「ご無沙汰しております」

一人の男が声を発した。

「……山口さんですか!?」

もう一つの影の正体は、山口一であった。
山口は頭を下げた。

「今は、斎藤一(さいとう はじめ)と名乗っています」

山口改め斎藤一はそう言うと、歳三は「偶然にも向かっている途中で会ってな、山岡に刺客が居るから御朱印を目立つ所に入れておくよう伝えてもらったんだ」と経緯を伝えた。

旗本を斬り、京へと上りようやく浪士組の面々に再会が出来た斎藤。

「今は壬生村の八木さんっていう人の屋敷で世話になっているんだ」

と歳三が言うと「確か八木さんといえば壬生狂言(みぶきょうげん)の筆頭宗家を務める御仁ですな」と斎藤は言った。

斎藤は一足先に京へ来てからひと月余りだが、京の知識に明るかった。
 壬生狂言というのは鎌倉時代に、融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)の円覚上人によって創始されたと伝えられている融通念仏の狂言であり、声を出さずとも仏教を群衆にわかりやすく説くために、大げさな身ぶり手ぶりの無言劇で行われる。

念仏狂言が無言劇化した理由については、本来、大衆が念仏をする前で行なわれたものであったために、声を出しても念仏の大合唱にかき消されてしまい伝わらないので無言になったという。

 江戸時代になると、布教活動としての色彩が薄れ、大衆娯楽として発展した。能や狂言、物語に取材し、新しい演目が考案された。

その歴史ある壬生狂言を八木源之丞は斎藤のいう通り筆頭宗家として守り続けている。

 兼ねてから浪士組が入京した際に仲間に入れてもらうつもりでいたのだ。
ようやく、その事が実現出来る。

「土方さん、俺はあんたに借りがある。
ようやく力になれる時がきた」

「あぁ、まだ名もない浪士組だが、俺はこの浪士組を京で名を挙げてやるぜ。
その為にはお前の剣が必要だ」

斎藤は浪士組の新入隊士として浪士組に加盟した。
歳三も試衛館一派の仲間が欲しかった。
それで芹沢や根岸達との差別化を図ろうとしているのだ。

(大将は近藤勇だ)

新しい仲間も増え、一同は八木邸へと戻って行った。