あの日から、私の日課がひとつ増えた。


学校が終われば、あの桜の木まで急いで走り、Kが着いていないのを確認して、私はいつも通り過ごす。


それから10分くらい遅れてKが現れる。その日にあったこと等を軽く話をしてから、『ホログラム』について互いの考察を話し合い、Kの分からないところを私が教える。


活字が読めない程に日が暮れたら、「じゃぁ、また」と互いに帰路につく。


たったそれだけの事だったけれど、私にとっては凄く楽しい時間だったわ。


意外とKは想像力というか、解釈する力があって、読書好きな私でもKの考察には目から鱗が落ちるような感覚を何度も味わった。


最初は怖かった外見も気にならないくらいになった。


あまり笑わない人だけれど、ふと笑うその顔は桜よりもずっと綺麗。


年齢相応の少しだけ幼い声はいつも言葉少なだけれど、いっぱいの優しさが隠れている。


いつも不機嫌な表情をしているのはすこし、気恥ずかしいから。


Kについてそのくらい知るようになった頃には、私はKに惹かれていたんだと思う。


気付けば、桜の花びらたちはすっかり舞い散って、葉桜になっていた。


その日はテストが近いから、勉強をしていた。


それを見ていたKは私におもむろに訊ねた。


「……なぁ」


「……なに?」


「いっつも勉強してる。楽しいか?」


「まさか!でも、嫌いじゃないよ」


「なんで?」


「なんでって……」


「将来使うか?こんなん」


「まぁ、機会は少ないよね……」


Kの言うことは普通一般の高校生が言うことで、私も思うところはあった。でも、私にはKの言うことを丸ごと肯定できなかったから、今度は私から問い掛けた。


「逆にKはどうして勉強嫌いなの?」


「決まってる。訳が分からないし、親が煩いから」


「親が?」


「うん。人間、勉強だけが全てじゃねぇだろ」


「そうだね」


「親の言いなりになんて、なりたく無い」


「もったいないなぁ」


「……は?」


今思い出しても、その時のKの顔は面白かったわ。あぁでも、Kの反応はごもっとも。それは……あなたもそのくらいの歳になれば分かるわよ。


私が少し笑うと、Kはかなりムッとした表情で私に言った。


「もったいないって、どういうことだよ」


「私は勉強が嫌いじゃないし、親がS高に行けって言ったから来たんだけど、親の言いなりになりたくないから勉強しないっていうのはもったいないと思う」


「……んー?」


「勉強をすると、将来の選択肢が多くなる。選択肢が多いと自分の好きなところに行ける。そこで親の言いなりにならなければ、Kは自由だよ?」


「そういうもんか?」


「そういうもんよ」


Kは私の言葉にそれだけ言った後、膝を抱えて悩みごとをしているようだった。私もそんなKをみてこれ以上話し掛けようとは思わず、沈黙が続いた。しばらくして、Kがぼそりと私に言った。


「穂澄は、将来なりたいもんとか決まってる?」


「……まだ、かな」


この時、私はKに嘘をついた。いや、正しくは『なりたいもの』ならあったけど、それになると『決めた』もしくは『決まってる』訳ではなかった。


Kには偉そうに「もったいない」「選択するときに親の言いなりならなければいい」なんて言っておいて情けないけれど、私にはKみたいに親に反抗する気力も勇気もなければ、親の言いなりになる精神力もなかった。


それがKにばれてしまうことが怖くて、私は曖昧に答えて、Kに聞き返した。


「……Kは?」


「俺は……」