__文久三年(1863年)三月二十五日。
壬生寺にて壬生狂言が披露されている。
壬生さんのカンデンデンと呼ばれている通り、太鼓と鉦の音が規則正しく鳴り響いている。
能面を被り『橋弁慶(はしべんけい)』、『大仏供養(だいぶうくよう)』、『玉藻前(たまものまえ)』などの演目が行われ、いずれも台詞は無く無言劇での狂言は目新しかった。
「良きものを拝見させて頂いた」
会津藩士の本多四郎は満足気にそういい、大変気をよくし膳部の酒に手を付けていた。
藩主の松平容保は参加出来なかったが、広沢富次郎、本多四郎、諏訪伝三郎、吉田源次郎、佐久間梯治の六人が参列した。
八木源之丞も壬生狂言の披露を会津藩士達に見せる事が出来て、大いに満足していた。
宴もたけなわで会津藩士達が帰路につくと、歳三は殿内の紹介で入った佐伯又三郎を呼び出した。
「芹沢先生達は飲み足りないようだから、祇園で勧めの店を紹介してやってくれ」
佐伯はおべっか使いで、入隊してすぐに紹介者の殿内とは見切りをつけ、力を持っている芹沢にへつらうようになっていた。
芹沢は鬱陶しそうにはしていたが、佐伯の勧める店というのは、流石は京坂の浪人である、ハズレというのが少なかった。
芹沢も酒が呑めると思えば、足取りは軽く佐伯の後を大人しく追うのだ。
水戸一派一同を引き連れて、四条大橋に差し掛かると一人の男が立っていた。
後ろ姿だけでも誰だか分かる。
壬生狂言には参加していなかった男、殿内義雄である。
