気づけば景色は黒く塗り替えられていた。
寒さに震えながらも、わたしは息を殺して、誰にも見つからないように小さく縮こまっていた。こんなに夜遅くに女の子がいたらさらわれてしまうという話を学校で習ったことがある。
だけど……お母さんでさえわたしがいらない子なんだったら…誰もわたしなんて欲しくないんじゃないの、って、意地悪な誰かが心の底で囁いた。
公園にあるすべてのものが、わたしを追い詰める怪物に見えた。お前はここにはいらないから出て行けって、呪われているみたいだった。
冷たいコンクリートのトンネルの中で揺らめく黒い影がわたしを捉えようとしていた。
悪魔みたいに地を揺るがすような風が吹けば、巨人のようにそびえ立つ木々が低い唸り声をあげた。
「お母さん…っ、お母さん…。」
今になって呼ぶその名前は、ひどく懐かしく感じられた。
お母さんは本当にわたしを迎えに来てくれないのだろうか。夜遅くに子供が一人いなくなっても、それでも、お母さんは来ないのだろうか。
心配していてほしい。わたしを見つけて泣いてほしい。
恐ろしい公園の怪獣たちをも黙らせるほど大声でわたしの名を呼んで欲しい。
「大好きなのに…っ」
小さくつぶやいたつもりだったけれど、それはすごく大きくトンネルの中で響いた。黒いくうごめく影がわたしを睨んでいた。お前は黙って生きていけばいいんだ。誰もお前なんていらない。
もしもこのまま本当にお母さんが来なかったら、わたしはこれから一人で生きていかないといけないのだろうか。本で読んだ小公女セ○ラみたいに、道端でパンを乞わないといけないのだろうか。
もう二度とお母さんの大好きな青リンゴの匂いをかぐことはできないの?
怖い…怖い…怖いけど、お母さんがくるまで、帰れない…っ
お母さん、お母さん。
わたしって、お母さんにとって大切なんじゃないの…?
お父さんがいなくなってから、ずっとずっと守ってくれるって言ったじゃん!
二人で支え合って生きて行こうって約束したじゃん…っ!
なのに…っ
ーどうして…?
「凛ちゃん…!」
遠くで鈍く声が聞こえたような気がした。
その声はだんだんと近づいてくる。悪魔の使いが迫ってくるみたいで、わたしは怖くて怖くてぎゅっと目を瞑った。
お母さん…っ。
これからはいい子にするから…っ
ちゃんとおとなしくしてるからっ…抹茶ケーキもいらないからっ…
だから、ー
「凛ちゃん!!」
お願い、
「凛ちゃー…凛ちゃん?」
ーわたしのことが一番好きって言ってよ
大きな影がわたしに重なって、息を飲んで顔を上げれば…
ーそこにはひどく顔を歪ませた笹原さんがいた。
「凛ちゃん…」
そして、まるですごく安心したかのようにその場に座り込む笹原さんを目の前に、わたしは驚きを隠せずにいた。どうして笹原さんがここにいるの…
どうして、お母さんはいないの?
笹原さんは何も言わずに、擦り傷だらけのわたしの体に腕を伸ばしてきて、そっと抱き寄せようとした。
だけどわたしはそれに逆らうように距離をとってジタバタと暴れた。必死にトンネルから逃げようとした。
でも笹原さんはそんなわたしを見て、悲しそうに眉根を寄せ、トンネルの中に身をかがめると、グイッとわたしの体ごと彼の腕の中にすっぽりと包み込んでしまった。
「やだやだ!!」
お母さんはどうして来てくれないのっ??
「離して!!やぁあだ!お母さあぁん…!」
わたしが叫ぶほどきつく抱きしめられて、『ごめんね』を繰り返すばかりの笹原さん。
だけどぎゅっと目を閉じて、初めてしっかりとその暖かい温もりをズタズタになった服越しにしっかりと感じたとき…お母さんの温もりと重なって、それと共に今までのことが全部溢れ出してきて…
「ぅ…ううううあああーん…!」
たかが切れたみたいに涙が溢れ出してきた。
古本みたいにほろ苦い香りを胸いっぱい吸い込みながら、悲痛の叫びをあげた。
世界が真っ暗に見えた。
赤ん坊みたいに泣き続けるわたしを、笹原さんは、ごめんね、とか、うん、うんと頷きながら、ずっと背中をさすっていてくれた。



