「あんたの事はどうでもいいとしてさ、あたしはどうすればいい?」
「おまえ?」
「そ」
「どうって」
実際、今、自分をどうすりゃいいかも分からないのに、右川の面倒とか考える余裕が無い。
「沢村が出るなら、あたし用無しでしょ?辞めちゃっていーんじゃない?」
辞退か。もともとやる気なかったんだし、それもありうるか。
「そう思うなら、自分で行って取り消してこいよ」
右川はチューリップ頭に手を差し込んで、「うわ。面倒くさ」と頭を掻いた。
だけど。
「だけど、おまえが自分の考えで、少しでもやる気になったなら。別に、やってもいいんじゃ、ないかな」
何もしない事が、どれだけツマんないか。
やってみないと分からないという事もあるし。
右川を学校生活に引っ張り込むという、山下さんとの暗黙の約束が、それで果たせる気もした。
「真面目な話。選挙活動は、おまえにとって、いい経験になると思う」
黄色いマフラーは、ピクリともしない。
「ツラくなったら辞退もできる。委任状っていうシステムもあって。難しい事は教えてやるよ」
右川は俯いて、地面をジッと見ている。
それは意地を張っているようにも見えたし、背中を押してもらいたいようにも思えた。
あのさ。
「あのさ、いろいろ無理言ったけど、結果、右川のおかげで堂々と立候補できて……感謝してる」
マジで。
こうして自分の名前が公に出てしまった以上、重森との約束なんてどうでもよくなってきた。あれは一体、何だったのか。あそこまで律儀に守ることも無かったと、後悔すらしている。
〝何が何でもやらなきゃって、そんな決まりは無いんだし〟
いつもの、右川の言う通りだ。
「あの、色々と、ごめんな」
「……」
「右川さえよければ、だけど」
「……」
「次の執行部、一緒にやる?」
右川はゆっくりと顔を上げた。
チューリップとマスクの間から覗いた両目で、俺をジッと見つめる。
コートを脱ぐ旅人は、右川自身だったのだ。
これは、雪解けだ。
やらないと言いつつ、最後には阿木や浅枝の期待に応えて立候補を受け入れた事を思った。
ある意味、俺の頼みを聞いてくれたと思えば……受け入れて行ける。
チューリップ頭は、ユラユラと揺れた。俺目線で、それが可愛いとは程遠い。
だが、その無邪気なキャラクターが生徒会でどう弾けてくれるのか、そこが楽しみでもある。
頭のよさは認める。これからは、ひたすら学校生活を面白くする事に、その頭をフル回転させればいい。生徒会では、お手並み拝見。
右川がマスクの下で、微かに笑った。
少なくとも3秒、優しい空気に包まれたと、俺はそう感じた。
そこへ。
突然、鳴り響く〝ゴジラ〟のテーマ。着信アリ。右川のスマホ。
右川は、マスクをアゴに外した。
ピッ♪
「あ、松倉ぁ?あたし。なんかもう、こいつ自体がクソ訳分かんねーって感じで笑っちゃうんだけど。とりあえず用紙とさ、あと沢村の机ン中にパソコンあるから、それ貰って……んー……売っちゃえ。じゃ♪」
何だ。
次第に、鼻に付く、その歪んだ口元。
「あたし、選挙出るよ」
右川はヘラヘラ笑ってスマホを振り回した。
「大丈夫♪あんたが居ても居なくても困りまセン。てゆうか最初から宛てにしてまセン。あんたダサいから邪魔だよ。マジでいらない」
ドロドロと不穏な空気が流れ込む。それが俺の胸内を叩いて、広がる。
これはプロローグ。まさに右川が攻撃に転じた瞬間だった。
「あんたさ、まさか自分が出て当選確実とか思ってる?それちょっと甘いんじゃない」
〝攻撃は最大の防御〟
これは今の俺にも当てはまる。
重森のように永田のように、ここで俺は負ける訳にはいかない。
1度、大きく深呼吸した。
「おまえこそ、自分が当選すると思ってんのか。そうゆう態度なら協力しないぞ」
「協力?それって、なぁに?あたしに投票してくれんの?」
するワケねーだろ。
もう当たり前過ぎて、口にも出さなかった。
「協力してやる。教えてやる。世話してやる。ずーっと上から目線って、気持ちいい?」
「クソ気持ち悪い。好きでもない女から依存されるのは最悪。困ってるゾ、誰かさんは」
山下さんを少しでも匂わせた途端、右川はヒートアップする。
ヤバいと思ってからでは遅かった。
「いちいちアキちゃんを出すな!」
ピキ。
ピシ。
亀裂音が炸裂。
辺りは冷たい空気なのに何故か生温い汗が噴き出る。
磁場がオカシクなる兆候だ。
「ちょっとアキちゃんと親しく口利いたからって、まさか並んだ気でいる?あんたそこまで高い位置に居ないよ。自分の事ちゃんと分かってんの?ちゃんとちゃんとちゃんとちゃんとちゃんとちゃん!」
「わかってる!」
必死で遮った。
じっくり聴いていたら、いつものように右川のペースに呑まれてしまう。
「俺はおまえよりは知られてるし、おまえみたいに適当じゃない。おまえと違って勉強も生徒会もちゃんと真面目にやってきた。だーかーらー、高い位置に限りなく近いって事。充分、分かってるよ。当たり前だろ」
「出た。アタリマエ。さらに天狗かよっ」
右川はチューリップのマフラーを解いて、首にグルグルと巻き直した。
「あんたがアキちゃんとどういう話になったか知らないけど、何その気になってんの。何であたしが、あんたと付き合う事になってる訳?あ!?」
選挙にこじつけて勝手に広がった噂の事だと思った。
「別に俺が言った訳じゃ……結果的に、おまえの宣伝になって良かっただろ」
「それで!こないだのアレはとうとう実力行使に出たと?!」
「そ、そうじゃないけど」
だったらあれは、あんたの真心なのか!と突っ込まれる事が、今は1番困ると思った。可愛いも無邪気も同情もスッ飛んで、今はその片鱗すら見られない。
「あたし、あれはマジで学校やめたくなったよ。アリガトウ」
俺だって辞めたくなった。
あの一部始終を思い出すだけで嫌な汗を掻く。俺史上、最悪の汚点だ。
「聞いたら、あんた、宮原さんにも相当エグい事したみたいだね」
「エグいって、それは言い過ぎ」
味付けが強すぎる。女子は無い事無い事、ふくらませるから。
「宮原が何言ったか知らないけど、あの程度……その場の雰囲気で。あっちもその気で」
「あっちもその気?」と、右川は一段と険しい顔つきで、
「あたしは1度もその気になった覚えないけどねっ。この前科モノ!」
前科2犯!と、右川は叫んだ。
「いつまで言ってんだよ。しつこい」
「はぁ?どっちも悪いのあんたでしょ。何で逆ギレ?クズ野郎。ダサいから消えろ!」
「消えるのはおまえだ。とにかく、パソコン返せ!」
「返さない!あれは貰う。慰謝料だ!」
右川は、足元の石を拾って、力任せに投げつけた。
「色々とバラされたくなかったら、今後一切、2度とあたしに近寄るな!」