「あ、これ美味しそう」
惹かれるレシピをみつけ、スクリーンショットを撮る。ちょうど目の前の信号が赤になり立ち止まった。
(あ、でも…これも美味しそう。作るの大変そうだけど…)
「迷うな…」
「美味しそうな料理だね」
「そうですか?なら、これにしようかな…って、え?」
右側で聞こえて来た言葉に、つい反応してしまう。傘を持ち上げてその声の主を見上げれば、相手はニコリと微笑んだ。
「こんばんは。村瀬さん」
「あ…しゃ…社長?」
大きな黒い傘を差し、灰色のコートに身を包むのは桐生社長だ。
な、なんで、こんな所に。
慌てて持っていたスマホをポケットに突っ込み、地面に頭がついてしまうほど深々と頭を下げた。
「えっと…お疲れ様です!」
「お疲れ様。仕事終わり?何処かに行くの?」
「えっと…夕飯の買い物に…はい」
「そうなんだ」
心臓の鼓動が急激に早くなってきた。社長とは会社で顔を合わせてちょっかい出される程度。こんな話は今までした事がない。右半分が緊張で硬くなって身体が熱を帯びてくる。
顔をあげ、スマホでレシピを見ていた事を見られた事実に急に恥ずかしくなる。
何も聞かないで。そう思いながら正面をみると社長は突然私の目の前に小さな紙袋を差し出した。
「そうだ。これ、あげるよ。この近くにね、ホテルのペストリーで作ったケーキを提供するカフェを近々オープンするんだ。今日はその打ち合わせで、お店で出す焼き菓子を貰ったんだけど…甘いものは苦手だから。良かったらどう?」
「え?あ、えっと…いいんですか?」
甘いものは好き。でも、社長が貰ったものなのに。
「いいよ。甘いもの好きそうだから、好きな人に食べて貰ったほうがお菓子も喜ぶから」
「…ありがとう、ございます」
手を伸ばして受け取ると、一瞬だけ手が触れた。雨で空気が冷えているせいか、お互いの指先は冷たい。


