人と話すのが苦手で、目も合わせられず、自己アピールどころか面接官に尋ねられたことにさえ答えられない。
作品に向き合うばかりの毎日で、いまよりもずっと人とのコミュニケーションが苦手だった私は、生きていく術を見つけられないことにさすがに焦っていた。
私を高校まで行かせてくれた母親は相変わらず仕事で忙しく、担任よりも親身になってくれていた中学のときの先輩の設楽萌(したらもえ)と、ネット世界の師匠であるハルカだけが、相談相手だった。
《私は、作品をつくることしかできない》
そんな悲観的な投稿に反応して、なにかのきっかけになるかもしれないからと、個展を開くことを提案してくれたのがハルカだ。

