「じゃあ、ライリー、片付けよろしくな。また、明日来るよ。」
 「はーい。お疲れ様です。」
 ここはルータイ国にある、竪琴工房。
 そこから、一人の青年が出てきた。その手には、真新しい竪琴がある。
 それをロン、ロンと鳴らしながら、青年は道を逸れて、森の奥へと入っていった。
 小鳥のさえずりが聞こえる森を歩きながら、青年は呟いた。
 「あーあ…こんなに遠くなるなら、河のそばに、家なんて建てるんじゃなかったよ。こうやって、いちいち深い森を抜けるなんて、たまったもんじゃないよな。ライリーなんて、工房のすぐ目の前が家だよ。いいよなあ。」
 ぶつぶつと小言を言いながら、森を抜けて、河のほとりにある家の近くまで来たとき、青年は、あるものに気づいて、眉を潜めた。
 河にかかる、家に繋がる桟橋に、何かが引っ掛かっている。
 ぱっと見た感じは、布のようにも見える。
 (あちゃあ…俺の洗濯物か?やっちゃったかな?あれ?でも俺、干したっけ?昨日のうちに乾いたからって…あれ?)
 首をかしげつつ、目を凝らして、よく見てみると、そうじゃない。
 上等な衣、茶色の長い髪、細く白い手足、胸元で光る首飾り、腰のところでも、何かがきらりと光っている。
 小さい、細い、少女だった。
 「ん…?あれは…洗濯物……じゃない!子供だ!」
 そう叫ぶなり、青年は荷物を放り出して、河に飛び込んだ。
 その瞬間、身を包んだ水の、あまりの冷たさに、思わず身震いした。
 震えながら、抱き上げた少女の体は、軽くて、冷たかった。
 「わっ、意外に水が冷たい…てか、寒っ!いや、そうじゃなくて…おい!しっかりしろ!大丈夫か!?」
 少女はふっと目を開けたが、また、すぐに意識を失ってしまった。
 「あ…良かった。とりあえず生きてはいるんだな。よし!とりあえず温めねえと。」
 すぐに河から上がった。
 少し入っただけなのに、青年の体は冷えきっていた。思わず震えた。
 「さ…寒い…。」
 歯を鳴らしながら、呟いた。
 自分がここまで寒いとなると、少女は、もっと体が冷えきっているはずだった。とにかく、体を温めることが先だ。
 それがわかっていたが、しばらく青年は、ぼんやりと少女を見つめていた。動けなかった。
 (まさか…な…。)
 六年前、生き別れた妹に、よく似ている。
 それに目の色が、「呪いノ民」しか持たぬ目だったが、それを持つ者は、自分が知ってる人で、二人しかいない。
 (シャラ…なのか?)
 六年前、何も言えずに生き別れた妹に、そっくりなのだ。
 『お兄様!待って!私をおいていかないで!』
 六年前に聞いた、あの、忘れもしない、シャラの声がよみがえってきて、思わず目を閉じた。
 あのときシャラは、まだ四歳だった…となると、今は十歳のはずだ。
 自分が抱き上げているこの少女も、その年齢に見える。
 だが、シャラは王家の娘だ。
 もし、この子がシャラなら、なぜ、こんなところにいるのかという疑問が残る。
 そこまで考えて、青年は首を振った。
 何を考えようと、とりあえず温めなくては話が始まらない。
 いずれ、この少女の素性もわかるだろう。
 放り投げた荷物を手早く拾い上げた時、竪琴を見て、思わず叫んだ。
 「うあ!弦が!」
 さっき、放り投げた時に、ぷつっという、嫌な音がしていたが、竪琴の弦が切れた音だったのだ。
 「あーあ…せっかく作ったのに…ま、いいか。こいつがシャラなら、なんでもいいや。」
 そう呟いた時、寒さがもどってきて、思いっきりくしゃみをした。
 「へ…へくしっ!…やばい!寒い!」
 こんな所で、のんびり考えている暇はない。このままだと、自分も風邪を引いてしまう。
 青年は、慌てて家の中に、駆け込んで行った。
 
 シャラが、目を覚ましたときには、外は、薄暮の薄闇に沈んでいた。
 体の上に、何かがかかっているのが、ぼんやりとわかる。
 (布団と…毛布…?)
 そして、すぐに分かった。
 ここはもう、カウン国の城―自分の家―ではない。
 自分の祖父母が、暮らしている家の作りに、よく似た家だった。
 土間にある、玄関と竈と水場、板の間の、真ん中にある囲炉裏には、優しい火が燃えている。
 自分は、その囲炉裏のそばに、寝かされているみたいだった。
 とても暖かい。
 ふと目をあげると、水場で、誰かが、せわしなく動いているのが見えた。
 その人物の後ろ姿を見て、シャラは気づいた。
 ここは、祖父母の家でもない…。
 しかも、水場にいるのは、体格や髪形からして、若い男性に見えるではないか。
 目を凝らすと、その人の衣からは、少し水がしたたっている。
 たびたび、裾を掴んでは、片手で絞っていたのだろう。
 足元には、ところどころに水たまりができている。
 (ここは…どこなの…?)
 声をかけようとしたとき、その人が、思い出したかのように、裾を握って絞った時、水が足にかかったのが見えた。
 「わっ!ちょっ!冷たっ!」
 手ぬぐいを取ろうとしたのだろう、ぱっと振り向いた瞬間、目が合った。
 その人は、「あ…」と言って、慌てたように、板の間に上がってきた。
 「良かった…気がついたのか…もう、大丈夫か?俺が見つけたときよりは、顔色がいいな。どうだ?少しは、楽になったか?」
 曖昧に頷くと、正面から相手の顔を見た。
 声の感じや、身長からして、二十歳くらいと思っていたが、よく見ると、十六、十七ぐらいの、若い青年だった。
 青年は、シャラのことを、じっと見つめてから、にっこりと笑って言った。
 「綺麗な目だな。『青ノ瞳』っていうんだろ?心が狭いやつは、その目を持つ人のことを、『呪いノ民』とか言うけどさ、俺はそうは思わないよ。普通に、綺麗だなって思うだけさ。朝日とか夕日とかが当たったら、もっときれいだろうな。」
 シャラは、なにも言わずに黙っていた。
 どうしても、目の前の青年が、スフィルに見えて仕方がない。
 六年経ってはいるが、うっすらと覚えているスフィルの顔に、そっくりだった。
 ふと、首飾りのことを思い出し、胸に手を当てて「あ…」と言った。
 「首飾りが…」
 腰を見て、さらに焦った。
 「短刀も…」
 アーシュとリヨンの形見となってしまった、短刀と首飾り…もう無くしてしまったのだ…。
 「ねえ。君が探しているのって…もしかしてこれかな?」
 青年が、差し出した手の上には、短刀と首飾りが乗っている。
 あの、アーシュとリヨンがくれた、短刀と首飾りだった。
 「え…?そ…そうです…これです!」
 青年は、優しく微笑んで言った。
 「そうか…やっぱり君のなんだな。ここに寝かせるときに、邪魔になるかなって思ってさ。外しておいたんだ。」
 シャラは、涙が止まらなかった。母のことを思い出すほど、悲しみの波は、心を支配した。
 青年は、シャラの背中を撫でながら、なぜか、ふっと悲しげな顔になって続けた。
 「でも、不思議だよな。…この首飾り、俺の母上も持っていたんだ…。俺が家を出たときだから…もう六年前に生き別れたまま、会えてないんだな。顔すらもうっすらとしか、出てこないぐらいなんだ…。さよならも、ありがとうも、なにも言わずに出てきちまって…」
 シャラは、思わず青年を見た。
 (まさか…)
 自分だって、六年も経てば、スフィルの顔は、うっすらとしか出てこない。
 だが、目の前の青年の雰囲気が、スフィルに瓜二つなのだ。とてもよく似ている。顔も、改めて見れば、よく似ている。
 シャラは、滲んだ涙を拭うと、一番気になっていたことを聞いてみた。
 「あの…お名前を、教えていただけますか?」
 青年は、虚をつかれたような顔をして、それから笑った。
 「一体、俺は何をしてんだろうな。名前を、ここまで言わなかったなんて、笑っちゃうよ。…俺はスフィル、スフィル・カウンだ。カウン国出身なんだよ。ちょっと訳ありで、詳しいことは、教えれないんだけど、妹が一人いるんだ。もう六年前に生き別れたっきり、顔も見ていない。今、俺は十七だから、妹は、十になったはずさ。まあ、よろしくな。―って、どうした?大丈夫か?俺の顔に、なんかついてる?」
 シャラは、息をするのも忘れて、スフィルと名乗った青年を、凝視していた。
 名前も、素性も、全てスフィルと同じではないか。
 青年は、シャラの反応にたじろぎながらも、聞いてきた。
 「えっと…お前の名前は?」
 シャラは、涙が溢れそうになるのを、必死でこらえながら言った。
 「…私は、シャラ・カウンと申します。…私にも、どこにいるのかはわかりませんが、生き別れた兄が一人います。顔も、うっすらとしか出てきませんが、雰囲気はよく覚えています。その…助けてくださり、本当にありがとうございました。」
 次は、スフィルが驚く番だった。
 「おい…お前、まさか…シャラ…なのか?…カウン国の、王女の…」
 シャラが頷いた瞬間、スフィルは、シャラを、思いっきり抱き締めた。
 「シャラ…会いたかったよ…。何だよ…こんなに大きくなりやがって…母上様にそっくりじゃないか…。カウン国の、リヨン女王の娘だろう?顔を見れば、似ているじゃないか…。」
 そこまで言われたその瞬間、シャラは確信した。
 この青年こそがスフィルだ…スフィルが生きていた…。
 今から六年前、自分が四歳の時に、父・アーシュから勘当され、出家した、血の繋がった兄だ…。
 まさか、こんなところで会えるなんて…こんなところに、住んでいたなんて…もうこんなに、たくましい青年になっているなんて…。
 涙が溢れて、止まらなかった。
 やっと会えたのだ。奇跡的に会えたのだ。
 まだ身内がいる。
 そう思うだけで、胸がいっぱいになった。
 もう自分は、カウン国には戻れない。それでも、そんなことは、どうでも良くなっていた。
 スフィルが生きているのだ。目の前で、同じ空気を吸っているのだ。
 リヨンが、生前願っていたのは、スフィルが生きていて、どこかで暮らしていることを、確認すること。
 その他にも、たくさんの願いを持っていた。
 もう、母は、その願いを叶えることは出来ないが、自分が代わりに叶えていけばいい。
 母が助けてくれたこの命を、無下にはしない。
 そしてこれが、自分の最後の身内だ。
 スフィルを失えば、次こそ、本当に一人になってしまう。
 もう二度と、失いたくなかった。
 奇跡としか、言いようがない再会だ。スフィルと、また二人で生きていけるのだ。
 母を失った悲しみと、兄と出会えた安堵感、これから一緒に暮らせる幸せと喜びが、全部入り混じって、涙が止まらなかった。
 スフィルも、同じ思いだった。
 ずっと、城の前で、兵達に追い返されるたび、もう、シャラには会えないと思っていた。
 なぜ、リヨンがいないのかが、気になるが、今はどうでもいい。
 目の前に、シャラがいる。血の繋がった、ずっと会いたいと願っていた、愛する妹がいる。
 その奇跡が起こっただけで、もう十分だった。
 シャラを、育てれるのだ。一緒に生きていけるのだ。夢に見ていたことが、現実になった。もうそれだけで、本当に幸せだった。
 今、自分が強く抱き締めている、温かくて、細い身体。
 もう離さない。大事な大事な、宝物だ。
 奇跡の再会を果たした二人を、大きな幸せが包んでいた。