悩み抜いた母が出した答えは、父と離れること。

父のため、父が継ぐ会社の従業員のために自分が離れることを決めたのだった。

別れを告げ、母は東京から今私が住むこの街へとやってきた。

私がお腹の中にいることを知ったのも、この頃だったという。

頼る人もいない母の事情を知り、格安でアパートの部屋を貸してくれた大家さん一家の助けを借り、母は私を産んだ。

出産後は大家さんの家の一室を使って個人塾を開き、そのお金で私を育ててくれた。

いつも母は笑顔で私を見守ってくれていて、卒業したら今以上に親孝行をしようと決めていたのに。

そんな母に病気が見つかったのは、私が大学二年生のとき。

『結衣の母親になれてよかった。あの人を愛してよかった……幸せになるのよ、結衣』

それが最期の言葉。

結局、父のことは十歳のときに聞いたことしかわからないまま。

顔も知らない、名前も知らない。ただひとつ、大きな企業の御曹司だったという話だから、今でもどこかで社長でもしているのかも知れない。

だからと言って、会いに行きたいわけでもないし、今後探したいと思っているわけでもないけれど。

でも、ふとしたときに思うことがある。

もし、私が結婚することになって、相手の家族に紹介されたとき、顔も知らない父親とつながりのある人だったりしないだろうか……って。

迷惑をかけたくない一心で母は自分から離れたのに、私が近づいてしまうことはないのだろうかって。

そんな不安もあって、私はずっとこの街で生きてきて、あまり交友関係を広げることもしなかった。

「でもね、お母さん。私、松嶋くんと一緒にいたいって思ってるの。何かあったらちゃんと、自分からお別れするから。だから、いいよね……?」

自宅に戻った私は、母の遺影の前に座って語り掛ける。

写真の中の母は、穏やかに笑うだけで返事をくれない。

でも、その笑顔は私を応援してくれているように見えて……。

きっと、応援してほしいと思っている私の願望が見せていたのかも知れないけれど、そのときの私は母に見守ってもらっている気がして本当にホッとしていた。