ハルは随分と事情通みたいだ。それだから、私は中学の卒業式が終わってから、心の中でガッツポーズを取った。陰険な奴らとは、これで永遠にさよなら。これからは、同じ夢に向かう仲間たちに出会えるんだ、って。

 どんな天才でも、陰の努力はしているものだと思う。だから、この先知り合う人たちは私を特別な目では見ないと思っていた。私が一番嫌いなのは『羽賀宮有作と羽賀宮桃子の娘』という、親の七光り的な認識だった。



「両親が嫌いってわけじゃないんだけどね。沢山お金出してもらったし」

「でも、柘季ちゃんはどうしても嫌だったわけだ。周りは自分を絶対評価してくれないんだもんね」



 そうだ。私が欲しかったのは絶対評価だ。親の知名度にあやかっている、同世代の子供たちより抜きん出ているというのは、私の望んでいる言葉じゃなかった。

 高校でも私自身を評価してくれる人はいないのかもしれない。美鈴先生だけなのかもしれない。私は、他人には理解されない病気を抱えた患者のように、絶望感を心の奥底に隠して生きてきた。それを手放せることを教えてくれる人が現れるまでは。



「そういえば、柘季ちゃんって彼氏いるんだよね。見せて見せて!」

「物じゃないんだから、すぐに持ってこられるわけないでしょ」

「えー……じゃあ、写真は? 携帯にツーショットとかないの?」

「何であいつと写真撮らなきゃいけないの。しかも、院内では基本的に使用禁止だから」

「うわ、彼氏さんかわいそう……なら、高校時代の写真もなさそうだね。残念だなぁ……あたし、伝達ミスで柘季ちゃんの彼の写真だけ見せてもらえなかったんだよね」



 ふてくされたように言って、薄紅色の唇を尖らせるハル。空の上にも伝達ミスってあるんだ。私はその世界に、というか、彼女自身に親近感を覚えた。だから、まだぶつぶつと上の人への文句言っているハルに、そっと告げる。



「写真はあるにはあるけど、どうせなら実物を見たいって思わない?」



 首を傾げる女。あぁ、やっぱり言葉が足りなかったか。



「明日ここに来ることになってるから、その時に見ればいいんじゃない? 私みたいなのと付き合ってるから、多分同級生には色々言われてるし、変な奴だよ。もっといい人見つかるのにね」



 私が約一ヶ月後に死ぬのならなおさらだ。こんな所に縛られてほしくない。彼はきっと、幸せであるべきだから。私の生前も、そして死後も、永遠にだ。そう口にしたら、ハルの眉がピクリと動いた。

 私、また何かまずいこと言っちゃったのかな。考えてみても、原因が分からない。ただハルを見つめていたら、彼女は寂しげに「彼は、そんな風には思ってないよ」と呟いた。

 本人に聞いていないんだから分かるものか、とは言えなかった。私のネガティブな発言が、おそらくハルの気持ちを削いだんだろう。何か気に障るようなことを言ってしまったかと尋ねてみたけど、へらへらした顔で「何でもないよ」と返ってきただけだった。



「ほら、子供は早く寝なさい! もうすぐ一時だよ」

「馬鹿にしないで。これでも来月で二十歳なんだから」

「柘季ちゃんの精神年齢って、他人から見ると、結構幅広いんだよ。三十代にも思えるし、不器用な中学生みたいに感じる時もあるかもね」

「えっ、失礼すぎなんだけど……」



 そもそも私は余命一ヶ月らしいし、二十歳にはなれない。それを口に出したところで、今更どうにもならないだろう。体は前のようには動かないし、『そろそろ』という感じはする。両親はしばらく悲しむかもしれないけど、あいつはそんなに引きずることはないはずだ。そうじゃなかったら、私が困る。



「はいはい。彼氏に隈ができた顔を見せたくなかったら、早く寝ようね」

「何か、急に母親みたいになってきたね」

「うーん……人間に換算すると、柘季ちゃんのおばあちゃんくらいの年かな?」



 そうなんだ。二十代か三十代に見えるのに。心の中で口にして、そろそろと布団に潜る。意識がぼんやりとし始めた頃、長らく聞くことのなかった言葉が、私の鼓膜を優しく揺らした。



「お休みなさい、柘季ちゃん」



 子守唄のようで、何だかとても心地良い。果てしなく深い海の底で自由を与えられた魚のような、大空をどこまでも駆けていける鳥のような、そんな気分になる。

 この声を聞きながら、いつまでも眠っていられると思った。いつもは五時間ほどで起きてしまう私が、朝食を知らせる音楽が流れるまでぐっすり寝ているなんて。

 声には癒しの力があるんだと、初めて知った。