孝明天皇の大和行幸(やまとぎょうこう)が計画されていた。

「この時期、まだ大和は暑かろうのう……。
皇室の祖たる 神武帝の陵に参詣するはまことに意義深きことなれど、なにもこの時期にする事はないのに…」


 久留米藩の攘夷派、真木和泉(まき いずみ)が提案した大和行幸策とは、孝明天皇が大和に赴き初代天皇である神武天皇陵を参拝して攘夷を祈願し、春日大社に参詣し、そのまま伊勢神宮にも参宮する予定であった。

天皇が自らの意思を示すことで、攘夷の期日がきたにもかかわらず、実行しようとしない幕府に圧力をかけようとしたのだ。

この大和行幸に際し、尊王攘夷過激派、特に長州藩には恐ろしい企てがあった。


孝明天皇が大和へ行幸するに際に、そのまま御輿をうばって長州まで孝明天皇を連れ去ろうという計画である。


 錦の御旗さえ長州にあれば、長州は官軍として、堂々と、幕府を倒せることが出来る。
幕府を倒し、その勢いに乗って攘夷を行うつもりであったのだ。

また、真木和泉の大和行幸策には、天皇親政、即ち倒幕の挙兵の意味も込められていた。

大和行幸を機に、天皇の権威をさらに高め、幕府にかわり天皇みずからが政治を行う親政へのきっかけにしようする計画であったようである。


真木と長州藩士・久坂玄瑞(くさかげんすい)は攘夷派の公家に働きかけ八月十三日に行幸の詔を得ることに成功した。