「また食事に誘われちゃった」

「アンタ、そんなことサラッと嫁に普通言う?」

 いつ聞いてもなれない話。だから私は口に運ぼうと箸で挟んだブロッコリーソテーを取り落とした。

「共有したいと思って。寧ろ仕事で共にいないことの方が長いじゃない?」

 きっとダンナに他意はない。彼が私にそう口にしたのならきっとそれが本音なのだ。それでも、気になる。いや気になるオトコになってしまった。私のダンナなのに。

「じゃ、そっちの話、聞かせてよ。今日を共有しよう?」

 箸から皿へとこぼれおちたブロッコリーをつまみなおして口に入れる。箸を口に突っ込んだまま、私は固まってしまった。いつ見てもなれない表情。安心というより、不安しか募らないから。

「別に、取立て聞いて楽しい話がある訳じゃ……」

 彼が見せるのは期待を込めた眼差し、貌も綻ばせていた。私が好きな表情だ。そして嫌いな表情だった。
 ウチのダンナはイケメンだ。高給会社のエリートサラリーマン。性格もすこぶる良し。満足か? と聞かれれば満足と答えるしかないが……正直、これは予想外。

 ハイスペック男子、ハイスペック旦那。つくづく思う。ハイスペックな男と結婚なんてするものじゃないと。違うか、説明が足りなかった。普通のハイスペック男子なんてどうでもいい。それならそもそも私じゃ土俵にすら立てないだろうから。寧ろその方が良かったかもしれない。そうしたら今みたいにドギマギしなくてもいい。

 私が彼の妻としての今があるには理由があった。

「そーなの? にしてもこの鶏! ビールに合うなぁ!? 皮付きだし」

「そ、そうかな」

「滅多に食べられないから!」

「あ、アハハー。だよねぇいっつも私が取って捨てちゃうからね」

 太ってしまえ。また、あの出会ったばかりの頃に戻ってしまえ。そう思って、だから今日は鶏皮をはがさなかった。今日だけじゃない。実は気付かない所で高カロリーな食事を取らせていた。

「おいしい?」

「めちゃウマ!!」

 この爽やかな笑顔を見せられると彼に隠れて自分が行っている事に自己嫌悪にさいなまれた。

「いやぁ! 好きなものが好きなだけ食べられるっていいなぁ!?」

 私は旦那に大きな不満がある。そして取り返しの付かない失敗をしたのだと理解した。私史上最大の失敗、それは……

「健康って、スンバラシィ~!」

 贅肉だるだるの超大デブ旦那を、完全無欠のハイスペック男子にしてしまったことだ。
 職場で出会って、付き合って結婚して1年が経った。あぁ、出会ったばかりの時の、間違いなく私よりスペック格下の頃の彼にもう一度だけ会いたい。

 お、おめでとう。私のダンナ……イケメンに進化した……

 


「どう? コイツ見た目はこんなだけど目茶苦茶いい奴なんだよ。仕事も出来る! 超優良物件!」
 
 あれは1年よりもう半年前。彼の会社の社内パーティで私たちは始めて知り合った。きっかけは上機嫌なスケベオヤジだった。既にヘベレケに出来上がった彼の上司が酔いのままに彼を私に売り込んできたのがキッカケだった。

「ちょっと課長! 社食のお姉さん困ってますから」

「駄目! お前はそういうところが駄目! 男だったらなぁ、グイグイ行かにゃあ。いつもの仕事の時みたいに行けばいいじゃん。グイグイ! あ、グイグイ!」

 彼の社内パーティだ。私の会社のパーティじゃない。私が勤めるのは彼が勤める会社のビルに入った社内食堂を展開する会社。役職の無い食堂スタッフだから、この食堂フロアを使ったパーティではいわゆる店員として立つのが仕事だった。
 仕事、だから酔っ払いオヤジに対して嫌な顔を見せるわけにも行かず……

「本当、上司がスミマセン。そんな話聞けるかーい! って突っぱねてくださっていいのに」

 その上司のフォローに入ったのが彼だった。見上げるほどに背が高い。そして力士? なんて思うほどに太っていて、スーツなんかパンパンにはち切れそうな彼は苦笑いを浮かべていた。
 初めて声をかけられた。だが実は前々から知っていた。大デブな彼は、いわゆる食堂のオバチャンとして勤務する同僚で年上のパートスタッフたちの間でアイドルだったから。

 《おかわり君》、彼の愛称だ。都内の一等地を法人所在地とし、お金さえ出せば幾らでも美味しい食事を取れる勤務地環境にあって、彼はいつだってニコニコしながら食堂に姿を現すのだ。
 短大時代に栄養士資格を取得し、入社して数年。「所詮は社食だから」「社食はまずい」最近そのビルの食堂に配属された私もここまで勤めてきたから陰で利用者がそういっているのは分かっていた。
 
「大盛より、ちょっと大目に盛っといたから」

「本当ですか!? 分かってらっしゃるぅ!?」

 しかし彼だけは目に見えてこの食堂での食事を楽しみにしているようだった。食事ができればどうでも良いのかもしれないが、たった二言三言の取り交わしもチリも積もれば山となる。
 あれはいつだったろうか。料理を盛るのはオバチャンたちの仕事。私は売店に立っていたときのことだ。私の目の前にはお客さんが並んでいたのにも気にせず、盛大に笑ってしまったことがあった。アイコンタクトだけで、彼とオバチャンパートがいつものやり取りを完結させていたから。

 ただでさえスーツがパンパンの彼。ガツガツかき込んでモリモリ食べた後、それ以上にスーツがパンパンになるから面白かった。でも、嬉しかった。幸せそうに自分が勤める会社の提供した料理を口にする彼の満足そうな顔に、なんと言えば良いのか、食にかかわるものとしてのやりがいを感じたのかもしれない。

 とにもかくにも、そんな我が社にとってのアイドル君がそうして上司について謝ってくるのだから顧客満足度を下げないようにと私は笑った。まさか、思わない。あくまで私は食堂スタッフとしてその場に立っていた。だからお酒だって飲んでいないはず。でも酒に飲まれて酔っ払ってしまったかのように、その後の彼との会話は楽しくてしょうがなかった。社食のオバチャン達が少し遠巻きに見ている中、件のアイドル君を今だけは独占できた事に優越感を感じたのかもしれない。
 そんな彼が、ただの大デブでない事に気付いたのはもう少し後の事になる。




「これって……」

「んにゃあ、証券会社の三十手前の独身貴族ったぁこんなもんよ?」

 それは彼と初めて言葉を交わした年の冬。言葉を交わしてから二ヶ月後のことだった。圧倒された。とある建物を前にして。

「んじゃ、行こうか?」

「あ……」

 その光景に呆然としてしまったから我に返ったときにはもう、開けられた高級マンションのエントランス口を彼の上司が潜り抜けていた。

「アイツすっごく部屋掃除したらしいけど……女子目線でガシガシ突っ込んでやってよ。因みに変なものは隠して置くように言っておいたから安心して」

 次に声を拾ったときには、エレベータに乗った彼の上司が私が乗り込むのを《開くボタン》を押さえて待っているところ。

 鍋パーティだった。あれからたった二ヶ月。どういうわけだか私のことを彼にお似合いだと勝手に見定めた彼の上司が計画した。その間に何度も彼から「無理をしなくて良いんですよ?」なんて言われていて、それでもお客様の気を悪くするわけにもいかないから「大丈夫です」と答えていたらこうなった。

「あ、寒い所良く来てくださって」

 ……結論、私の知らない世界がそこにあった。高級マンション高層階。彼が居住する部屋に到着した私は出迎えてくれた彼の案内で中に通された。
 間取りは独身にしては十分すぎる1LDK。間違いなく月家賃は私の月の手取りを上回ることを思わせた。

「俺に感謝しろよ?」

「感謝って、結構な無理させたんじゃないですかぁ?」

 内覧で打ちのめされた私は、そんな私なんてなんとも思っていないかのように軽口をたたき会う彼と彼の上司の醸し出す余裕がまた信じられなかった。余談だが、この上司こそが私たちの結婚仲人になるのだがそれはまだ語らない。
 鍋パーティは始まった。さすがは我らがアイドルとでも言うべきか。大デブだ。しかしてその身体的デメリットをカバーするように性格だけはとてもよかった。
 お呼ばれされたお礼として色々と鍋のタネを彼の部屋で作った私だが、全て好評だった。
 酒を飲み、テンションの上がった他社勤務の彼とその上司。「いいか! 嫁にするなら飯の美味い嫁さんだ! 酒が飲めればなおさらヨシ!」「大事っす! 酒が飲めるのは大事っす!」なんてのたまっていて、褒められたら私だって嫌な気はしない。だから私自身気分が上がったし、お酒も進んだ。

 昼から、夜8時くらいまで続いた楽しかった時間。宴は盛り上がりすぎて、いつの間にか私と当時の彼が次のデートを約束してしまっていた時には、彼の上司が酒につぶれて夢心地だったこともある。だから二人だけの時間になったのを覚えている。

 それから、デートを重ねて私たちは付き合う事になる。