「昨日現れた婚約者のこと? それだったら、松嶋くんが帰ってきたら聞いたらいいじゃない」

「わかってる。わかってるよ。でも……」

二十八にもなって、私のやってることは子どもだ。

それはわかっているけれど、私の出した結論は、松嶋くんの前から姿を消すことだった。

「結衣ちゃんは、意外と頑固だからなあ」

退職願を手に取り、瑞穂ちゃんは大きなため息をつく。

トントン、と手で退職願いを叩きながら、しばらくうなっていたけれど、気持ちが決まったのか、私の方に体を向けた。

「一応これは、私が預かる。でも、退職することは認めません」

「瑞穂ちゃん」

「結衣ちゃん。あなた、明日から一週間、有休取りなさい」

瑞穂ちゃんの意外な提案に、私は目を丸くする。

「一週間あれば、軽く旅行とか行けるでしょ。ここではないところに行って、頭冷やしてきなさい。仕事を辞めるかどうかは、それから考える。わかった?」

「はい……」

「それと、このもう一通は何?」

机に置かれたもう一通の封筒を、瑞穂ちゃんが指差す。

「……出張から帰ってきたら、松嶋くんに渡してほしいの」

「結衣ちゃんはそれでいいの?」

私は黙ってうなずく。

「わかった。松嶋くんに渡しておく。でも結衣ちゃん、約束して」

「何?」

「この一週間、私から結衣ちゃんに連絡はしない。でも、一週間後、必ず戻ってきて。私の前から勝手にいなくなることは許さないから」

「わかった」

「よし。じゃあ、三枝さんは一週間、お家の事情でお休みね」

「すみません、ご迷惑かけて」

「いいのよ。有休余ってるんだし、しっかり使いなさい」

上司の顔に戻った瑞穂ちゃんは、優しい笑顔を向けてくれた。

急な休みなのに、同僚たちは快く私の仕事を引き受けてくれた。

引継ぎをすませ、定時で会社を出る。

家に帰り、いつものように母の遺影の前に座ると、カタッと音が鳴り、母が写っている写真立てがパタリと倒れた。

腰を浮かせ、写真立てを手にすると、写真立ての裏が少しずれていることに気づいた。

普段はまったく気にしたことのなかったことなのに、不思議だなあ。