恐らく、課長と同じくらいの歳の、突然現れた謎の男性は、ゆっくりとした足取りで私に近づいて来た。
「あ〜。誰か分かんないって顔してるね。えーと、君とは初めましてかな。僕は、龍御寺 俊哉 (りゅうおんじ としや)っていうの〜。以後お見知りおきを」
「はあ……。あ、私は、佐藤 深雪 と申します」
てっきり、名刺を渡されるのかと思った。
だけど、龍御寺という男性はそういう素ぶりはない。
普通、ビジネス場の初対面なら名刺を渡されるんだけど、この人は他社の社員じゃないってこと?
でも、ウチの会社にこういう男性社員って、いたかな?
いたら結構目立つから、もし他の部署の人だとしても、会社のどこかで見ていてもおかしくないと思うんだけど……。
「うん、佐藤、深雪ちゃんね。覚えとこ。じゃあ、深雪ちゃん」
にこにこと、人当たりの良さそうな感じの笑顔で、私を下の名前で呼び、『ちゃん』付けをした。
あの、初対面なのに『ちゃん』付けって、ちと馴れ馴れしくはありませんか……?
それに、なんだか距離が、やけに近いような気もするし……。
すぐ目の前にある、彫刻のような端整な顔を見上げて、苦笑いを浮かべる。
「馴れ馴れしいのは変わらずだな。後、もう少し離れろ。常々思っているが、お前のパーソナルスペースの基準、どうなってんだよ」
課長が、すかさず私と龍御寺さんの間に分け入って、私から龍御寺さんを引き離す。
「え〜、僕のパーソナルスペースは、半径一ミリ以下だよ〜」
「無いじゃないか、スペースが。誰にでもそうだから、いつかタイホされてもおかしくないな」
「え〜。大丈夫だよ〜。鬼ちゃんは本当、心配性だなぁ。そういう鬼ちゃんのパーソナルスペースってどれくらいなの?」
「8,60光年」
……はい?
「シリウスか〜」
『凄く遠い距離だね〜』と、龍御寺さん笑っていますけど、課長が言ったこと、理解出来ているんだ!
「ああ。それくらいないと、無理だ」
「でも、距離遠すぎだよ〜。そりぁ、シリウスは冬の星座でこれからの季節に人気だけどさ〜、上手く言ったけどさ〜、僕ら人間では物理的に無理だよ〜。身持ち堅いね、鬼ちゃん。……おばさんが急かすのもなんだか分かるよ」
龍御寺さんは、最後の方、ぼそりと小さな声で言った。
それが偶然、私の耳に入った。
おばさんが、急かすって、なんだろう?
というよりそもそも、龍御寺さんは一体何者なんだろう?
「もう無駄話はいいんだよ。それより、俺に何か用があって来たんだろう?」
「うん、そう。分かった〜?社長が鬼ちゃんのこと、呼んでるよ〜。また、例のことで」
龍御寺さんがそう言うと、課長はうんざりしたようにこめかみを押さえて、深く溜息をついた。
「ああやっぱな。また例のアレか。ったく、何度も断っているのに、次から次へと話持ってきて、うんざりだ」
何の話を持ってくるんだろう。
もしかして、社長に呼ばれているということは、課長は社長から何か話をされるってことなのかな?
いや、やっぱり何か違うような気がする……。
私にはさっぱり分からない事だ。
