勇は養子に入ってから今まで、一度たりとも口答えをした事はなかったが、そっと口を開いた。
「私も出自を変える事は出来ないと思っています。
多摩の百姓として生まれたからには、死ぬまで一生、多摩の百姓です」
勇の言葉に、分かっているじゃないと言ったが、そのまま勇は続けた。
「だからこそ決めたのです。
武士よりも武士らしくなると、誰よりも武士の心を持った百姓になると決めたのです」
勇はフデの目をジッと見た。
「おいフデ、思い出してみろよ。
勇が養子に来てから今日まで、こいつが頑なに何かをやりたいと言ってきた事は初めてなんだぜ。
養子に来た事も、四代目を継ぐ事も…そしてツネちゃんを嫁にとることも、全て勇は何も俺らの為に、文句ひとつ言わずにやってきてくれたじゃねえか」
初めての我が儘である。
周斎は嬉しかった、ようやく初めて本当の親子になれた気がする。
フデは立ち上がり、しばらく一人でいさせてくださいと部屋から出て襖をピシャリと閉めた。
「すみません義父上」
「気にするんじゃねえ、俺がお前ぐらいの時分なら迷わず行ってらぁ」
周斎の顔はいつものように物優しい表情に変わっていた。
「源三郎」
周斎は源三郎に声をかけた。
もちろん、源三郎に三人の会話はしっかりと聞こえていた。
「…失礼します」
少し気まずそうに入って来ると、周斎は茶を啜り微笑んだ。
「もう俺達の世話役はいい。
源三郎は勇のそばにいてほしいんだ…」
「しかし…」
「お目付役ってやつだ。
源三郎が居りゃ、俺は安心だ。
二代続いて申し訳ねえが、今度は俺じゃなくて息子を支えてやってくれ」
源三郎はかしこまりましたと頭を下げた。
ずっと周斎の世話をしてきた、今度からは周斎の息子の勇を守る番だ。
「フデの事は俺に任せろ。
勇、源三郎…。今後の日本の行く末はお前達にかかっているんだ。
いいな、何も気負いする事ァ無い。
お前達は存分に働いてこい」
周斎は箪笥をガサゴソと探った。
桐の箱に入っている長さおよそ三尺(約90cm)の箱を取り出すと、蓋を開けた。
大事に包まれた刀袋を周斎は取り出した。
「我が近藤家に伝わる由緒正しい宝刀、虎徹(こてつ)だ」
虎徹!
勇は小さな目を見開いた。
刀袋を開けると反りが浅い打刀と脇差が出てきた。
「江戸の連中はロクな刀を持っていねえと上方の連中に笑われねえようにな持っていけ」
(虎徹が手に入るはずがないだろう。
きっと贋物だが、俺がこれを本物の虎徹に変えてやる)
勇は刀身を見つめた。
いやはや実に見事な作風であった。