35階から落ちてきた恋

化粧室で手を洗っているところに美乃梨さんが入ってきた。

美乃梨さんは29歳。私より前から勤務するベテラン事務スタッフ。
正確で早い仕事のできる女性だ。プライベートはよくわからないんだけど。
こうして職場メンバーの飲み会の時にはまとめ役になってくれる大切な存在でもある。

「そろそろお開きにする?」
「そうですね。明日も仕事が待ってますし」

二人ではあっと息をついた。
「ホントに今年のインフルエンザには参りましたね」
「そうよ、毎日の会計処理だけじゃなくて、先月のレセプトも大変だったんだから」
「そうですよね、あんなに患者数が多かったらレセも大変でしたよね」

レセプト病院や診療所が医療費の保険負担分の支払いを公的機関に請求するために発行する。診療報酬明細書。

「ねえ、果菜ちゃん。私見ちゃったんだけど」

美乃梨さんが小声で私に一歩近づいて囁いた。

「この間のVIPってLARGOのタカトよね」

「・・・美乃梨さん」
どうしてそれを。

「私がレセプトをまとめたのよね。会計処理は院長がやったから誰も気が付いてないみたいだけど。レセプト書類で見つけたの。進藤貴斗、35歳。LARGOのファンならみんなタカトの本名も年齢も知ってるわ。院長もVIPだって言っていたし。ね、当たり?」

美乃梨さんはうっすらとほほ笑み、私の返事を待っていた。

「私がYESかNOか言わないこともわかってますよね?」

真っ直ぐ美乃梨さんを見つめて答える。