになって、寝ている
静かな、寝息を立てて
ちょっとだけ近寄って
見下ろす、リンの顔を
衝動が
沸き起こってくる
「起きろ、起きろ、リン!
いつまで寝てんだよっ!」
「あれ、アツヤ?何してんの?
アタシ、なんでこんなとこにいるの?
...なんだ?こんなホータイ
邪魔だ邪魔だ!」なんて
頭に巻かれた包帯を、むしり取って
「お母さん!お母さん!
アタシ、腹減った!メシ!」
そんな、リンを
いつも通りのリンを
想像して...
我に帰り
静かな寝顔を、もう一度、見下ろして
病室を、出ようとする
ドアに向かう
「...い、ちゃん...」
あれ?
なんだ、寝言か
「おにい、ちゃん...」
そう、聞こえた
リン?
起きてるの?
目が覚めてるの?
お兄ちゃん...って
言ったよね?今?
夢?見てるの?
ひょっとして
ひょっとして、記憶が
戻ってるの?
お母さんの方を、見てみる
力なく笑顔を浮かべ、首を横に振る
そして僕を、病室の外に、誘う
「...寝言、みたいなの...」
談話室で、コーヒーを飲みながら
お母さんが、続ける
「...記憶が、無いにも関わらず...」
決まった寝言だけ、時折
「...お兄ちゃん、って、ね...」
何だろう?お兄ちゃん?
彼女は、リンは一人っ子だから
お兄さんは、いないはず
と、すると...?
幼い頃の、記憶が、甦る
「大きくなったら、お兄ちゃんの
お嫁さんに...」
そんなこと、言ってたけど
リン、小さい頃に
僕のことを、同い年なのに
「お兄ちゃん...」って
慌てふためいて、駆けつけた僕に
「あなた、誰?」
「私のお友達、ですか?」
...って、口走った、リン
寝ている時は
その時だけは
昔の記憶が、
甦るのか?
フラッシュバック、ってやつか
「おばさん...
あの、リンは...?」
これから、どうなるんですか
どうなっちゃうんですか
聞けなかった
いちばん、ショックを受けている
リンのお母さんに
娘がいきなり、記憶喪失になって
これからのこと、どうしようとか
いつ、記憶が戻るのか
そんなことで、頭がいっぱいで
不安で、心配で
押しつぶされそうに、なっているはず
ただの幼なじみの、僕が
僕なんかが
自分勝手に
いい加減に
聞ける、わけがない
「アツヤ君、リンはね...」
無理矢理、ぎこちない笑顔を浮かべて
おばさんは、僕に話してくれた
ドクターの話によると
来週から、本格的な治療が始まる
路面で強打した後頭部
傷は、大したことないらしいんだけど
やはり、記憶が
記憶を、戻す治療を
いや、治療というか、カウンセリング
らしいけど
「...長く、かかるかも...
いつになるか、わからない
...根気のいる、ものらしいの...」
...そう、だろうな
現実か
あまりにも厳しい
そして、つらい
とりあえず、月曜日からの治療に
ドクターたちの腕に
期待するしか
託すしか、ないのかな
夕方まで残っているっていう
おばさんと別れ
少々、ふらつく足取りで
病院を後にした
家までの道のり
いつもよりも、遠く
そして、長い
...感じる
視線
見ている、僕を
射抜く、レーザービーム
自動販売機の陰に
制服姿の、女子高生
しかも、長身の
...岸下さん?
いつも、僕を
レーザービームのような視線で
睨みつける、彼女
こんなところで、何を?
...ああ、リンの親友だから、彼女
お見舞いに、来てたんだろうか
病院では、見かけなかったけど
何故だろう
いつものように
レーザービームなのに
敵意らしきものは、感じられない
会釈をして、傍らを通り過ぎる
...ようとした
右手を、ガッシと掴まれ
引っ張られる
な、なんか、すごい力で
いや、引きずられて
「?ちょ、ちょっと...?」
近くの公園まで
連行(?)され
ベンチに、座らされる
岸下さん?
近くの自動販売機まで走り寄り
ミネラルウォーターを2つ、買って
どうして、2本?
1人で2本、飲むつもりなのか?
逃げようかな?今のうちに
彼女、確か
空手部所属で
バリバリの体育会系
僕に何らかの恨みや敵意があれば
今この場で、痛い目に遭わされるかも
いや、ちょっと待てよ
空手部だから
部員たち全員招集して
僕を、取り囲んで
集団で、威圧して
何らかの、謝罪を強要するのか?
特に、悪いことしたり
機嫌を損ねるようなこと、したり
全く、覚えが無いんだけど
邪推かな?
一瞬、思ったけど
彼女の、様子がいつもより
変わっていたので
ベンチで、おとなしく、待っていた
スタスタと戻ってきた彼女
「ん!」
僕に、ミネラルウォーターのボトルを
押し付けた後
彼女は自ら、ボトルのキャップを
パキッ!と開けて
腰に手を当てて、ゴッキュゴッキュと
いわゆる、ラッパ飲み
プハアアッ!と豪快な声を張り上げて
そんな姿を、呆気に取られて見ている
僕に、気がついたのか
少々、動揺したのか
頬が、ほんのりと、赤い
ドギマギした様子で
「ん!んん!」と
僕に、促す
ああ、飲んでいいのかな
ミネラルウォーター
いいんだろう
僕も、負けじと
パキャッとキャップを開けて
ゴッキュゴッキュと、ラッパ飲み
乾き切っていた、僕の体
リンのことが心配で
これからのことが、不安で
ほとんど、一気飲み
全身に、沁みわたる
...こんなに、こんなにも
乾き切って、いたのか
多分、いろいろ、思い詰めて
ひどい表情を、してたんだろうな、僕
「...ふううううっ...」
一気飲みする、僕を見届けて
ゆっくり、安心したような一息をついて
「...じゃ...」
岸下さん、回れ右をして
駅の方角へ
「...あ、ありがとう!」
後ろ姿に、声をかける
ピタッと足を止めて
振り返りもせず
「あの、さ
あんまり、思い詰めんなよ...」
ぼそっと口走って
いきなり、走り出した
ほとんど、ダッシュに近い
公園を飛び出して
駅の方角へ、走り去った
敵意、ではない
彼女が、岸下さんが抱いているのは
そう、僕に対して
リンを気遣う者同士の
心配し合う、仲間同士の
シンパシー、みたいな、ものか
そう、彼女も彼女なりに
親友として、リンを心配して
そこに、ひどい顔の僕が現れたから
「飲め!」とばかりに
ミネラルウォーターを差し出したんだろう
いわば、岸下さんは、
僕たちは
「戦友」みたいな、ものか
...それは、わかるけど、何となく
今までの
リンが事故に遭うまでの
岸下さんの、あれは?
僕に対する、レーザービームは?
僕を射すくめるような、視線は?
結構、怖かったんだけど
一体、何だったんだろう
...やっぱり、敵意かな?
......週が、明けて
記憶喪失になった、リンの元へ
大勢の、見舞客が訪れた
常に明るくて、人気者だったリン
面会時間は、病室の前に列ができるほど
学校の友人たちはもとより
バトンスタジオの関係者たち
ご近所のおばさんたちまで
入れ替わり立ち替わり
リンの病室を訪れて
「リンちゃん、アタシよ!
一緒によく遊んだじゃない?」
とか
「おばさんのこと、思い出せないかな?」
とか
バトンスタジオの人たちは
リンが演技している写真や、動画
それに、リンがクルクルと回していたバトン
持ち込んで、リンに示して
そしてみんな、同じように
落胆して、肩を落として
病室を、後にして行った
それこそ、戦いに敗れた兵士のように
リンのお父さん
東京に単身赴任中だったけど
当然、娘のことが心配で
長期休暇を取得して
帰って来ているけど
リンにいろいろ話しかけているけど
やっぱり、ダメだったらしい
いろんな人が話しかけるたび
「あなた、だれ?」
「私を、知っているのですか?」
「知りません
私の、お父さん、ですか?」
リンは、表情を変えないまま
淡々と、
そして、事務的に
時には、冷たく
答える、らしい
僕は
ほぼ毎日訪れる、見舞客たちの
大量に訪れる、見舞客たちの
病室に入る前の、期待感と
病室を後にする時の、
落胆、失望感を
病室の前で、見続けて
そして、夕方の
面会時間が終わる直前
リンの病室を、訪れる
毎日、検査やカウンセリングで
その上、大量の見舞客を相手にして
しかも
「リンちゃん、アタシよ、覚えてないの」
なんて質問攻めにされて
混乱して、疲れている、リン
せめて、僕だけは
「僕のこと、覚えてないのか!」
なんて、追い討ちをかけるようなことは
やめておこう
リンが
かわいそうだ
「...アツヤ、さん...?」
記憶を無くして
違う人格になった、リン
ほとんど毎日
欠かさず、お見舞いに訪れる、僕を
僕の名前を、覚えてくれた
つらいのは
彼女の幼なじみ
底抜けに明るい
いや、明るかった
以前のリンを知る、僕として
弾けるような笑顔で
「アツヤアアアア!」ではなく
不安気に、気弱な笑顔を浮かべて
精一杯の、笑顔を浮かべて
「...アツヤ、さん...」
って、僕に話しかけること
つらいけど
表情に出せば
リンも、不安がる、はずだ
ここは、努めて冷静に
そして、普段どおりに
「リンさん...こんにちは!
具合はどう?」
他人行儀だ、と思う
しらじらしい、とも思う
ついこの前まで
お互い、幼なじみとして
遠慮も、特に気遣いもなく
普通に、接していたのに
普通に会話して、笑い合って
笑い転げて、いたのに
今、僕の目の前にいるのは
記憶を無くした、リン
おとなしくて、おしとやかで
そして、神経質で
ほぼ、別の人格だ
言ってみれば、裏リンだ
「...アツヤさん、私...」
裏リンが、僕に話しかける
「...その、疲れて...」
何か、申し訳なさそうに
...そうだろうな、きっと
ほとんど毎日、お見舞い客がひっきりなし
それだけじゃない
当然、治療のための、検査やカウンセリング
自分は、自分じゃない
私は、一体、誰?
みんなは、私のこと「リン」って
呼んでるけど
何もわからない
何も、思い出せない...
彼女にとって
毎日、混乱の連続で
居場所が、無いんだろうな
こんな時、僕は
どうしたら、いいんだろう
幼なじみとして
「リンさん...」
そもそも、彼女のこと
記憶を無くした彼女のことを
「リン」として
話しかけて、いいのだろうか?
自分で、自分が誰か、
どこの誰か、わからなくなっているのに?
「私、の名前...
リンって、いうの?アツヤさん...」
そう、だよ
君は、僕の幼なじみで
底抜けに明るくて
蛾、みたいに、うるさい時もあるけど
怖がりで
そのくせ、他人にすごく優しくて
そんな君が、そんな君が
うるさいな、って思う時もあったけど
違う
違う違う
僕は、君のことが、君のことが
本当は、
好き、だったのかも、しれない
あれ?リンの顔が
にじんで、ぼやけて
何だ、リン
いや、「リンさん」
そんな眼で、僕を見るなよ
「アツヤ、さん?」
そんな眼で、見るなって
「うん、リンさん...
今日は、疲れたでしょ?」
リン、僕を見ている
「アツヤさん...あなたは
私に...」
何か、言いたげだけど
「言わないのね、
思い出せ、って...」
そうだ、な
本当は、聞きたいんだけど
言いたいんだけど
「ちょっと、待ってて!」
不思議そうな表情を浮かべるリン
病室を飛び出した僕
談話室の自動販売機で
オレンジジュースを買って
リンの病室にかけ戻る
「こ、これっ!
疲れたでしょ!」
オレンジジュースを、押し付ける
呆気に取られていた彼女
途端に、明るい笑顔を浮かべて
ああ、あの事故の日から
僕も周囲の人も
当然、リン自身も
緊張の連続で
笑顔を浮かべる余裕なんか、なかったのに
リン、笑えるんだな
「あ、それじゃ!
僕もう、帰るねっ!」
なんかこう、急に恥ずかしくなって
病室の出口に向かう
ドアノブに手をかける
「あ、あのっ!」
背後でリンが、僕に話しかける
「アツヤさん...
また、来て、くれますか?」
「アツヤ!」ではなくて
「アツヤさん...」か
いい、けど
ちょっと、つらい、な
精一杯の作り笑いを浮かべて
「...も、もちろんだよ、リンさん
じゃあね!」
......
それから
1週間が過ぎ
2週間が過ぎ
リンに対して、記憶を呼び戻すための
治療や、検査が続け様に行われ
その全てが、芳しくなく
結果が、思わしくなく
治療に全力を尽くしてくれた
ドクターや、カウンセラーたちも
自らの力不足、不甲斐なさを嘆き
以後は、自宅療養、そして
通院による、経過観察治療、と
いうことになって
リンは退院して、自宅に戻った
約2週間の入院期間中
僕はほぼ毎日、お見舞いのため
リンの病室を訪れた
治療や検査、その他
他の見舞客たちが、何かの拍子に
リンの記憶を呼び戻し
元の賑やかな(そして、うるさい)
リンが、戻ってくることを信じて
僕の他には、そう、ほぼ毎日
病室を訪れた人は
そう、リンを車ではねた、会社員
毎日毎日、お花や果物を抱えて訪れて
対応したリンのお母さんに対して
「申し訳ございません!」って
何度も何度も頭を下げて
真面目で、誠実な人なんだろうな
その他には
リンと仲良しだった、岸下ミナさん
空手部所属で
レーザービームの、眼チカラの持ち主
ちなみに、リンに告白した
勇気ある、そして物好きな先輩、は
1回もお見舞いに訪れることもなく
忙しい部活動を含め、日常生活に
戻って行ったらしい
まあ、無理もないかな
リンと交際して、1ヶ月も経っていないんだし
付き合ってる彼女が
「記憶喪失」なんて、
ヘヴィーすぎるに決まっている
当の本人である、リンは
毎日の治療、検査や
カウンセリングやら
その他、お見舞い客たちから
「どうして思い出せないの?」
なんて言葉を、毎日浴びせられ
耐えきれず、時には
錯乱状態に、陥ったこともあるらしい
まあ、無理もないか
事故で病院に担ぎ込まれて
目覚めると、知らない場所にいて
記憶にない、知らない人たちから
「どうして、思い出せないの?」とか
「私のこと、覚えてないの?」なんて
毎日毎日、
シャワーのように浴びせかけられて
神経質にならない方が、おかしい
...ん?ちょっと待てよ
もし、状況が逆だったら?
例えば
元々物静かで、お淑やかなリンが
あり得ないことだと思うけど
事故によって、記憶喪失になって
賑やかで、うるさいリンになって
同じように、
「思い出せないの?」攻撃に晒された場合
どうなるだろうか?
「えー?アタシ、だれ?
思い出せないや、アッハッハ〜!」
なんて、言うだろうか?
そんな時、僕は
一体どうやって、リンに話しかければいいんだろう?
事故から1ヶ月後
相変わらず、リンの記憶は戻らず
ずっと入院治療が続いていたけど
リンは、退院することになった
今後は、定期的に通院して
記憶を戻すための治療を、続けていくらしい
学校?どうするかって?
僕が軽々しく言えることじゃないけど
環境の激変は、治療に悪影響を及ぼすとのことで
しばらく、休校扱い、になった
季節は、もう9月
2学期が始まった
リンは、休校中なので、自宅待機
僕は、学校へ
授業が終わった後、自宅へ帰る途中
必ず、リンの家に立ち寄る
リン...おばさんの話によると
入院中、感情の起伏が激しく
見舞客から、
「覚えてないの?」
「思い出せないの?」
「どうして、こうなっちゃったの?」
なんて、質問責めを受けて
取り乱し、泣き叫ぶ時もあったらしいけど
退院後は、徐々に落ち着きを取り戻し
穏やか(?)な毎日を送っているとか
「でもねえ...」
リビングでコーヒーを飲みながら、おばさんが続ける
「リンの、ときどき思い詰めたように
考え込むことがあるのよねえ」
ちょっと疲れた表情で、話してくれた
元気いっぱいではじけていて
うるさいくらいの娘が
いきなり記憶をなくして
性格も、正反対の、おしとやか(?)な娘に変貌したら
実の親として、どう接したらいいんだろう?
「おばさん、ぼくは...」
どうすればいいんですか?
リンとどう接すればいいんですか?
リンは今後、どうなるんですか?
聞けない、聞きづらい、けど
わかっているけど
「アツヤ君...
無理しなくて、いいのよ?
リンとは、今までどおり、話してあげて...」
いいんだろうか、それで
今まで僕、リンと
どう、接していたっけ?
何を、話していたんだっけ?
「...アツヤ、さん...?」
ふっと我に帰り
目の前には、リンの顔
不安気に、僕の顔を覗き込んでいる
「あ、ああ、ごめんね
何でも、ないよ」
僕たちは今、リンの部屋にいる
酔っ払いのリンを引っ張り上げて
必死に介抱して
そして
キス(?)寸前まで行き詰めた
あの、部屋だ
サッカー選手のポスターも
ゴチャゴチャに本とかノートとか積み上げた机も
僕たちが、倒れ込んだベッドも
全く、変わっていない
部屋の中だけか、変わってないのは
リンが、劇的に変わったから
僕も変わったのかな
変わらないといけないのか
いやつまり、人間も世界も
変わらないものなんて、ないんだ
早いか遅いか
ゆっくりか、突然か
その違いだけか
考えても、仕方のないことだと思う
でも、本音は、本当は
元に戻って欲しい
リンに、記憶が戻って
「アッハハハハー!」なんて笑って
「アツヤ!何してんのよ、行くよ!」
なんて、僕を引きずって
「アツヤさん、私...」
リン、僕を見ている
弾けるような笑顔、ではなく
僕の心の奥底を、見透かすように
深淵を、覗き込むかのように
「...今のままじゃ、ダメ、ですか?」
心臓、トクンッと跳ねる
2つの澄んだ瞳、僕を見続ける
他人、だ
裏リンだ
僕は今、リンとは違う、誰かと話している
試されている、ような、気がする
いや実際、試されてるのか
今のまま、って
記憶をなくしたまま?
「裏リン」のまま?
僕のことを「アツヤさん」って呼んでくれる
お淑やかで、奥ゆかしい、女の子のまま?
...そんな、こと
自然と、視線を落とす
おばさんが運んでくれたジュース
グラスの中で、氷も溶けて
すでに生ぬるく、なって
不安、なんだろう
「記憶を戻せ」
「私のこと、覚えてないの?」
「どうして思い出せないんだ!」
病院のドクターから
親戚、友達から
夕立のように、浴びせられて
時々、追い詰められて
錯乱状態になって
笑顔、最近、笑ってないな
視線を下に向けたまま
生ぬるくなったジュースを見つめながら
極力、不自然にならないようにして
顔、あげて、リンに向き合う
引き攣った笑い、していると思う
作り笑い?そうかもしれない
これしか出来ない、かまうもんか
「...無理、しなくて、いいよ...」
今のままじゃダメですか?なんて質問に
答えに、なってない
余計、不安に思われる
もっと気の利いたこと、言えないのか、僕
リン、しばらく僕の顔を見つめて
「アツヤさん、ありがとう」
弾けるような笑顔じゃないけど
ちょっと気弱そうに、微笑む
...「見守ってあげて、欲しいの」
リンの家のリビング
コーヒーを飲みながら、僕に語りかけるおばさん
リンは...疲れたってことで、自室で寝ている
努めて明るく、普通に振る舞おうとしているおばさん
何となく、辛そうだけど
「記憶ってのはね...
戻るのに、途方もない時間が、かかるらしいの」
僕も、本で読んだことがある
ふとしたきっかけで、全部思い出したり
徐々に、思い出したり
一生、記憶が戻らなかったり
いろんな症例があるらしいけど
リンの場合、どうなのだろう
記憶を失ったというより
ほぼ、真逆で、別の人格、だけど
元に戻る時は、来るのだろうか
それは、いつだろう
そして、どうすれば?
「それは、ドクター...
いや、もう、どちらかと言えば、カウンセラーね
その、腕次第、ってことかしら...」
事実、おばさんも...
リンに「私はあなたのお母さんなのよ!」とか
「どうして思い出さないの!」とか
強行的に詰問することは、してないらしい
...そりゃ、できないだろうな
ドクターやカウンセラーは別にして
そんなことすれば、リンは混乱して
錯乱して、半狂乱になって
自分の世界の、奥に逃げ込んでしまう
裏リンとして、普通に接する
見守る
それしか、できないのか
「...あの子、あなたを、頼りにしているの
あなたにとって、重荷かもしれないけど...」
難しいな
普通に接する、なんて
確かに、重荷だ
でも僕に、
他に、何が、できるだろう
このまま、裏リンと
普通に接して...
近づいてくる、誰か
リンの家を出て、その直後
近づいてくる
しかも、高速で、早足で、ツカツカと
眼力がすごい、レーザービーム
岸下さん?
ロングの黒髪をなびかせて
1メートル
ガッシ!腕を掴まれる
「...来い」
腕を引っ張られて、連行?
ど、どこへ?
「い、いいから、来い!
いや、来なさいっ!」
何だろう、この前と一緒だ
この人、かなり強引だけど
最近、敵意は、感じられない
少なくとも、危害を加えられることは
ないだろうけど
強引に引っ張られていたけど
そのうち、手は離されて
無言で、並んで、歩き続ける
坂道を降り
賑やかな街並みに
岸下さん、スタスタと歩いて
僕は、トボトボとついて行って
着いたのは、おしゃれなカフェ
再び僕の腕を掴んで
「ちょ、ちょっと...!」
岸下さん、僕を店内に連行
黙秘権、拒否権はないのか
こんなおしゃれなカフェ
縁がないし、来たこともない
こんなところで、何を?
取り調べか?吊し上げか?
はたまた、裁判か?
そうこうするうち、着席して
しばし、無言
何を話せば、いいんだろう
第一、共通の話題がない
あ、共通の、と言えば
同級生で、クラスは違うけど
リンの、共通の友人
それくらいか
チラチラと、岸下さんを見る
盗み見る
無言だ
所在なさげに、手元でスマホを触っている
いや、画面、見てないみたいだけど
ふっと視線を上げる
眼が、合った
何だろう、なんていうか
しばし、僕を見つめて
レーザービーム、ではない
敵意は、感じられない
それどころか
あれ?どうしたんだろう
顔が、真っ赤だ
熱でもあるんだろうか
「な、何だよ!」
い、いや、別に...
怖いな、何となく
そうこうするうちに
僕たちの前には、
巨大な、フルーツパフェ
あれ、こんなの注文したっけ
美味しそう、だけど
戸惑ってる僕をほっといて
岸下さん、パフェを食べ始める
硬い表情が、ゆっくりと、徐々に
雪解けのように、
意外だ
こんな表情、できるのか、この人
パフェを頬張って
むふううっ...てな感じで
呆気に取られて、見つめる僕
ポカンと口を開けて、
さぞかし、マヌケな表情なんだろうな
パフェをすくって、口を開ける岸下さん
視線が、合った
「...何だよ?」
低い声で、責めるように
いや、その...
美味しそうに、食べるんだね
あ、また顔が赤い
なんか、悪いこと言っちゃったかな
怒らせちゃったかな
「んんっ!」
え?
スプーンを僕に示し
パフェを、食べるように?促す
「食えよ...」
え?食べていいの?
「...い、いいから、食えよ!
い、いや、食べなさい、よっ!
美味しいんだから!」
う、うん
いただきます
彼女に勧められるまま
僕も、パフェを食べ始める
うん、確かに、美味しい
一口、二口
途中からは、夢中で、食べる
いや、「貪り食う」と言った方が、適切か
美味しい、甘くて、美味しい
疲れていたのか、精神的に
一連の、リンの騒動の件で
甘いパフェが、体に沁みていく
満たされていく、ようだ
あれ?何だろう、視線がぼやけて
スプーンで掬う、パフェが見えない
涙、が
とめどなく、溢れてくる
何だ、一体
僕は今、僕は今
泣いているんだ
裏リンと話す緊張感から
普通に接する、緊張感から
元に、元のリンに戻って欲しいっていう、期待感から
今は、今だけは、解放されて、
甘いパフェを頬張って
染み渡って、安心して、気が緩んで
僕はこんなに
僕は、こんなに
緊張、して
強張って、いたのか
よく、見えないけど
慌ててるみたい、岸下さん
オロオロしている、みたい
情けない、男のくせに
フルーツパフェを頬張って、泣くなんて
あ、「男のくせに」なんて
勝手な、偏見かな
僕が急に、ポロポロと涙を
流し始めたもんだから
ぼやけた視線、の中に
何か、飛び込んでくる
ハンカチ?何だろう
白い、質素なハンカチ
接近してくる、僕の眼に
僕の眼を、僕の涙を
拭ってくれる
甘い、不思議な、香りがする
「い、いいよっ、ごめん...」
慌てふためいて
顔を、逸らそうとする
「バカっ!動くなっ!」
低い声で、怒鳴られて
はい、動きません、動きません
無骨に、ガシガシと
僕の涙を、拭ってくれる、岸下さん
何だろう、この状況
クールビューティーの女の子と
冴えない、ボサボサ頭の眼鏡男子
おしゃれなカフェで
男子が涙を流して
女子が、涙を拭う、なんて
側から見れば、不思議な光景だ
いかにも、シュールだ
それから、お互い、黙々とパフェを食べ終わって
おしゃれなカフェを、後にする
パフェの代金、岸下さんが払ってくれた
「ア、アタシが誘ったんだから、
いいんだっ!アタシが払うっ!
クールビューティーと、眼鏡男子
僕の手には、岸下さんのハンカチ
僕の涙で、すでにびしょ濡れ
「...あの、ありがとう...
洗って、返すから...」
「いらねえよ
捨てちゃって、構わない、から...」
しばし、無言で向かい合う
「あ、あのさっ!」
しびれを切らしたように、切り出す岸下さん
「うん...」
「あ、あんまり、
緊張、すんなよっ!」
「あの...ありがと、う...」
「アッ、アタシでっ!良ければっ!
気分転換、つきあうっ!からなっ!」
僕たちの横を、人々が通り過ぎていく
不器用な、僕たちの横を
「...笑え」
そう、聞こえた、岸下さんの言葉
彼女の、不器用な気配り?
「...アンタが、いや、君が、笑わないと
アタシ、安心、できない...」
何だか、嬉しくて
何となく、ホッとして
僕は、不器用に、そして
久しぶりに、笑った
岸下さん、急に顔を赤らめて
「...じゃ、じゃあなっ!」
クルリと回れ右して
全力疾走で、走り去っていく
あっという間に、人混みの中に
岸下さん
優しいんだな
リンの件で、思い詰めて
緊張して、強張ってる僕を
気にかけて、心配して、見るに見かねて
パフェに、誘ってくれたのか
ありがとう
僕は、もうすでに見えない彼女に
そう言って、夕暮れの道を
歩き始めた
リン...
これから、どうなっちゃうんだろう
これから、どうすれば、いいんだろう
リンが記憶を無くしてから
何度か、頭に浮かんだ、疑問
普通通り、か
普通通りに、接するなんて
平凡で、無力な僕に、そんなこと
できるんだろうか
彼女...リンと会って
話をして、僕なりのカウンセリング(?)をするのは
大抵、僕の学校帰り
リンの家で、が多い
カウンセリングなんて、恐れ多い
ただ会って、その日にあった出来事を話すくらいだ
学校で、何があって...
誰が、先生に怒られて
誰と誰が、付き合っていて、とか
そんな、他愛もない、日常の出来事を
リンは、僕の話すことを
一生懸命、真剣に聞いてくれる
そして、時折
奥ゆかしく、クスクスと笑って
以前のように
「アッハハハハー!ウケるー!」なんて
大声で笑い転げて...っていうんじゃないけど
「...あの子、ね...
あなたといる時だけよ、笑うの...」
見た目には、平静を装っている、リンのお母さん
嬉しそうに、ちょっと寂しそうに
僕に、話してくれる
リンが記憶喪失になって
いや、というよりは、別の人格...
「裏リン」になってしまって
もうそろそろ、3ヶ月
家でいる時は
おばさんのお手伝いをしたり
静かに小説を読んだりして
時間を過ごしている、いや、費やしている、らしいけど
おばさんの問いかけ、話しかけに対して
あまり、笑顔を見せることは、ないとか
「お邪魔、しました...」
リンとの定期カウンセリング
...という名の、雑談、が終わり
僕は、リンの家を後にした
もう10月だというのに
蒸し蒸しと、体にまとわりつく湿気
に、顔をしかめつつ
僕は、自宅へ向かった
もう、薄暗い
心細げに、街灯が瞬いている
ああ、なんか疲れた
リンとの雑談の最中
僕は、決して、言わない、リンに
「どうして、思い出せないんだ」って
それは、ドクターやカウンセラーたちの役割だ
専門家の領域だ
何の知識も持たない、僕が
安易に、口にすることではない
僕は...今、すごく無力だけど
リンに、寄り添うことしか、できない
リンも...それを
僕に、望んでいるに違いない
「...おい」
今のところ、現状維持で、いいんだ
リンに、負荷をかけては
「...おい」
ああそういえば、今日は来てなかったな
岸下さん
「おい、ってば!」
急に左腕を捕まれ
すごい、威圧感
抵抗する暇もなく
僕は、薄暗い公園に、引きずりこまれる
状況が、全く掴めず
混乱して、何が何やらわからず
ずるずると、引きずられるようにして
半分朽ちかけた、ベンチに座らされる
いや、押し付けられる
誰?
暗がりの中、目を凝らすと
茶髪のロン毛
身長は...かなり高い
ガッチリ型の体格
黒革の...上下を着て
そう、僕の苦手な
いわゆる「ヤンキー」だ
僕をひきづってきて
ベンチに座らせて
かなり息が上がっているみたい
両肩を、上下に揺らしている
カツアゲでもされるのかな
「なん、ですか?」
不安に慄きながら
掠れた声で、尋ねてみる
財布は持っていない
携帯も、家に置いたまま
ここで僕は、気付いた
この相手に、見覚えがあることに
奇しくも、過去、この場所で...
...ヤンキー4人
に、包囲される、リン
記憶を無くす前の
青い顔をして、ガタガタ震えて
あの時
偶然見かけた僕は
風の如く、5人に接近して
リンを救助して
ヤンキーたちを置き去りにして
逃げ帰って行ったんだっけ
...ヤバい!
目の前、僕の目の前に、いるのは
あの時の、ヤンキーだ!
1人だけ、だけど
体格はいいし、多分年上だろうし
喧嘩慣れしてるだろうし
...つまり、僕のかなう相手じゃない!
多分、こいつは
あの時の、報復にきたんだ
リンを勝手に連れ去って
いや僕は、もちろん、
リンを助けたつもりだったんだけど
ヤンキーたちの側からしてみると
獲物を、横取りされた
...ように、思っているに違いない
と、すれば、
僕は...これから...
殺される!とまではいかないにしろ
殴られる!袋叩きに!
ボコられる!
どうしよう
どうしよう、どうしよう
110番しようか
いや、携帯、持ってないし
大声出して、助けを呼ぼうか
いやもう、周りに誰もいないし
彼は...ヤンキーは
僕と同じく、肩で息をして
僕を睨みつけて
いや?ちょっと違うな
僕を、見つめて
あまり、凄みは感じられない
どうして、1人なんだ
この前は、4人だった
いや、彼らの...
ヤンキーたちのことだから
近くに、潜んでいるかもしれない
これからどうなるんだろう
僕は、何をされるんだろう
「ふうううう...」
茶髪のヤンキー、深呼吸
今から、吊し上げが始まるのか
「...お前、な...」
一声、発した
僕は、答えない
「...容態は、どうだ?
いいのか?」
え?なんだって?
良いわけ、ないだろう
いきなり、公園に引き摺り込まれて
吊し上げされるかもしれないのに
ボコられるかもしれないのに
怖い?正直、そうだ
逃げられないんだから
この前は、リンと一緒に
ドサクサに紛れて、逃げ出したけど
相手が1人とはいえ
もう半分、押さえつけられたような
もんだから
絞り出すように
「良いわけ、ないでしょう?
こんなところで...」
「違う!お前じゃなくて!」
僕の回答を
途中で、遮るように
ヤンキー、声を荒げる
...お前じゃない?
僕じゃないってこと?
一体、どういうこと?
「...あ、あの娘っ!
じゃ、じゃなくて!
あの女性っ!」
え?あの、女性って?
まさか...?
リンのこと?もしかして?
「くっ、車に!
はねられたんだろうが!
だっ大丈夫、なのかよっ!」
相手の顔を、よく見てみる
真っ赤な顔をして
それこそ、絞り出すように
長くて、暑苦しい季節
僕の苦手な、夏が終わり
もう、10月
...季節はもう、秋
通学途中に、寒風が吹き荒ぶ
「リンさん、行くよ!」
リンの家の前で
僕は、彼女を誘う
「...行って、来ます」
笑顔で見送るおばさんに、小さく頭を下げて
消え入るような声で、挨拶して
緊張した面持ちで、リンが出てくる
「...行ってらっしゃい!
アツヤ君、リンをお願いね!」
記憶喪失になって
病院から、退院して
通院のカウンセリングも、芳しくなく
先行きも、見通せず
自宅待機が続いていたが
リンは、復学することになった
事故から、早くも3ヶ月経過して
ベリーショートだったリンの髪型も
徐々に伸びて
セミロングに近い、長さになって
同時に、これもベリーショートだった
制服のスカートも
「...こんなの、恥ずかしい、です...」
なんて、おばさんに、ささやかな抗議をして
いわゆる、普通の女子高生並みのスカートの長さに、なって
早い話しが...
野獣系の、バタバタと賑やかでうるさかったリンは
性格、外見共に
お淑やかで、大人しい、女子高生へと、変貌を遂げた
自宅で、おばさんと2人きりで
特に外出もせず、
鬱々と過ごすよりは
無理にでも、復学して
環境を変えた方が
記憶喪失の治療にも、
この部屋、リンの部屋
って、話しかけること
リンのカウンセリングが、始まった
やれやれ、とんだ災難だ
暑い!
大人しく、内向的で、自他共に認める
インドア派の僕にとって
好きな季節は、秋と冬
嫌いだ、夏は
期末テストも終わって、夏休みまでのこの期間
好きな写真にも打ち込めず
僕は、だらけた毎日を送っていた
だらだらした気分になるのは
暑いから?
打ち込めるものが無いから?
違う
もっと、込み入った事情で
モヤモヤしているから
悶々としているから
言いたく無いけど
認めたく、無いけど
リン...のことが
頭の片隅に、引っかかって、いるから
あの蒸し暑い、夜
酔っ払いのリンから、受けた衝撃
「先輩から、告白された」って、事実
あれから、僕は、リンと話していない
避けていたんだ、無意識に
先輩のカノジョとなった、リンに
そう、僕は、噂で聞いた
リンは...告白を受けて
先輩と、付き合い始めた、らしい
港町のカフェで、楽しそうに話し合っていた、とか
手を繋ぎながら、歩いていた、とか
お似合いのカップルだ、とか
いや、避けていたのは
僕じゃなくて
リンの方かもしれない
僕に、気を遣っていたのか
恥ずかしかったのか
...どうでもいい
どうしようもない
僕たちは、ただの、幼馴染だ
いずれは、離れていくんだ
例えば、僕が
多分、あり得ないけど
誰かから、告白されたら?
僕が、その人と、付き合い始めたら?
リンは、どう思うだろう?
「幼馴染だから...」と思うだろうか
いやいや、アイツのことだから
「アツヤッ!この、裏切り者ッ!」
なんて、血相を変えるだろうか
...何だ、体が震える
このクソ暑いのに
スマホが、震えている
ああ、全く、気が付かなかった
誰から...?
え?リンの、お母さん?
「もしもし?」
「アツヤくん!アツヤくん!アツヤくん!」
いきなりの名前の連呼
リンのお母さん、ただならぬ雰囲気
胸騒ぎ
「おばさん、アツヤです、どうしたの?」
慌てふためく、リンのお母さん
その口調は、やがて、涙声に
「アツヤくん、リンが、リンがあっ!」
「おばさん、落ち着いて、ね
リンが、どうしたの?」
「く、く、車にっ!
は、はねられた、のおっ!」
急に、周りの音が聞こえなくなって
スマホを落としそうになって
地面に、崩れそうになって
かろうじて、僕は、でも
声が、出ない
何も、聞こえない
遠くから、何か聞こえる
うわんうわんと、響いてくる
何だ?誰だ?
僕に、話しかけてるのか?
「...ツヤ...くん...アツヤ...くん」
聞いてる...アツヤくん?」
いきなり、我に帰る
そうだ!電話だ!
リンのお母さんから
なんだって?
リンが、どうしたって?
ちょっとだけ、冷静さを取り戻した僕
おばさんの話によると...
...学校からの帰り道、リンは
いきなり車道に飛び出して
走ってきた車に、接触
救急車で、病院に運ばれたらしい
リンが、リンが、
車にはねられた?
とりあえず、おばさんから入院先を聞き出し
僕たちが住んでいる港町にある、総合病院へ
走る、駆ける
何だ、一体
どうしたって言うんだ、リン
いつも直感的に行動して
猪突猛進なイメージのある、彼女
どうして、車道なんかに
いきなり、飛び出したんだ
無事で
無事でいてくれ、リン
先輩の告白を受けたんだろ?
楽しそうに、カフェで笑いあってたんだろ?
これから、これから、お前たち
この角を曲がれば、総合病院
リンが運び込まれた病院
弾けるような笑顔のリン
いつも元気いっぱいのリン
リン!リン!リン!
待ってろ、リン!
病院の入り口が見えてきた
駆け込む
受付で、リンの病室を教えてもらって
5階へと、エレベーターで上がる
扉が開いた
消毒液の匂い、ツンと鼻をつく
どっち?右?左?
視線、感じる
正面から
エレベーターを降りたところに
いる、彼女が
あの、リンの友達の、武闘派の子
真正面に
射すくめられる、視線に
全力疾走で駆けてきた、息の荒い僕に
汗びっしょりの僕に
突き刺してくる、視線
しばらく、動けない、僕
でも
いつもと、違うような気がする、視線
僕を射すくめる、視線
レーザービームのような
いつもとちょっと違う、どういうこと?
何か、訴えかけるような、視線
一体、何を?
...そ、そうだ、そんなことより
リンの病室
どっちだ?右か?左か?
右手、握られる、いきなり
彼女から
確か、岸下...ミナさん?
レーザービームの、彼女から
え?何で?
「...こっち」
うわ、しゃべった
話しかけられた
そして...手を握られた
引っ張られる、彼女から
そう、右方向に
あ、ああ、案内してくれるの?
リンの病室へ?
「あ、ありがとう」
いきなり手を握られ
ちょっとドギマギする、僕を
手を握ったまま、導いてくれる
ナースステーションから、少し離れた病室
たくさんの人たちが、病室の前に
何やら、ヒソヒソ、ヒソヒソと話し合っている
レイコ先生がいる
リンの、取り巻きの、明るい友人たちも
一様に、暗い顔
まさか
容態が悪いのか?
瀕死の重傷なのか?
リン、リン、大丈夫なのか?
「岩田...」
いきなり声をかけられた
声の主は...レイコ先生
いつになく、深刻な表情を浮かべて
「先生?先生!リンは?リンはっ!」
「岩田...」
「リンは?大丈夫なんですか?
だ、大丈夫ですよね?」
「...心配すんな、怪我は、大したことない
意識もある、ただ...」
深刻な表情を、さらに曇らせて
視線を、病室の方に移す、レイコ先生
物音がして、病室のドアが開く
中から出てきたのは...リンのお母さん
たまらず駆け寄る
「おっ、おばさんっ!リンは?大丈夫ですかっ!」
「あ、ああ、アツヤ君...」
リンと同じく、いつも陽気なお母さん
人が変わったように、暗い表情を浮かべている
無理もないか、娘が車にはねられたんだから
「...うん、怪我はね、大したことないの
ただ、ね...」
その先...聞くのが、はばかられた
お母さんも、言いづらそうだった
「ただ...」って、何?
何となく
「会って、あげて...」
消え入りそうな声で、お母さんが告げる
そして、フラフラと、廊下のベンチへ
ドアの向こうに、あるのか
真実が?
リンが、いるのか?
無事なのか、リン
無事なんだろうな?
無事なんだよな?
真実を、見なくちゃいけない
おばさんの言っていた、
レイコ先生も言っていた
「ただ...」を、確かめるべく
後ろを振り返る
レーザービームを感じる
岸下さん、僕をじっと見つめている
軽く、しかし、しっかりとうなづいた、僕に
背中を押された、気がした
意を決して、ドアを開ける
病室には、ベッドが一つ
個室のようだ
若いドクターが、女性と何やら話している
女性は、ベッドにいる
半分、起き上がって
頭に、包帯を巻いている
リンだ
笑顔が無い
表情が、無い
ドクターが、僕の方に振り返る
「...君は?」
「あ、あの、友達です、彼女の...」
慌てて答える僕、
「そう、か...
話して、あげなさい」
ドクターまで、深刻な表情
ドクターが少し後ろに下がる
ベッドに近寄る
「リン?」
不安を押し殺すように、無理矢理笑顔を浮かべつつ
リンに、話しかける
リンは表情を、僕の方に向ける
「大丈夫か?心配したぞ?
あ、怪我は、どうなの?大丈夫なの?」
リン...じっと僕の方を見ている
うつろな眼で、どうした?
「もう、相変わらず、慌て者だな、お前
何?猫を助けようと、道に飛び出したって聞いたけど?」
リン、見ている、僕を
「あ、アツヤ!ゴッメーン!
アタシったら、ドジだなあ
アッハハハハー!」
そんなリンの反応を、待っていた、僕は
期待、していた
湧き上がる不安感を、押し殺して
「あの...」
「本当、ドジだなお前!
運動神経抜群なんだろ?車くらい避けろよ!」
「あの...?」
「やれやれ、ホントに、心配かけやがって!」
「あなた、誰?」
「もう、おばさんから電話かかってきた時は、
ほんと、びっくりしたよ!ハハハッ」
「どなた、ですか?」
「いやあ、イノシシみたいだな、お前!
猪突猛進って言うんだよ、そういうの!
で、どうなの?傷は痛むの?
大したことないんじゃ
......
え...?
「私の、お友達、ですか?」
え...え...?
リン?
リン?リン?
どう、しちゃったの?
どうなっちゃったの?
「どなた?」だって?
「誰?」だって?
あ、そうか、人違いか
つまり僕が、慌てて、隣の病室に入ってしまったとか
リンの顔を見る、もう一度
...リンだ、間違いない
いつもの、弾けるような笑顔、無いけど
間違いないのに、リンなのに
「あなた、誰?」だって
あ、そうか、わかったぞ
僕が来るのが遅かったから、怒ってるんだろ?
拗ねてるんだろ?
ああ、わかったわかった、今度何か奢ってやるから
特盛フルーツパフェでいいか?
奢ってやるから、な
いやいや、お前、もう彼氏いるんだっけ
僕が出しゃばっちゃ、申し訳ないな
機嫌、直せよ
なんだよ、それ
なんなんだよ、それ
冗談にしては出来すぎてる
サプライズ?人を散々心配させといて
ひどいなお前、いくら僕でも傷つくぞ
振り返る、
ドクターの顔を、見る
力なく、首を横に振っている
「やっぱり、ダメか...」と言わんばかりに
ずるずると、体から力が抜けていく
足元から、床に沈んでいくみたいだ
後ろから、誰かに抱えられる
沈み込みそうな、僕を
「岩田、こっち来い」
レイコ先生だ
そして、誘導される、部屋の外に
病室の外へ
みんながいる、一様に、沈んだ表情で
僕は...僕も、同じような表情をしているんだろう
抱き抱えられるように、僕は談話室に
「お母さん、後は、私が...」
一緒についてきたリンのお母さんを
優しく、制して、レイコ先生が
僕を、椅子に座らせる
いつになく、深刻な表情を顔に張り付かせた
レイコ先生
「岩田、あのな...
リン...ちゃんは、な...」
「キオク...ソウシツ...?」
にわかには、理解できなかった
またまた、レイコ先生、冗談きついな
その病名...記憶喪失の言葉を聞いて
信じられなかった
小説や、映画では聞いたことがあるけど
「岩田、まあ、落ち着いて聞け、な」
落ち着いているけど
取り乱しても、無いけど
ちょっと、動揺しているだけだ
いや、取り乱してるか、かなり
レイコ先生の話によれば...
学校からの帰り道
幹線道路の、歩道を歩いていた、リン
道路を横切った、黒い物体
(子猫だったらしいけど)
拾い上げようとして
歩道の柵を、咄嗟に乗り越えて
道路の真ん中あたりで、立ち竦んでいた
子猫を、抱き上げて
そこへ...
車が近づいてきて、急ブレーキ
も、虚しく
ドンッ、という音とともに、リンは
車にはねられ、宙を、舞って
地面に、叩きつけられた、らしい
持ち前の運動神経の良さで
受け身をしっかり、取ったみたいだけど
後頭部をしたたかに打ち付けて
そのまま、昏倒
救急車で、病院に運び込まれた
当初、意識はなかったらしいけど
ドクター達の懸命の措置によって
意識を、取り戻した
が...
病院に駆けつけた、リンのお母さん
頭に包帯を巻かれているものの、
無事な娘の姿を見て
喜び、ベッドの上のリンに抱きついた
「あの...あなた、誰?」
その声を聞くまでは
おばさん、リンのお母さんは
僕と同じ様に
娘の無事を、ただ喜んで
リンの言葉を、悪い冗談だと思っていた
らしい
確かに、そうだ
いつも、弾けんばかりの笑顔を振りまいて
こっちが落ち込んでいても、つられて
笑ってしまいそうな、笑顔で
「アッハハハハー!」なんて笑い飛ばして
そんなリンが
白く、冷たい
能面の様な表情で
「あなた、誰」
だって?
「...岩田、岩田!」
レイコ先生の声で、我に帰る
「は...い」
呆然としている、僕
何とか、返事をする
もうダメだ、腑抜けだ
「しっかりしろ!男だろ?
リンちゃんの幼馴染みなんだろ?」
僕の肩を、バシバシ叩く先生
「はい...」
「だったら...
守ってやれよ、リンちゃんを!」
しばらくして
レイコ先生を始め、お見舞いに駆けつけた人達は
重苦しい表情と足取りで
そう、鉛を流し込まれたかの様に
一人、二人と、病院を後にして行った
まだ、残っている
名残惜しそうに
閉じられた病室の扉を、見つめて
岸下さん
あの、武闘派の女の子
リンの、親友だったっけ
お母さんから、
「もう遅いから、帰って?」
って言われて
お母さんに、深々と頭を下げて
長椅子にへたり込んだままの僕を見つめて
...何か、違う
いつもの、レーザービームじゃない
睨みつける様な、ではなく
僕の心を
心の奥を、揺さぶる様な、視線で
同情しているのか?僕に?
幼馴染みが、リンが、
記憶喪失になったから?
「アツヤくん...」
お母さんに話しかけられて、振り向く
寂しそうな、疲れた表情で
それでも、精一杯の笑顔を浮かべて
「今日は、ありがとうね」
「あ、いえ...」
これから、どうなるんだろう
どうすれば、元のリンに
戻れるんだろう?
「おばさん、気を確かに...」
言えなかった、さすがに
僕なんかが
おばさんに、そんな、偉そうなこと
お母さんに別れを告げ
病院の、エレベーターに乗る
堂々巡りだ、頭の中で
ドクターでもないのに
...キオクソウシツ、だって
遠い世界の、そう、
小説や映画の世界、だけって思っていた
ガコン、軽い衝撃
ああ、一階についたな
扉が開いて、エレベーターを降りる
ああ、白いな
病院の、研究施設みたいな場所かな
降りるフロア、間違えたみたい
...白い?
視界は、確かに白い
でも、何もない
研究施設によくあるような
いや、それも、僕は行ったことないけど
その...ベッドや、医療機器とか
何も、ない
ただ、そこには、白い世界が
第一、僕は、エレベーターを
一階で、入りたはずだ
病院の一階は、普通は受付や初診のエリア
真っ白の、医療施設?
ふと思いつき、後ろを振り返る
ない
僕が出てきたはずの、エレベーターのドア
つまり、後ろも、真っ白
180度、回ってみる
真っ白だ
違う
ここは、医療施設なんかじゃない
僕は
どこか、異質な空間に
迷い込んだんだ
つまり、ここは
異次元だ
前後左右、真っ白
遠くを見ようとした
ボンヤリと、霧のようなものが
「...アツヤ.....」
どこだろう、ここ
白い、世界
...としか、表現できない
目に映るもの、全てが白
というか、周りに、何もない
ここは、どこだ?
屋外なのか、それとも室内か
「アツヤ...アツヤ...」
暗くはないけど、とにかく白い
そして
体の周りを、霧が
白い霧が、たなびいている
「...アツヤ...アツヤ...」
誰の声だ
僕を、呼んでいる、のか?
「どこ?
どこにいるの?アツヤ?」
リン!
リンの声だ
近くに、いるのか?
リンも、この白い世界に
迷い込んじゃったのか?
「リン、どこだ!」
呼んでみる、声のする方向に
いや、リンの声が
どこから聞こえてくるか、わからない
だから、180度、周りながら、叫ぶ
怖い
いきなり白い世界に迷い込んで
出口も全くわからず
誰にも助けを求められず
怖くて、不安で、叫びたくなる
でも
僕以上に、リンは
怖がっている、はずだ
元気いっぱいで、野獣系で
多少、男勝りで
そんなアイツも
実は、本当は、物凄く怖がりで
...2年前、遊園地のお化け屋敷に
行った時も、
ガタガタ震えて、ギャアギャア叫んで
入り口から出口まで、僕に
しがみついていた
半泣きになりながら、だ
そのくせ、お化け屋敷から脱出すると
しがみついていた僕から、さっと離れて
「ああ、楽しかった!
もう、アツヤはホントに、怖がりだなあ!」
なんて、ヌケヌケと口にして
夜の公園で
タバコを吸っていたヤンキーたちに
注意した時だって
強がってたけど
顔面蒼白で
ガタガタ震えていたよな、お前
「リン!いるんだろ?
どこだ!」
「...こっちだってば、アツヤ!」
だから、その「こっち」がわからないから
苦労してるんじゃないか
白い霧の世界
霧を払おうと
両手をグルグル、回しながら
多分、リンも、同じことをしてるんだろう
早く、見つけなきゃ
リン、どこにいる?
僕以上に、怖がってる、リン
声から、伝わってくる
ん?白い世界が
少しずつ、変化して
違う色の、霧が
黒い、霧が
僕の周りを、包み込む、ように
まだだ
まだ、ダメだって
ただでさえ、リンを探すのに
苦労してるのに
今度は黒い世界か?
僕の周りは、徐々に白から黒へ
ますます、見えにくくなって
黒く変わりつつある、異次元の世界
白と黒、以外で
何かが、見える
手だ
リンの手だ!見つけた!
黒い霧の渦から、伸びてきている
「リン!リン!見つけたぞ!」
「アツヤ!もう、何してたのよ、今まで!
遅いじゃないか!」
リンの声、聞こえる、近くに
怖かったのか、半分泣き声だ
「アツヤ!
早くきてよ!ここだって!」
もう、すぐそこだ
手を伸ばす、思い切り
リン、ここだ、僕はここだ
掴まれ!
ここから、脱出するぞ!
ああ、邪魔だ、黒い霧
見えなくなる、リンの手が
掴めないっ!
僕の体は、包まれる
黒い霧に
見えないっ!
どこだっ
どこだどこだどこだ
「...わああああああっ!」
「アツヤ!アツヤ!大丈夫か?」
...お母さ...ん?
目の前に、母親の顔
あれ、僕は、一体?
「...もう、あんた、びっくりするじゃない
うなされて、叫んで...」
ああ、そうか
夢だったんだ
それも、悪夢...
ひどい...夢だった
ん?ちょっと待てよ
どこからが、悪夢だったんだ?
「あんた昨日、病院からフラフラで帰ってきて...
そのまんま、寝ちゃったでしょう?」
え?僕が?病院から?
「リンちゃん、大変なことになったわね...」
...と、いうことは
リンが事故に遭って
記憶喪失になっちゃったのは...
悪夢、ではなくて、
現実、か...
「...アツヤ、あんたもしっかりしなさい!
リンちゃんの幼馴染み、なんだから」
お母さん、そう言って、部屋から出て行く
ああ、今日は
土曜日、だったな
学校は、休みか
ひどい夢を見たせいか
体が何か、ギクシャクする
とりあえず、病院に行ってみた
淡い、期待を胸に
そう、リンが
記憶が戻って、いつも通りのリンに戻って
病院に着くと
リンのお母さんが、病室の前で
ドクターと、何か話している
深刻な表情、全てを物語っている
やっぱり
戻ってないんだ、記憶
ドクターとの話が一段落したのか
リンのお母さんが、僕の方を見る
「アツヤくん、ありがとう!
来てくれたのね!」
明るい笑顔、無理やり作って
リンが...娘が、記憶喪失になって
僕以上に、辛いはずだ
泣きたいはずだ
僕の方に寄ってくる
リンのお母さん、僕を談話室へ誘導する
自動販売機のミルクティーを、一口飲んで
「アツヤくん、リンは、ね...」
昨日は、僕もかなり、動転していて
詳しい話は、聞けなかったけど
絞り出すように話す
お母さんの話
リンをはねた、車の運転手
すぐに救急車を呼んで
警察の事情聴取、実況見分にも素直に応じ
...何よりも、
「申し訳ありません!申し訳ありません!」
って、土下座せんばかりに謝罪して
自らの過ちを、心から悔いている、らしい
「...その人、30歳の会社員さんでね、
あれだけ謝られると、さすがに私も...」
確かに、状況だけ聞くと
いきなり車道に飛び出した、リンに
非は、ある
運転手も、避けようがなかったんだろうな
さらに
車のドライブレコーダーにも
リンがいきなり飛び出して
はねられる、一部始終が、映っていたらしい
「まあ、後々の補償は、全て責任を持つって、言ってくれたんだけど...」
それにしても
自らの危険を省みず
仔猫を助けるためだけに
車道に飛び出すなんて
いかにも、リンらしい
「あの、おばさん、リンは?」
「ああ、今、寝てるんだけどね
記憶は、やっぱり...」
やっぱり、
戻ってないんだ
疲れた様子のお母さん
それでも、しっかり、話してくれた
...今日は土曜日で、検査はない
来週、月曜日から、本格的な検査、治療が
始まるとか
まあ、確かにそうだな
僕みたいな、素人が
ただの幼馴染みが、
軽々しく、口を挟めるような
問題ではない
「...アツヤ君、見ていく?
リンの顔...?」
「あ、はい、
でも今、寝てるんじゃ?」
起こしても悪いんだけど
でも
お母さんと一緒に、静かにドアを開ける
ベッドの上で
仰向けになって、寝ている
静かな、寝息を立てて
ちょっとだけ近寄って
見下ろす、リンの顔を
衝動が
沸き起こってくる
「起きろ、起きろ、リン!
いつまで寝てんだよっ!」
「あれ、アツヤ?何してんの?
アタシ、なんでこんなとこにいるの?
...なんだ?こんなホータイ
邪魔だ邪魔だ!」なんて
頭に巻かれた包帯を、むしり取って
「お母さん!お母さん!
アタシ、腹減った!メシ!」
そんな、リンを
いつも通りのリンを
想像して...
我に帰り
静かな寝顔を、もう一度、見下ろして
病室を、出ようとする
ドアに向かう
「...い、ちゃん...」
あれ?
なんだ、寝言か
「おにい、ちゃん...」
そう、聞こえた
リン?
起きてるの?
目が覚めてるの?
お兄ちゃん...って
言ったよね?今?
夢?見てるの?
ひょっとして
ひょっとして、記憶が
戻ってるの?
お母さんの方を、見てみる
力なく笑顔を浮かべ、首を横に振る
そして僕を、病室の外に、誘う
「...寝言、みたいなの...」
談話室で、コーヒーを飲みながら
お母さんが、続ける
「...記憶が、無いにも関わらず...」
決まった寝言だけ、時折
「...お兄ちゃん、って、ね...」
何だろう?お兄ちゃん?
彼女は、リンは一人っ子だから
お兄さんは、いないはず
と、すると...?
幼い頃の、記憶が、甦る
「大きくなったら、お兄ちゃんの
お嫁さんに...」
そんなこと、言ってたけど
リン、小さい頃に
僕のことを、同い年なのに
「お兄ちゃん...」って
慌てふためいて、駆けつけた僕に
「あなた、誰?」
「私のお友達、ですか?」
...って、口走った、リン
寝ている時は
その時だけは
昔の記憶が、
甦るのか?
フラッシュバック、ってやつか
「おばさん...
あの、リンは...?」
これから、どうなるんですか
どうなっちゃうんですか
聞けなかった
いちばん、ショックを受けている
リンのお母さんに
娘がいきなり、記憶喪失になって
これからのこと、どうしようとか
いつ、記憶が戻るのか
そんなことで、頭がいっぱいで
不安で、心配で
押しつぶされそうに、なっているはず
ただの幼なじみの、僕が
僕なんかが
自分勝手に
いい加減に
聞ける、わけがない
「アツヤ君、リンはね...」
無理矢理、ぎこちない笑顔を浮かべて
おばさんは、僕に話してくれた
ドクターの話によると
来週から、本格的な治療が始まる
路面で強打した後頭部
傷は、大したことないらしいんだけど
やはり、記憶が
記憶を、戻す治療を
いや、治療というか、カウンセリング
らしいけど
「...長く、かかるかも...
いつになるか、わからない
...根気のいる、ものらしいの...」
...そう、だろうな
現実か
あまりにも厳しい
そして、つらい
とりあえず、月曜日からの治療に
ドクターたちの腕に
期待するしか
託すしか、ないのかな
夕方まで残っているっていう
おばさんと別れ
少々、ふらつく足取りで
病院を後にした
家までの道のり
いつもよりも、遠く
そして、長い
...感じる
視線
見ている、僕を
射抜く、レーザービーム
自動販売機の陰に
制服姿の、女子高生
しかも、長身の
...岸下さん?
いつも、僕を
レーザービームのような視線で
睨みつける、彼女
こんなところで、何を?
...ああ、リンの親友だから、彼女
お見舞いに、来てたんだろうか
病院では、見かけなかったけど
何故だろう
いつものように
レーザービームなのに
敵意らしきものは、感じられない
会釈をして、傍らを通り過ぎる
...ようとした
右手を、ガッシと掴まれ
引っ張られる
な、なんか、すごい力で
いや、引きずられて
「?ちょ、ちょっと...?」
近くの公園まで
連行(?)され
ベンチに、座らされる
岸下さん?
近くの自動販売機まで走り寄り
ミネラルウォーターを2つ、買って
どうして、2本?
1人で2本、飲むつもりなのか?
逃げようかな?今のうちに
彼女、確か
空手部所属で
バリバリの体育会系
僕に何らかの恨みや敵意があれば
今この場で、痛い目に遭わされるかも
いや、ちょっと待てよ
空手部だから
部員たち全員招集して
僕を、取り囲んで
集団で、威圧して
何らかの、謝罪を強要するのか?
特に、悪いことしたり
機嫌を損ねるようなこと、したり
全く、覚えが無いんだけど
邪推かな?
一瞬、思ったけど
彼女の、様子がいつもより
変わっていたので
ベンチで、おとなしく、待っていた
スタスタと戻ってきた彼女
「ん!」
僕に、ミネラルウォーターのボトルを
押し付けた後
彼女は自ら、ボトルのキャップを
パキッ!と開けて
腰に手を当てて、ゴッキュゴッキュと
いわゆる、ラッパ飲み
プハアアッ!と豪快な声を張り上げて
そんな姿を、呆気に取られて見ている
僕に、気がついたのか
少々、動揺したのか
頬が、ほんのりと、赤い
ドギマギした様子で
「ん!んん!」と
僕に、促す
ああ、飲んでいいのかな
ミネラルウォーター
いいんだろう
僕も、負けじと
パキャッとキャップを開けて
ゴッキュゴッキュと、ラッパ飲み
乾き切っていた、僕の体
リンのことが心配で
これからのことが、不安で
ほとんど、一気飲み
全身に、沁みわたる
...こんなに、こんなにも
乾き切って、いたのか
多分、いろいろ、思い詰めて
ひどい表情を、してたんだろうな、僕
「...ふううううっ...」
一気飲みする、僕を見届けて
ゆっくり、安心したような一息をついて
「...じゃ...」
岸下さん、回れ右をして
駅の方角へ
「...あ、ありがとう!」
後ろ姿に、声をかける
ピタッと足を止めて
振り返りもせず
「あの、さ
あんまり、思い詰めんなよ...」
ぼそっと口走って
いきなり、走り出した
ほとんど、ダッシュに近い
公園を飛び出して
駅の方角へ、走り去った
敵意、ではない
彼女が、岸下さんが抱いているのは
そう、僕に対して
リンを気遣う者同士の
心配し合う、仲間同士の
シンパシー、みたいな、ものか
そう、彼女も彼女なりに
親友として、リンを心配して
そこに、ひどい顔の僕が現れたから
「飲め!」とばかりに
ミネラルウォーターを差し出したんだろう
いわば、岸下さんは、
僕たちは
「戦友」みたいな、ものか
...それは、わかるけど、何となく
今までの
リンが事故に遭うまでの
岸下さんの、あれは?
僕に対する、レーザービームは?
僕を射すくめるような、視線は?
結構、怖かったんだけど
一体、何だったんだろう
...やっぱり、敵意かな?
......週が、明けて
記憶喪失になった、リンの元へ
大勢の、見舞客が訪れた
常に明るくて、人気者だったリン
面会時間は、病室の前に列ができるほど
学校の友人たちはもとより
バトンスタジオの関係者たち
ご近所のおばさんたちまで
入れ替わり立ち替わり
リンの病室を訪れて
「リンちゃん、アタシよ!
一緒によく遊んだじゃない?」
とか
「おばさんのこと、思い出せないかな?」
とか
バトンスタジオの人たちは
リンが演技している写真や、動画
それに、リンがクルクルと回していたバトン
持ち込んで、リンに示して
そしてみんな、同じように
落胆して、肩を落として
病室を、後にして行った
それこそ、戦いに敗れた兵士のように
リンのお父さん
東京に単身赴任中だったけど
当然、娘のことが心配で
長期休暇を取得して
帰って来ているけど
リンにいろいろ話しかけているけど
やっぱり、ダメだったらしい
いろんな人が話しかけるたび
「あなた、だれ?」
「私を、知っているのですか?」
「知りません
私の、お父さん、ですか?」
リンは、表情を変えないまま
淡々と、
そして、事務的に
時には、冷たく
答える、らしい
僕は
ほぼ毎日訪れる、見舞客たちの
大量に訪れる、見舞客たちの
病室に入る前の、期待感と
病室を後にする時の、
落胆、失望感を
病室の前で、見続けて
そして、夕方の
面会時間が終わる直前
リンの病室を、訪れる
毎日、検査やカウンセリングで
その上、大量の見舞客を相手にして
しかも
「リンちゃん、アタシよ、覚えてないの」
なんて質問攻めにされて
混乱して、疲れている、リン
せめて、僕だけは
「僕のこと、覚えてないのか!」
なんて、追い討ちをかけるようなことは
やめておこう
リンが
かわいそうだ
「...アツヤ、さん...?」
記憶を無くして
違う人格になった、リン
ほとんど毎日
欠かさず、お見舞いに訪れる、僕を
僕の名前を、覚えてくれた
つらいのは
彼女の幼なじみ
底抜けに明るい
いや、明るかった
以前のリンを知る、僕として
弾けるような笑顔で
「アツヤアアアア!」ではなく
不安気に、気弱な笑顔を浮かべて
精一杯の、笑顔を浮かべて
「...アツヤ、さん...」
って、僕に話しかけること
つらいけど
表情に出せば
リンも、不安がる、はずだ
ここは、努めて冷静に
そして、普段どおりに
「リンさん...こんにちは!
具合はどう?」
他人行儀だ、と思う
しらじらしい、とも思う
ついこの前まで
お互い、幼なじみとして
遠慮も、特に気遣いもなく
普通に、接していたのに
普通に会話して、笑い合って
笑い転げて、いたのに
今、僕の目の前にいるのは
記憶を無くした、リン
おとなしくて、おしとやかで
そして、神経質で
ほぼ、別の人格だ
言ってみれば、裏リンだ
「...アツヤさん、私...」
裏リンが、僕に話しかける
「...その、疲れて...」
何か、申し訳なさそうに
...そうだろうな、きっと
ほとんど毎日、お見舞い客がひっきりなし
それだけじゃない
当然、治療のための、検査やカウンセリング
自分は、自分じゃない
私は、一体、誰?
みんなは、私のこと「リン」って
呼んでるけど
何もわからない
何も、思い出せない...
彼女にとって
毎日、混乱の連続で
居場所が、無いんだろうな
こんな時、僕は
どうしたら、いいんだろう
幼なじみとして
「リンさん...」
そもそも、彼女のこと
記憶を無くした彼女のことを
「リン」として
話しかけて、いいのだろうか?
自分で、自分が誰か、
どこの誰か、わからなくなっているのに?
「私、の名前...
リンって、いうの?アツヤさん...」
そう、だよ
君は、僕の幼なじみで
底抜けに明るくて
蛾、みたいに、うるさい時もあるけど
怖がりで
そのくせ、他人にすごく優しくて
そんな君が、そんな君が
うるさいな、って思う時もあったけど
違う
違う違う
僕は、君のことが、君のことが
本当は、
好き、だったのかも、しれない
あれ?リンの顔が
にじんで、ぼやけて
何だ、リン
いや、「リンさん」
そんな眼で、僕を見るなよ
「アツヤ、さん?」
そんな眼で、見るなって
「うん、リンさん...
今日は、疲れたでしょ?」
リン、僕を見ている
「アツヤさん...あなたは
私に...」
何か、言いたげだけど
「言わないのね、
思い出せ、って...」
そうだ、な
本当は、聞きたいんだけど
言いたいんだけど
「ちょっと、待ってて!」
不思議そうな表情を浮かべるリン
病室を飛び出した僕
談話室の自動販売機で
オレンジジュースを買って
リンの病室にかけ戻る
「こ、これっ!
疲れたでしょ!」
オレンジジュースを、押し付ける
呆気に取られていた彼女
途端に、明るい笑顔を浮かべて
ああ、あの事故の日から
僕も周囲の人も
当然、リン自身も
緊張の連続で
笑顔を浮かべる余裕なんか、なかったのに
リン、笑えるんだな
「あ、それじゃ!
僕もう、帰るねっ!」
なんかこう、急に恥ずかしくなって
病室の出口に向かう
ドアノブに手をかける
「あ、あのっ!」
背後でリンが、僕に話しかける
「アツヤさん...
また、来て、くれますか?」
「アツヤ!」ではなくて
「アツヤさん...」か
いい、けど
ちょっと、つらい、な
精一杯の作り笑いを浮かべて
「...も、もちろんだよ、リンさん
じゃあね!」
......
それから
1週間が過ぎ
2週間が過ぎ
リンに対して、記憶を呼び戻すための
治療や、検査が続け様に行われ
その全てが、芳しくなく
結果が、思わしくなく
治療に全力を尽くしてくれた
ドクターや、カウンセラーたちも
自らの力不足、不甲斐なさを嘆き
以後は、自宅療養、そして
通院による、経過観察治療、と
いうことになって
リンは退院して、自宅に戻った
約2週間の入院期間中
僕はほぼ毎日、お見舞いのため
リンの病室を訪れた
治療や検査、その他
他の見舞客たちが、何かの拍子に
リンの記憶を呼び戻し
元の賑やかな(そして、うるさい)
リンが、戻ってくることを信じて
僕の他には、そう、ほぼ毎日
病室を訪れた人は
そう、リンを車ではねた、会社員
毎日毎日、お花や果物を抱えて訪れて
対応したリンのお母さんに対して
「申し訳ございません!」って
何度も何度も頭を下げて
真面目で、誠実な人なんだろうな
その他には
リンと仲良しだった、岸下ミナさん
空手部所属で
レーザービームの、眼チカラの持ち主
ちなみに、リンに告白した
勇気ある、そして物好きな先輩、は
1回もお見舞いに訪れることもなく
忙しい部活動を含め、日常生活に
戻って行ったらしい
まあ、無理もないかな
リンと交際して、1ヶ月も経っていないんだし
付き合ってる彼女が
「記憶喪失」なんて、
ヘヴィーすぎるに決まっている
当の本人である、リンは
毎日の治療、検査や
カウンセリングやら
その他、お見舞い客たちから
「どうして思い出せないの?」
なんて言葉を、毎日浴びせられ
耐えきれず、時には
錯乱状態に、陥ったこともあるらしい
まあ、無理もないか
事故で病院に担ぎ込まれて
目覚めると、知らない場所にいて
記憶にない、知らない人たちから
「どうして、思い出せないの?」とか
「私のこと、覚えてないの?」なんて
毎日毎日、
シャワーのように浴びせかけられて
神経質にならない方が、おかしい
...ん?ちょっと待てよ
もし、状況が逆だったら?
例えば
元々物静かで、お淑やかなリンが
あり得ないことだと思うけど
事故によって、記憶喪失になって
賑やかで、うるさいリンになって
同じように、
「思い出せないの?」攻撃に晒された場合
どうなるだろうか?
「えー?アタシ、だれ?
思い出せないや、アッハッハ〜!」
なんて、言うだろうか?
そんな時、僕は
一体どうやって、リンに話しかければいいんだろう?
事故から1ヶ月後
相変わらず、リンの記憶は戻らず
ずっと入院治療が続いていたけど
リンは、退院することになった
今後は、定期的に通院して
記憶を戻すための治療を、続けていくらしい
学校?どうするかって?
僕が軽々しく言えることじゃないけど
環境の激変は、治療に悪影響を及ぼすとのことで
しばらく、休校扱い、になった
季節は、もう9月
2学期が始まった
リンは、休校中なので、自宅待機
僕は、学校へ
授業が終わった後、自宅へ帰る途中
必ず、リンの家に立ち寄る
リン...おばさんの話によると
入院中、感情の起伏が激しく
見舞客から、
「覚えてないの?」
「思い出せないの?」
「どうして、こうなっちゃったの?」
なんて、質問責めを受けて
取り乱し、泣き叫ぶ時もあったらしいけど
退院後は、徐々に落ち着きを取り戻し
穏やか(?)な毎日を送っているとか
「でもねえ...」
リビングでコーヒーを飲みながら、おばさんが続ける
「リンの、ときどき思い詰めたように
考え込むことがあるのよねえ」
ちょっと疲れた表情で、話してくれた
元気いっぱいではじけていて
うるさいくらいの娘が
いきなり記憶をなくして
性格も、正反対の、おしとやか(?)な娘に変貌したら
実の親として、どう接したらいいんだろう?
「おばさん、ぼくは...」
どうすればいいんですか?
リンとどう接すればいいんですか?
リンは今後、どうなるんですか?
聞けない、聞きづらい、けど
わかっているけど
「アツヤ君...
無理しなくて、いいのよ?
リンとは、今までどおり、話してあげて...」
いいんだろうか、それで
今まで僕、リンと
どう、接していたっけ?
何を、話していたんだっけ?
「...アツヤ、さん...?」
ふっと我に帰り
目の前には、リンの顔
不安気に、僕の顔を覗き込んでいる
「あ、ああ、ごめんね
何でも、ないよ」
僕たちは今、リンの部屋にいる
酔っ払いのリンを引っ張り上げて
必死に介抱して
そして
キス(?)寸前まで行き詰めた
あの、部屋だ
サッカー選手のポスターも
ゴチャゴチャに本とかノートとか積み上げた机も
僕たちが、倒れ込んだベッドも
全く、変わっていない
部屋の中だけか、変わってないのは
リンが、劇的に変わったから
僕も変わったのかな
変わらないといけないのか
いやつまり、人間も世界も
変わらないものなんて、ないんだ
早いか遅いか
ゆっくりか、突然か
その違いだけか
考えても、仕方のないことだと思う
でも、本音は、本当は
元に戻って欲しい
リンに、記憶が戻って
「アッハハハハー!」なんて笑って
「アツヤ!何してんのよ、行くよ!」
なんて、僕を引きずって
「アツヤさん、私...」
リン、僕を見ている
弾けるような笑顔、ではなく
僕の心の奥底を、見透かすように
深淵を、覗き込むかのように
「...今のままじゃ、ダメ、ですか?」
心臓、トクンッと跳ねる
2つの澄んだ瞳、僕を見続ける
他人、だ
裏リンだ
僕は今、リンとは違う、誰かと話している
試されている、ような、気がする
いや実際、試されてるのか
今のまま、って
記憶をなくしたまま?
「裏リン」のまま?
僕のことを「アツヤさん」って呼んでくれる
お淑やかで、奥ゆかしい、女の子のまま?
...そんな、こと
自然と、視線を落とす
おばさんが運んでくれたジュース
グラスの中で、氷も溶けて
すでに生ぬるく、なって
不安、なんだろう
「記憶を戻せ」
「私のこと、覚えてないの?」
「どうして思い出せないんだ!」
病院のドクターから
親戚、友達から
夕立のように、浴びせられて
時々、追い詰められて
錯乱状態になって
笑顔、最近、笑ってないな
視線を下に向けたまま
生ぬるくなったジュースを見つめながら
極力、不自然にならないようにして
顔、あげて、リンに向き合う
引き攣った笑い、していると思う
作り笑い?そうかもしれない
これしか出来ない、かまうもんか
「...無理、しなくて、いいよ...」
今のままじゃダメですか?なんて質問に
答えに、なってない
余計、不安に思われる
もっと気の利いたこと、言えないのか、僕
リン、しばらく僕の顔を見つめて
「アツヤさん、ありがとう」
弾けるような笑顔じゃないけど
ちょっと気弱そうに、微笑む
...「見守ってあげて、欲しいの」
リンの家のリビング
コーヒーを飲みながら、僕に語りかけるおばさん
リンは...疲れたってことで、自室で寝ている
努めて明るく、普通に振る舞おうとしているおばさん
何となく、辛そうだけど
「記憶ってのはね...
戻るのに、途方もない時間が、かかるらしいの」
僕も、本で読んだことがある
ふとしたきっかけで、全部思い出したり
徐々に、思い出したり
一生、記憶が戻らなかったり
いろんな症例があるらしいけど
リンの場合、どうなのだろう
記憶を失ったというより
ほぼ、真逆で、別の人格、だけど
元に戻る時は、来るのだろうか
それは、いつだろう
そして、どうすれば?
「それは、ドクター...
いや、もう、どちらかと言えば、カウンセラーね
その、腕次第、ってことかしら...」
事実、おばさんも...
リンに「私はあなたのお母さんなのよ!」とか
「どうして思い出さないの!」とか
強行的に詰問することは、してないらしい
...そりゃ、できないだろうな
ドクターやカウンセラーは別にして
そんなことすれば、リンは混乱して
錯乱して、半狂乱になって
自分の世界の、奥に逃げ込んでしまう
裏リンとして、普通に接する
見守る
それしか、できないのか
「...あの子、あなたを、頼りにしているの
あなたにとって、重荷かもしれないけど...」
難しいな
普通に接する、なんて
確かに、重荷だ
でも僕に、
他に、何が、できるだろう
このまま、裏リンと
普通に接して...
近づいてくる、誰か
リンの家を出て、その直後
近づいてくる
しかも、高速で、早足で、ツカツカと
眼力がすごい、レーザービーム
岸下さん?
ロングの黒髪をなびかせて
1メートル
ガッシ!腕を掴まれる
「...来い」
腕を引っ張られて、連行?
ど、どこへ?
「い、いいから、来い!
いや、来なさいっ!」
何だろう、この前と一緒だ
この人、かなり強引だけど
最近、敵意は、感じられない
少なくとも、危害を加えられることは
ないだろうけど
強引に引っ張られていたけど
そのうち、手は離されて
無言で、並んで、歩き続ける
坂道を降り
賑やかな街並みに
岸下さん、スタスタと歩いて
僕は、トボトボとついて行って
着いたのは、おしゃれなカフェ
再び僕の腕を掴んで
「ちょ、ちょっと...!」
岸下さん、僕を店内に連行
黙秘権、拒否権はないのか
こんなおしゃれなカフェ
縁がないし、来たこともない
こんなところで、何を?
取り調べか?吊し上げか?
はたまた、裁判か?
そうこうするうち、着席して
しばし、無言
何を話せば、いいんだろう
第一、共通の話題がない
あ、共通の、と言えば
同級生で、クラスは違うけど
リンの、共通の友人
それくらいか
チラチラと、岸下さんを見る
盗み見る
無言だ
所在なさげに、手元でスマホを触っている
いや、画面、見てないみたいだけど
ふっと視線を上げる
眼が、合った
何だろう、なんていうか
しばし、僕を見つめて
レーザービーム、ではない
敵意は、感じられない
それどころか
あれ?どうしたんだろう
顔が、真っ赤だ
熱でもあるんだろうか
「な、何だよ!」
い、いや、別に...
怖いな、何となく
そうこうするうちに
僕たちの前には、
巨大な、フルーツパフェ
あれ、こんなの注文したっけ
美味しそう、だけど
戸惑ってる僕をほっといて
岸下さん、パフェを食べ始める
硬い表情が、ゆっくりと、徐々に
雪解けのように、
意外だ
こんな表情、できるのか、この人
パフェを頬張って
むふううっ...てな感じで
呆気に取られて、見つめる僕
ポカンと口を開けて、
さぞかし、マヌケな表情なんだろうな
パフェをすくって、口を開ける岸下さん
視線が、合った
「...何だよ?」
低い声で、責めるように
いや、その...
美味しそうに、食べるんだね
あ、また顔が赤い
なんか、悪いこと言っちゃったかな
怒らせちゃったかな
「んんっ!」
え?
スプーンを僕に示し
パフェを、食べるように?促す
「食えよ...」
え?食べていいの?
「...い、いいから、食えよ!
い、いや、食べなさい、よっ!
美味しいんだから!」
う、うん
いただきます
彼女に勧められるまま
僕も、パフェを食べ始める
うん、確かに、美味しい
一口、二口
途中からは、夢中で、食べる
いや、「貪り食う」と言った方が、適切か
美味しい、甘くて、美味しい
疲れていたのか、精神的に
一連の、リンの騒動の件で
甘いパフェが、体に沁みていく
満たされていく、ようだ
あれ?何だろう、視線がぼやけて
スプーンで掬う、パフェが見えない
涙、が
とめどなく、溢れてくる
何だ、一体
僕は今、僕は今
泣いているんだ
裏リンと話す緊張感から
普通に接する、緊張感から
元に、元のリンに戻って欲しいっていう、期待感から
今は、今だけは、解放されて、
甘いパフェを頬張って
染み渡って、安心して、気が緩んで
僕はこんなに
僕は、こんなに
緊張、して
強張って、いたのか
よく、見えないけど
慌ててるみたい、岸下さん
オロオロしている、みたい
情けない、男のくせに
フルーツパフェを頬張って、泣くなんて
あ、「男のくせに」なんて
勝手な、偏見かな
僕が急に、ポロポロと涙を
流し始めたもんだから
ぼやけた視線、の中に
何か、飛び込んでくる
ハンカチ?何だろう
白い、質素なハンカチ
接近してくる、僕の眼に
僕の眼を、僕の涙を
拭ってくれる
甘い、不思議な、香りがする
「い、いいよっ、ごめん...」
慌てふためいて
顔を、逸らそうとする
「バカっ!動くなっ!」
低い声で、怒鳴られて
はい、動きません、動きません
無骨に、ガシガシと
僕の涙を、拭ってくれる、岸下さん
何だろう、この状況
クールビューティーの女の子と
冴えない、ボサボサ頭の眼鏡男子
おしゃれなカフェで
男子が涙を流して
女子が、涙を拭う、なんて
側から見れば、不思議な光景だ
いかにも、シュールだ
それから、お互い、黙々とパフェを食べ終わって
おしゃれなカフェを、後にする
パフェの代金、岸下さんが払ってくれた
「ア、アタシが誘ったんだから、
いいんだっ!アタシが払うっ!
クールビューティーと、眼鏡男子
僕の手には、岸下さんのハンカチ
僕の涙で、すでにびしょ濡れ
「...あの、ありがとう...
洗って、返すから...」
「いらねえよ
捨てちゃって、構わない、から...」
しばし、無言で向かい合う
「あ、あのさっ!」
しびれを切らしたように、切り出す岸下さん
「うん...」
「あ、あんまり、
緊張、すんなよっ!」
「あの...ありがと、う...」
「アッ、アタシでっ!良ければっ!
気分転換、つきあうっ!からなっ!」
僕たちの横を、人々が通り過ぎていく
不器用な、僕たちの横を
「...笑え」
そう、聞こえた、岸下さんの言葉
彼女の、不器用な気配り?
「...アンタが、いや、君が、笑わないと
アタシ、安心、できない...」
何だか、嬉しくて
何となく、ホッとして
僕は、不器用に、そして
久しぶりに、笑った
岸下さん、急に顔を赤らめて
「...じゃ、じゃあなっ!」
クルリと回れ右して
全力疾走で、走り去っていく
あっという間に、人混みの中に
岸下さん
優しいんだな
リンの件で、思い詰めて
緊張して、強張ってる僕を
気にかけて、心配して、見るに見かねて
パフェに、誘ってくれたのか
ありがとう
僕は、もうすでに見えない彼女に
そう言って、夕暮れの道を
歩き始めた
リン...
これから、どうなっちゃうんだろう
これから、どうすれば、いいんだろう
リンが記憶を無くしてから
何度か、頭に浮かんだ、疑問
普通通り、か
普通通りに、接するなんて
平凡で、無力な僕に、そんなこと
できるんだろうか
彼女...リンと会って
話をして、僕なりのカウンセリング(?)をするのは
大抵、僕の学校帰り
リンの家で、が多い
カウンセリングなんて、恐れ多い
ただ会って、その日にあった出来事を話すくらいだ
学校で、何があって...
誰が、先生に怒られて
誰と誰が、付き合っていて、とか
そんな、他愛もない、日常の出来事を
リンは、僕の話すことを
一生懸命、真剣に聞いてくれる
そして、時折
奥ゆかしく、クスクスと笑って
以前のように
「アッハハハハー!ウケるー!」なんて
大声で笑い転げて...っていうんじゃないけど
「...あの子、ね...
あなたといる時だけよ、笑うの...」
見た目には、平静を装っている、リンのお母さん
嬉しそうに、ちょっと寂しそうに
僕に、話してくれる
リンが記憶喪失になって
いや、というよりは、別の人格...
「裏リン」になってしまって
もうそろそろ、3ヶ月
家でいる時は
おばさんのお手伝いをしたり
静かに小説を読んだりして
時間を過ごしている、いや、費やしている、らしいけど
おばさんの問いかけ、話しかけに対して
あまり、笑顔を見せることは、ないとか
「お邪魔、しました...」
リンとの定期カウンセリング
...という名の、雑談、が終わり
僕は、リンの家を後にした
もう10月だというのに
蒸し蒸しと、体にまとわりつく湿気
に、顔をしかめつつ
僕は、自宅へ向かった
もう、薄暗い
心細げに、街灯が瞬いている
ああ、なんか疲れた
リンとの雑談の最中
僕は、決して、言わない、リンに
「どうして、思い出せないんだ」って
それは、ドクターやカウンセラーたちの役割だ
専門家の領域だ
何の知識も持たない、僕が
安易に、口にすることではない
僕は...今、すごく無力だけど
リンに、寄り添うことしか、できない
リンも...それを
僕に、望んでいるに違いない
「...おい」
今のところ、現状維持で、いいんだ
リンに、負荷をかけては
「...おい」
ああそういえば、今日は来てなかったな
岸下さん
「おい、ってば!」
急に左腕を捕まれ
すごい、威圧感
抵抗する暇もなく
僕は、薄暗い公園に、引きずりこまれる
状況が、全く掴めず
混乱して、何が何やらわからず
ずるずると、引きずられるようにして
半分朽ちかけた、ベンチに座らされる
いや、押し付けられる
誰?
暗がりの中、目を凝らすと
茶髪のロン毛
身長は...かなり高い
ガッチリ型の体格
黒革の...上下を着て
そう、僕の苦手な
いわゆる「ヤンキー」だ
僕をひきづってきて
ベンチに座らせて
かなり息が上がっているみたい
両肩を、上下に揺らしている
カツアゲでもされるのかな
「なん、ですか?」
不安に慄きながら
掠れた声で、尋ねてみる
財布は持っていない
携帯も、家に置いたまま
ここで僕は、気付いた
この相手に、見覚えがあることに
奇しくも、過去、この場所で...
...ヤンキー4人
に、包囲される、リン
記憶を無くす前の
青い顔をして、ガタガタ震えて
あの時
偶然見かけた僕は
風の如く、5人に接近して
リンを救助して
ヤンキーたちを置き去りにして
逃げ帰って行ったんだっけ
...ヤバい!
目の前、僕の目の前に、いるのは
あの時の、ヤンキーだ!
1人だけ、だけど
体格はいいし、多分年上だろうし
喧嘩慣れしてるだろうし
...つまり、僕のかなう相手じゃない!
多分、こいつは
あの時の、報復にきたんだ
リンを勝手に連れ去って
いや僕は、もちろん、
リンを助けたつもりだったんだけど
ヤンキーたちの側からしてみると
獲物を、横取りされた
...ように、思っているに違いない
と、すれば、
僕は...これから...
殺される!とまではいかないにしろ
殴られる!袋叩きに!
ボコられる!
どうしよう
どうしよう、どうしよう
110番しようか
いや、携帯、持ってないし
大声出して、助けを呼ぼうか
いやもう、周りに誰もいないし
彼は...ヤンキーは
僕と同じく、肩で息をして
僕を睨みつけて
いや?ちょっと違うな
僕を、見つめて
あまり、凄みは感じられない
どうして、1人なんだ
この前は、4人だった
いや、彼らの...
ヤンキーたちのことだから
近くに、潜んでいるかもしれない
これからどうなるんだろう
僕は、何をされるんだろう
「ふうううう...」
茶髪のヤンキー、深呼吸
今から、吊し上げが始まるのか
「...お前、な...」
一声、発した
僕は、答えない
「...容態は、どうだ?
いいのか?」
え?なんだって?
良いわけ、ないだろう
いきなり、公園に引き摺り込まれて
吊し上げされるかもしれないのに
ボコられるかもしれないのに
怖い?正直、そうだ
逃げられないんだから
この前は、リンと一緒に
ドサクサに紛れて、逃げ出したけど
相手が1人とはいえ
もう半分、押さえつけられたような
もんだから
絞り出すように
「良いわけ、ないでしょう?
こんなところで...」
「違う!お前じゃなくて!」
僕の回答を
途中で、遮るように
ヤンキー、声を荒げる
...お前じゃない?
僕じゃないってこと?
一体、どういうこと?
「...あ、あの娘っ!
じゃ、じゃなくて!
あの女性っ!」
え?あの、女性って?
まさか...?
リンのこと?もしかして?
「くっ、車に!
はねられたんだろうが!
だっ大丈夫、なのかよっ!」
相手の顔を、よく見てみる
真っ赤な顔をして
それこそ、絞り出すように
長くて、暑苦しい季節
僕の苦手な、夏が終わり
もう、10月
...季節はもう、秋
通学途中に、寒風が吹き荒ぶ
「リンさん、行くよ!」
リンの家の前で
僕は、彼女を誘う
「...行って、来ます」
笑顔で見送るおばさんに、小さく頭を下げて
消え入るような声で、挨拶して
緊張した面持ちで、リンが出てくる
「...行ってらっしゃい!
アツヤ君、リンをお願いね!」
記憶喪失になって
病院から、退院して
通院のカウンセリングも、芳しくなく
先行きも、見通せず
自宅待機が続いていたが
リンは、復学することになった
事故から、早くも3ヶ月経過して
ベリーショートだったリンの髪型も
徐々に伸びて
セミロングに近い、長さになって
同時に、これもベリーショートだった
制服のスカートも
「...こんなの、恥ずかしい、です...」
なんて、おばさんに、ささやかな抗議をして
いわゆる、普通の女子高生並みのスカートの長さに、なって
早い話しが...
野獣系の、バタバタと賑やかでうるさかったリンは
性格、外見共に
お淑やかで、大人しい、女子高生へと、変貌を遂げた
自宅で、おばさんと2人きりで
特に外出もせず、
鬱々と過ごすよりは
無理にでも、復学して
環境を変えた方が
記憶喪失の治療にも、
この部屋、リンの部屋
って、話しかけること
リンのカウンセリングが、始まった
やれやれ、とんだ災難だ


