こうして始まった俺の歓迎会は、なかなかに賑やかなものだった。


 瑠花の思いつきから高校の卒業アルバムが取り出された時は、樹子さんも交ざって思い出話に花を咲かせた。五年、いやもっと昔の俺たちは、見るからに若くて青くて、ガキ臭い。
 体育祭、学園祭、クラスマッチに修学旅行。学校行事は思い返せばキリがない。卒業アルバムに納められた写真の数々が、忘れていた数々の記憶を鮮やかに掘り起こしていく。


「ねーねー!これ、玲央が看板描いたやつじゃなーい?」
 学園祭の写真を指差して、瑠花がはしゃいだ声を上げた。
「わっ、マジだ!なっつ!」
 大樹も目を輝かせる。

 二人が覗き込んでいる写真に、俺も何気なく目をやった。
 その写真の風景には、確かに覚えがある。学園祭の頃だから、十月くらいか。二年次のクラスでやった、脱出型お化け屋敷の前で撮った写真だ。数人の男子生徒が肩を組んで、カメラにピースサインを向けている。その中には、俺と大樹の笑顔もあった。大樹なんてお化け屋敷のキャストをしていたものだから、顔中に赤い絵の具が塗りたくられている。全身包帯で巻かれた男子生徒もいて、写真とはいえ中々に怖い。


 ––––––この学園祭はいろいろあったな。


 そんなことをふと思い出して、途端にくすぐったい、不思議な気持ちになった。
 俺は、お化け屋敷の正面看板と宣伝のビラを描いたはずだ。それも自分で任されたというより、嫌嫌押し付けられた––––まぁ、結果的に楽しんでやりはした––––仕事で、始めは苦労した覚えがある。
 その苦労のおかげか、うちのクラスの看板は大層好評だったらしい。今見直しても、写真で見る限りでは結構リアルな看板だ。

 ––––––あれ、俺、今より凄くねぇか。

「やー、でも、あの時はビックリだったよねぇ。玲央の絵、めっちゃ上手かったし!」
 瑠花が楽しそうに笑う。
「やめろよ」
 人から褒められるのは慣れない。それは大人になった今でも変わってはいない。
「だってホントじゃん。まさか玲央が絵を描くとかさぁ」
「うっせーな」
 照れ隠しでそっぽを向くと、瑠花は途端ににやにやと不気味な笑顔を浮かべる。
「やー、玲央くんってば照れちゃってもう、可愛い♡」
「ちょっとお前黙れ」
「やだ♡」
「黙れ」
「やーだ♡」
「……」


 ––––––そろそろコイツ、締めてみてもいいんじゃねえかな。


 誰とも言わずにそっとお伺いを立ててみる。そもそも“お伺い”ってのを立てようとしてるあたりで負けではあるが。
「瑠花、そのへんにしとけって」
 いつもいい所で諌めてくれる大樹が、今日も笑いながらではあるが瑠花を窘めた。流石親友、頃合いは抜群だ。
「はーい。ごめんねぇ、玲央♡」
「反省してねぇだろ……」
「えへへ」
 瑠花はいたずらっぽく口の端をあげた。その顔はさっきの固い表情よりは幾分かマシだから、今回までは大目に見てやるか。


 その時、アルバムを覗き込んでいた樹子さんが、あら、と嬉しそうな声を上げた。
「この写真はクラスマッチかしら。みんなで円陣を組んで、楽しそうね」
 ふふふ、と手を口元に当てて樹子さんは笑った。
「しかも玲央くんと希ちゃん、アップされてる写真があるじゃない。とってもお似合いだわ」


 ––––––あ、


 一瞬で空気が固まったのが分かった。隣に座った瑠花の体が固まって、息を飲むのも。いつも大概笑っている大樹でさえ、バツの悪そうな、しまった、という顔をした。
「あら、三人ともどうかしたの?」
 樹子さんが不思議そうに首をかしげる。

「……いや、何でもないっす」
 自分でも驚く程に、俺は冷静だった。冷静で、何故か積極的だった。
「お似合い––––そう、見えますか」

 本当に何聞いてんだ、俺。

「ええ」
 樹子さんはホッとしたように微笑む。
「だって二人とも、とっても素敵な笑顔だもの」
 樹子さんの真っ直ぐな言葉は、真っ直ぐに心の奥へと突き刺さる。
「そう……です、か」

 俺、今、一体どんな顔してるんだ?
 上手く笑えているといい、と辛うじて残った理性が呟いた。同時に、正直それが無理だとも分かっていた。でもいいんだ。上手く笑えていなくとも、笑顔と呼べなくとも、とりあえず泣きそうな顔をしていなければ、それでいい。
 写真の俺らが素敵な笑顔だなんて、そんなこと。俺が一番分かっているから。


「お、そろそろ時間だな」
 何とも言えない、しんと静まり返った空気を破るように、大樹が努めて明るい声を出した。
「ホントだ!あたしも帰んなくちゃっ」
 大樹の声に弾かれ、瑠花も慌てて動き出す。


 壁に掛けられた時計は、午後八時を示している。瑠花も大樹も明日は早朝から仕事があるらしく、会は早目にお開きにしたいということだった。


「んじゃ、俺、ちょっと瑠花送ってくるわ。玲央はゆっくりしてろよ」
 大樹が席を立って、無造作に財布をポケットに突っ込んだ。
「あ、俺もっ……」
 立ち上がりかけた俺に、大樹はひらひらと手を振る。
「いいよ、長旅で疲れてんだろ。こいつん家遠いし、お前は風呂でも入って待ってろって」
「あら、じゃあお風呂沸かしてくるわね」
 樹子さんも席を立つ。
「いや、俺はシャワーでも……じゃなくてっ、」
「いーんだよ、ゆっくりしてろ」
 大樹の声が覆い被さった。
「だってお前、今回はお客様、だろ?」
 有無を言わさぬ口調に、俺は諦めて小さくため息を吐く。半ば強引な思いやりも、昔っから変わっていない。
「わかった、風呂に入る」
 そう言うと大樹は目を細め、満足そうににやりと笑った。

「っし、瑠花、行くぞ!」
「あ、ちょっと待ってよ大樹!樹子さん、お邪魔しましたっ」
 歩き出した大樹の後を、瑠花がバタバタと追いかける。俺も玄関までは見送りに行くことにした。


「じゃっ、玲央、またね!」
 白いパンプスを履き終えて、瑠花は軽く手を挙げる。
「おう。瑠花、今日はありがとな」
 俺も同じように手を挙げた。


 ––––––っと、危ねぇ。


「瑠花、これ」
「ん?」
「渡すの、すっかり忘れてた」
 ポケットから二枚のチケットを取り出して、瑠花に手渡す。そこに書いてある文字を見て、瑠花はああ、と嬉しそうに笑った。
「ありがと!絶対行くね!」
チケットは、大事そうに小さな鞄の中に仕舞われた。
「おう。……瑠花、」
「んー?」
「今日は、その、ありがとな。久々に会えて楽しかった」
「な、なによぉ、いきなり!」
 目を丸くした瑠花の頬が赤い。

「や、単にお礼的な?」
「びっくりするじゃん!ばか!」
「ばかってお前な……」
「あたしも会えてよかったし!ほんっとに行くから、その時また、ね!」
「おう。さんきゅ」
「もー、調子狂うなぁ」
 そう言って照れくさそうに笑う瑠花は、––––どうしてさっきまで気がつかなかったのだろう、とても綺麗になっていた。

「そーゆー大事なもんは先に渡せよな」
 大樹が呆れたように笑いながら、玄関の扉を開ける。
「んじゃ、ちょっと行ってくるわ」
「玲央、また今度ね!」
「おう」


 パンプスの足音が、アスファルトの上で軽く弾む。


 初夏とはいっても、まだまだ夜は涼しいみたいだ。
 大樹と瑠花、二人が並んで歩く道は、夜空に輝く月と星々の優しい光で照らされていた。