一目惚れだった。


雨の中、その人は楽しそうにレモン柄の傘をクルクル回して歩いていた。

爽やかな雨の日に一際目を惹く彼女。

ずっと見ていたら、彼女はそれに気づいたのか目が合った。やべっ見過ぎた、なんて思ったけど…でも両者とも視線をそらそうとはしなくて。そして照れくさそうに笑った彼女に俺は…。


「なぁ~タイチ。なに見てんの。」


親友が前のめりになった俺の肩を掴む。いきなりのことで驚いた俺はヒゥッと変な声を漏らしてしまった。同時に変に力が入り、手に持っていたスポドリが零れ落ちそうになる。俺は彼女から視線を外し、慌てて親友のユウタに言った。


「べっ、別に何も見てねぇよっ。つか驚かすんじゃねぇ!」

「…なーんか怪しっ。ほら、休憩終わるぞ。次は 1 on 1 だぜ。」


「俺と組もうな。」そう言い残し、ユウタは先にコートに出た。「今日もどっちが勝つか勝負だ!」何て意気込んでドリブルをついている。

季節は梅雨。

本来火曜日は屋外のバスケットコートを使うが、今日は雨のせいで体育館を使用していた。
俺は開きっぱなしの扉から再び外を見る。空は晴れているのに、そんなのお構いなしと言わんばかりの天の邪鬼な雨。そこにはもう彼女の姿はなかった。…ユウタのせいだ。
俺は立ち上がり、スポドリを隅に置いてゆらゆらとコートに出た。
頭の中は彼女のことでいっぱいだ。


(彼女は誰だろう。)

(この学校の制服を着てたけど、見たことない顔をしてた。)

(同学年ではないな。他学年…何年生かな?)

(てか何で今まで気づかなかったんだろ。)

(…また会えるかな。)


レモン柄の傘がクルクルと、俺の脳裏に浮かんでは回ってる。たった数秒の出来事が、深く深く刻まれていく。


「…っはー、タイチ。今回は俺の負け。ギブギブ。」


ユウタは両手を挙げて降参と言わんばかりにその場に寝転がった。いつの間にかボールはコートの外に転がっていた。俺のディフェンスが粘着質だったようで全く入り込めなかったらしい。


「ユウタ寝転ぶな。次が待ってんだから。」


そんな親友の姿にキャプテンが注意する。ユウタはそのまま床をゴロゴロと転がり「だって先輩聞いてくださいよ~。」と言い訳を始める。


「今日のタイちゃん、なんか変なんっすよ!」


ユウタは起き上がりながらそう言い、胡座をかく。俺はその言葉にドキッとしながらも「変ってどこがだよ。」と返し、手を差し伸べた。俺の手をとってユウタは立ち上がり、そのままコート外に出る。
「蒸しあちぃな~汗くせぇーっ。」と独り言が煩いユウタを横目に俺はシトラスの香りがする制汗剤をつけた。この香りは俺のお気に入り。心身共にスッキリさせてくれるから。
俺達は水分摂取しながら他の奴らのプレイを眺める。隣に立つユウタは先程の話を蒸し返していた。


「なんかさっきからボーッとしてさ。…はっ、さては"恋愛関係"か~?!」

「?!」


その単語のせいで口に含んでいた液体が気管に入り、俺はゲホゲホと咳き込んだ。動揺する俺の姿にユウタは「マジで?!」と叫び、顔を輝かせた。


「そう言えばタイチの恋バナなんて聞いたことないんだけど!
タイちゃんが恋してるなんて、男になったのね…お母さん嬉しいっ。」

「ンンっ、…あー。」


ユウタの悪ふざけをスルーして、俺はどうすっかな、なんて考えながら軽く咳払いをした。
俺の親友は意外と鋭い。…そして面倒くさい。「このこのっ」と肘でグリグリされ次には「誰だ誰だ」って、それはそれは拷問のようで。


「いや…ユウタの気のせいでしょ。それより今はバスケに集中、な?」


「今年は絶対に負けられない夏なんだから。」と重たい言葉を言い放して、俺はエアでシュートをうった。
…うん、今日の調子は良いみたいだ。
スナップを何回かきかせた後、今度はボールを持って真っ直ぐ上にうつ。空中に放たれたボールはあの彼女の傘のように綺麗にクルクルと回った。

バスケを始めて5年目、この夏にはインターハイが俺らを待ちかまえていた。他の三年生を差し置いて二年生でスタメン入りした俺とユウタは、選ばれなかった人達の想いを背負ってコートに立たねばならない。

色恋沙汰に現を抜かす暇なんて、今の俺にはないのだ。


「っしゃぁ!!」


スイッチを切り替えるように俺は叫んだ。


───
──



夏のインターハイは、初戦敗退と呆気なく終わった。
泣いている先輩達。俺は呆然とその光景を見ることしかできなかった。

沢山の想いを背中に託されたのに。その想いに応えることができなかった。

だから俺は、泣いちゃいけない。泣く資格なんてないから。なのに…。


「泣いちゃ、いけないんだって。」


泣くな、俺。そう自分に言い聞かせてもポタポタと落ちる悔しさの雫。
キャプテンに背中を押されて会場を後にした。帰り道には誰が何を話したかなんて覚えていない。

その日の夜、俺とユウタは高校に戻った。行き着く先は体育館。100本ダッシュと100本シュートをうった後、俺達は倒れるようにコートに横になった。
高い位置に設置された窓から夜空が浮かんでいる。目から溢れてやまない何かのせいで体育館のライトがキラキラと輝いて見えた。夜空に向かって泣く俺達は、きっと空に星が降ってんだって思い込んだ。


「次は…次は俺達が、全国で戦ってやるんだからな…!」


ユウタは涙声で誓い、空に手を伸ばした。その姿を見て、俺も誓い、空に手を伸ばす。


「…おうっ!」


今はまだ遠くで届かない、夜空の星を掴むように強く拳を握った。


───
──



それから半年が過ぎ、季節は冬。
ユウタが男子バスケ部のキャプテン、俺は副キャプテンに選ばれてやっと板について来た頃。

俺は再び出逢った。

朝練後水飲み場で休憩していた、いつも通りの日。


(もう7時40分か…切り上げなきゃな。)


そろそろ皆が登校してくる時間。着替えようと体育館の方へ戻っていたら、レモン柄の傘が俺の視界に移り込んだ。折り畳まれているが、間違いない。
弾かれたように顔を上げれば、あの時の彼女が向こうから歩いてきた。

瞬間、あの時の俺の感情が呼び覚まされる。




(彼女は誰だろう。)

(この学校の制服を着てたけど、見たことない顔をしてた。)

(同学年ではないな。他学年…何年生かな?)

(てか何で今まで気づかなかったんだろ。)

(…また会えるかな。)




「……また、会えた。」


立ち尽くしている俺を通り過ぎて下駄箱に向かう彼女。ハッと我に戻りその後ろ姿を追いかけた。背中姿に手を伸ばしたが後少しのところで踏みとどまる。


(いきなり声かけて変に思われたりしないかな。)


悩んだ結果、俺はこっそり下駄箱の方を覗くことにした。丁度彼女が靴を出し入れしているところだった。俺は靴の色を確かめる。


「緑…三年生か。」


俺達の高校は、学年事に色が分かれている。
今は一年生は青、二年生は赤、三年生は緑。

彼女が使っていた個所を確認して、彼女が立ち去った後俺はそこに立つ。

31番。

ここから出していた。


「タイチ~? 何してんの。」


突然声をかけられ俺は肩を震わせた。見られてはいけない所を見られてしまい、冷や汗が背中を伝う。


「なっ何もしてないよ。…ユウタこそ何かあった?」

「いや、下駄箱の方に入っていくタイチが見えたからどうしたんかな~って見に来ただけ…。てか何で三年生の下駄箱の所にいんの?」

「や、えっと…。」


…上手い言い訳が思いつかない。そう言えば前も似たような事あった気がする。あれだ、彼女と最初に出会った時。…相変わらずタイミングが悪い。
どうしようかと悩んでいると、ユウタが目の前にやって来てゆっくり口を開く。


「…タイチは悩み事とか相談とか、あまりしてくれないよね。いつも俺の話を真剣に聞いてくれる。大らかで天然で、俺と違ってそういう悩みとかないんだな~って思ってた。」


焦っていた俺は、急に何話し出すんだって訳が分からなかった。しかし、ユウタが何かを決意したかのような目で話すから、静かに親友の声を聞いた。


「けど…いつからか、何となく分かった。俺にはそういう話をしてくれないんだって。はぐらかされているのが分かった。」

「…!」


そんなつもりはない、そう言いたかった。けど、思い当たる節があって俺は黙る。ユウタは話し続けた。


「俺ってそんなに頼りない? 俺がいつも悪ふざけしてるせい?
何か悩んでるんだったら、相談してほしい。俺だって親友の、力になりたいから…。」


真っ直ぐ見つめて話すユウタ。そんな親友の透明な言葉が俺の心に響く。まだ登校する学生は少ないものの、数人が何の騒ぎだろうと此方をチラチラ見ていた。でもそんな周りの視線や音なんて、関係ない。
言いたかったことをやっと言えたのか、ユウタの顔がスッキリとして見えた。


「それとも、こう思ってたのは俺だけだったかな。」


「なーんてな、」と笑いとばすユウタの姿を見て、俺はこの親友に一度もそういう類いの話をしたことなかったと、今になって気づいた。親友なのに。俺にとって一番の友達なのに。

そんな思いをさせていたのか。


「ユウタ…今までごめん。確かにユウタの言うとおりかもしれない。俺、おれ…。」

「んな湿気た面すんなって。無自覚なんだろうなって思ってたし。これからは少しずつでいいからさっ。」

「ユウタ。今、良かったらその…聞いてくれるか?そんな大した話じゃないんだけど…。」


俺は足元を見ながらポツリポツリと言葉を落とす。全部話したら親友は何と思うだろうか。こんな一方通行な思いでも、受け止めて聞いてくれるのだろうか。何せ恋愛話を人にしたことがないものだから、どうすればいいか戸惑ってしまう。

俺は恐る恐る顔を上げた。瞬間、ユウタの顔がパァっと明るくなるのが分かった。「勿論だ!」と嬉しそうに笑うものだから俺もつられて笑った。
ガヤガヤと登校する人が増えてざわついてきた。


「あっ、やっぱり後で…ここじゃちょっと。」


思っていたより人が多くて少し焦る。こんな所では話すに話せない。そんな俺の姿を見てユウタが更に笑った。


「そんな大笑いするなよ…。」

「あは、ごめん。嬉しいのとタイチが面白可笑しいからっ。とりあえず、戻って制服に着替えようぜ。
…教室でまた聞かせて?」


俺達は顔を見合わせて再び笑った。