「シャラ、って言ったわよね?サリム先生から聞いているかもしれないけど、女子は、シャラ一人しかいないのよ。だから、大部屋を、一人で使ってもらうわ。それでも大丈夫?」
 ハンナの言葉に、シャラは無言で頷いた。
 その目は、うつろで、どこか遠くを見ているような目だった。
 今日…遅くとも明日には、スフィルと別れることになってしまう。
 どうしてこうも、身内と別れ続けなくてはならないのか…母の次は兄…。
 ハンナが出ていってから、シャラは、床の冷たさも気にせず、座りこんだ。
 冷たさが伝わってくるにつれて、静かに、涙が溢れてきた。
 (これで…)
 良かったのだ。
 これで、自分の居場所を知られることもない。
 自分の安全は、保証された。
 だが、スフィルは、どうなるのか。
 スフィルは、自分のことを、王家の子だから、と言って、ここに入れてくれた。
 だが、よく考えれば、スフィルも王家の子だ。
 自分だけが、安全になるなんて…救われるなんて…
 (同じだ…)
 シャラは、頭を抱えてうめいた。
 三年前、母を失った時と全く同じ状況だ。
 自分の身を盾にして守り、守った当の本人は、死や苦しみを選ぶ。
 もう分からなかった。
 これ以上、大切な人を亡くしていいものだろうか…
 いや、いいはずはないだろう。シャラにとって、スフィルは、何よりも、大切な人なのだ。
 (やっと会えたのに…)
 三年しか経たずに、また別れるなんて…何もしてあげられぬまま、こうして別れることになるなんて…
 でも、これが、スフィルが考えた最善の方法なのだろう。
 あのコテージで、わずかに声が震えていたスフィル。
 スフィルが、悲しいはずがないのだ。
 大体、自分だけの秘密基地など、普通は、他人には見せないものだ。
 それを、今日一日で、一気に見せてくれた挙句、「俺とシャラの」と言っていた。
 スフィルは、分かっているのだ。
 今日この日が、自分たち二人が会える最後の日だ、と。
 危険だから、という理由で、きっと会うことは出来ないだろう。
 そうやって、察しているのだ。
 涙が止まらない。
 スフィルがいたから、自分はここまで来れたのに…どうして、こうなるのか…どうして、自分の人生はこうなのか…
 (普通の子に、生まれていたら…)
 ずっと、思い続けたことだった。
 普通の平民として、「星ノ民」の人間として、この世に生まれていたら…こんなことにはならなかったのだろうか…。
 今から、共に過ごす仲間たちは、自分とは、全く違う世界から来た人たちだ。
 王家の娘、この素性を知っているのは兄であるスフィルと、このことを書いた作文を読んだであろう、サリムしかいない。
 だが、この学舎は、十二歳から六年間勉強して、「卒舎ノ考査」を受けて、卒舎するのだ。
 今は十三歳だから、自分は二年生となる。
 つまり、後輩も先輩もいることになるのだ。
 そんな人たちに知られずに、この先の、五年間を、過ごしていけるのだろうか。
 シャラの胸は、黒々とした不安で埋め尽くされていた。
 
 突然の、戸を叩く音で、はっと我に返った。
 「は…はい!」
 戸を開けると、目の前にサリムが立っていた。
 「今から、夕食の時間なの。食堂で食べることになっているわ。それでね、あなたの事を、みんなに紹介しようと思って。やっぱり、今日から、ここで暮らしていく、大切な仲間だもの。」
 うつむいて、黙っている、シャラの肩に手を置いて、サリムは、優しく続けた。
 「大丈夫よ。ここの生徒達は、みんな優しいの。差別とかなんて、許さない人たちばかりだから。それに、今日はもう遅いから、スフィルに、泊まってもらうつもりよ。スフィル、シャラ以外の人と食事をするなんて、久しぶりだ、って喜んでたわよ。さあ、行きましょう。全員のことを、待たせているから。」
 サリムに促され、重い足取りで、シャラは食堂へ向かった。
 
 食堂は、柔らかい色の照明に照らされた、落ち着く雰囲気の、木でできた空間だった。
 パンッ、とサリムが手を叩くと、ざわついていた食堂が、一気に静かになった。
 「知っている子もいるかもしれないけど、今日から、このウォーター学舎に入る、シャラよ。二年生に、特別編入してもらうわ。シャラは、今日来たばかり。あなた達がやることは、二つだけ。一つ、シャラが、なじめるような空間を、早く作ってあげること。二つ、分からなさそうにしていたら、迷わず助けてあげること。」
 サリムは、シャラを一瞥してから続けた。
 「あと…気になっている子もいると思うわ。シャラの目の色について。シャラは、『呪いノ民』ではないわ。だから、目の色だけで決めつけて、簡単に差別したり、シャラが嫌がるような質問は、絶対に避けること。それを、あなた達に約束してほしい。いいかしら?」
 その時、一人の男子が立ち上がり、胸に手を当てた。
 すると、また一人、また一人、と立ち上がり、最終的に集まっていた全員が立ち上がり、胸に手を当てた。
 『自分達は、絶対に差別なんてしない。シャラは仲間だ。』
 全員の目が、強い光を宿し、そう語っていた。
 シャラは、感激で声を出せず、涙ぐみながら、頭をすっと下げた。
 シャラが、示された席に座ると、各々が箸を持ちあげて、食べ始めた。
 シャラは、困惑していたように周りを見ていたが、目の前にいた先輩男子が、「食べていいんだ」と言うように、微笑んで頷くと、おずおずと箸を手に持ち、ゆっくりと食べ始めた。
 
 スフィルは、シャラが食べ始めるのを見て、ほっと安堵のため息をついた。
 (よかった…)
 もう大丈夫だ。
 シャラは、自分と離れても、このまま、ここで暮らしていける。
 そう直感的に感じた。
 ここは、自然に囲まれているうえに、性格がいい人たちしかいない場所だ。
 探し出されて、リーガンの元に戻るくらいなら、ここで暮らし続けた方が、はるかに安全だった。
 (これでいい…俺と一緒に暮らすよりは…ここにいた方が、安全に決まってるんだ…)
 だが、この不安はなんだろうか。
 自分が連れ戻されるのは、全くもって問題ないのに、不思議と不安で仕方がない。
 スフィルは、目をつぶった。
 (シャラ…リーガンには見つかるなよ。)
 心の中で念じながら、席を立つと、シャラの横に座った。
 机の木目を見つめながら、静かに語り始めた。
 「シャラ…サリムに聞いたよ。よく頑張ったな。まあ、おめでとうって…言うべきなんだろうな。なあ…シャラ。俺さ、やっぱり帰るよ。」
 シャラが、目を見開き、驚愕しているのが見てとれた。
 スフィルは、声を落として続けた。
 「本当にごめんな。お前に、こんなことはしたくない。俺だって、今日は、泊まっていきたかった。だけど、あまり長居しない方がいい。これ以上、犠牲を出すわけにはいかないし、その犠牲を、お前が背負うことになったら、ここに入れた意味が、確実に消える。大丈夫。一応、お前にもらった、あの短剣を持っている。俺も一応、王家の息子だ。護身術は、幼い頃から学んでいる。家まで、数時間の辛抱だ。サリムにも話してくるよ。シャラ…入舎おめでとう。」
 そう言うと、スフィルは、サリムの方へ歩いていった。
 シャラは、サリムとスフィルの方をぼんやりと見つめていた。
 スフィルが、うつろな目で話していくうちに、サリムの顔が、みるみる青ざめていった。
 サリムが何かを言うと、スフィルは、目をぬぐいながら、仕方なさそうに、ゆっくりと頷いた。
 シャラは、うつむいて食べ続けた。
 結局、一言も喋らずに、食事を終えた。
 スフィルは、サリムが説得したおかげで、泊まってくれることになった。
 だが、部屋に帰ってからは、スフィルは、なにか思いつめたような顔をしていた。
 
 次の日の早朝、まだ薄暗い時間。
 外で、スフィルの声が聞こえて、シャラは目を覚ました。
 慌てて外に出ると、スフィルが、馬車に荷物を積み込んでいた。
 「スフィル!」
 思わず叫ぶと、スフィルは、悲しげな目でこちらを見た。
 「シャラ…」
 荷物を積みながら、スフィルは、つぶやくように言った。
 「起きたんだな…ありがとう。別れが辛くないように…黙っていくつもりだった。でも、こうやって、最後に元気な顔を見れるなら、見送ってもらうほうがいいかもな…」
 荷物を全て積み終わると、スフィルは、シャラに向き直った。
 シャラも、スフィルの顔を見つめた。
 二十歳とは思えない、静けさと優しさがある。すっかり、成年の顔になっていた。
 スフィルは、息を吸うと、シャラの目を見すえ、こう言った。
 「シャラ、ここまで、色々なことがあったな。三年前、お前と出会った時、これこそが運命だ、って思えた。俺は、勘当されてから、ずっと一人だった。周りの人は、知らない人たちばかり。ライリーは、俺の弟子であって、支えてくれるわけではなかった。もちろん、最初は、とても不安だった。だけど、会えるまでの六年間、シャラのことを、片時も忘れたことは無かった。自分から、無謀にも飛び出した身だけど、会いたいと、願い続けていた。そう思っていた時に会えた。父上と母上が…死んでいたって、わかった時には、絶望したけどさ。本当に奇跡的な出会いだったんだな…そうやって、痛感するよ。シャラ、お前は、俺の大切な妹だ。今までありがとな。…元気でな…しっかりやれよ。」
 スフィルの目から、涙が溢れて流れ落ちた。
 スフィルは、軽く首を振り、サリムに向き直ると、こう言った。
 「サリム、無理言って、すまなかった。本当に助かったよ。…シャラを、頼むよ。」
 そう言うと、馬車に乗り込んだ。
 シャラに、気を使っているのだろう。
 こちらを見ずに、「行ってくれ」と、御者に合図して、門を出ていった。
 遠のいていく馬車の音が、朝焼けの空に、ふっと消えた瞬間、シャラは、泣き崩れた。
 身内と別れるのは、これで二度目だ。
 リヨン、スフィル…確かに、父アーシュも突然だったが、声を聞いてから、突然別れたのは、色々とやり残したまま、別れたのは、リヨンとスフィルだ。
 (もう嫌だ…別れるのは嫌だ…何も言えなかった…何も出来なかった…)
 そんな悔いと悲しみが、深く胸を刺した。
 泣き続けるシャラの肩に手を置いて、サリムが優しく言った。
 「大丈夫?私…スフィルが泣いているところ、初めて見たわ。それぐらい、スフィルも辛かったのね。あなたの辛さは分かるわ。ここに入る子供たちは、大体こうやって泣くんだもの。また会えるわよ。さあ、まだ早い時間だから、もう少し寝なさい。また、起こしに行ってあげるから。分かった?」
 シャラは頷くと、目をぬぐった。
 これで、最後の別れにしたかった。
 これ以上、誰かを失うのは、耐えられなかった。
 何はともあれ、スフィルは遠くではあるが、生きて暮らしているのだ。
 休暇の時には、危険ではあるが、手記ノ紙で連絡し合い、あの小屋に行けばいい。
 そうすれば、会えるはずだ。また、一緒に、竪琴も弾けるだろう。
 二人で語りたいことも、あの小屋でなら、語り尽くせる気がした。
 だが、これが、永久の別れとなるとは、シャラもサリムも、思っていなかった。