吹奏楽部は部室に集まっているというので、さっそく訪ねてみた。
向かっている途中、遠くからでも楽器の音が聞こえてくる。見れば部屋の外、入口までのアプローチを華やかに演出するが如く、入りきらない演奏者が列になって思い思いに鳴らしていた。
遠回しに威嚇されながら思い切って中に入ると、当然というか勢ぞろい。
在校生だけではない。OB,そして保護者でひしめいている。机の上に飾られた豪華な花束が眩しい。いくら驚く側とはいえ、3段重ねのケーキの差し入れは凄過ぎる。うっかりツボって笑いそうになった。
「お!次期会長。警備ごくろうさん」
3年部長に声を掛けられて、これまた遠回しに涼しい注目を浴びた。
〝次期会長〟は吹奏楽部にとって〝警備〟と言う雑用扱いなのだと、周りに知らしめているように思うのは気のせいか。ひがみ根性か。皆の前ではマズいので、重森を外……アプローチ奏者の見えなくなる場所まで呼び出した。
呼び出したのは重森だけ。
なのに、何故か女子と男子が1人ずつ、漏れなく一緒に付いてくる。
確か両替には2~3人でやってきた……俺は例えようのない威圧感を、ひしひしと感じた。
「まさか、コクられんのかな」
重森がオドけると、その背後で2人がクスクスと笑う。
俺は早くも呼び出した事を後悔していた。松下さんに相談してから来ればよかったかも……だが、ここまで来たからには引き返せない。
そっちが遠回しなら、こっちは直球とばかりに、
「おまえんとこの1組。金足りないらしいんだけど」
俺は出来る限り、投げやりと思われる位に平然を装った。
重森は、「また金かよ」と舌打ちする。
「俺の顔見て、カネカネ言うな。誰かの回し者みたいに」
芝居とも思えない。直球で悔しいと、素直にそう見えた。
「カンパしろって事?何買うの?」と、女子が呑気に割り込む。
「いや、そういう事じゃなくて。急に消えたみたいなんだけど」
「消えた……?」
男子のそれは、明らかなる困惑でもって、重森に一瞥を与えた。
「まさかと思うけど、それで俺んとこに直接来たとか言わねーよな?誰が言ったか知らないが」
「1組のみんなに順番で聞いて回ってるんだよ。何か聞いてない?」
話の途中で重森は、ゆっくりと俺に背中を向けた。
それと同時に、女子が一歩前に出る。
「金が無いって言ってんのは店番してる奴らでしょ?みんなスケべじゃん」
バスケ部を〝スケベ〟と蔑んでいる事は知っていた。だが、まるでそれが世界の共通言語であるが如く、世間に向かって女子が平然と言える事の方に驚く。
確かに、店番の2人はどちらもバスケ部だ。女子は、そこを知っているらしい。
知っているだけなら何も不思議な事ではないが、別クラスという部外者の身分でいきなり出張ってきてケンカ腰とは。
そこに、もう1人の部外者男子も、女子に対抗意識丸出しで飛び出した。
「沢村、おまえ分かってんの?それって早くも選挙妨害だろ」
重森をチラと見た。抜群のハーモニーを奏でる部員の波状攻撃をバックに、重森はまるで他人事のように腕を組んで遠くを眺めている。
その姿勢のまま、
「で、いくら消えたって?」
「2~3万、だったかな」
俺は勝負に出た。重森は、動揺を押し殺して……と、見えなくもないが。
「沢村って、好いお友達、持ってるんだな」
重森は、困惑を軽蔑に変えて、真っ直ぐ俺に対峙した。
無実ならば……言われの無い罪を被せられる事への〝不安〟。
有罪ならば……それは、俺に試された事に対する〝逆ギレ〟。
だがそれは、どちらとも言えない、いつもの涼しい表情。
それはまた別の意味を持って、俺に届く。
……まさか。
俺は、バスケ部に担がれたのか。
バスケ部員は他にも何人か居た。聞こえないように、こっそり喋っていたつもりだが、聞かれていたのかもしれない。怪しい手付きとか、思わせぶりな目配せとか。無かった、気がするけど。あの様子から、2人がウソを付いたとは……そんな筈はないと思う側から徐々に不信感が広がる。
「おまえからは聞かなかった事にしてやるからさ」
不意に、まるで共犯をすり込むように、男子が俺の肩に手を回した。
「そういう面倒は背後霊に投げちゃえよ」
バスケ側の阿木を生贄に、知っていながら阿木に責任をなすりつけたという十字架を背負わされて、今日から俺は奴隷扱いか。まるで3Dスクリーンのように、吹奏楽の思惑が浮かび上がる。
「あのコ、大丈夫かなぁ。最近、永田会長に絡んでぼんやりしてない?」
「そういや、浅枝とかいう1年にも彼氏居るんだって?」
「相手はバレー部の誰だかって聞いてるよ」
「てことは……それってやっぱ沢村が、ねじ込んだの?」
「粛々と、脇を固めてるってか」
重森は、あれ以来、一言も発しない。すぐに背を向けて、俺が2人に責められている姿を、黙ってその背中で聞いている。
まるで無関係な話を聞かされていると言うその態度が、やっぱりどこか不自然で、疑惑はますます加速するけど……これ以上ここに居たら、俺だけじゃなく、阿木や浅枝まで、勝手にどうにかなってしまう。
「分かった。もういいよ。他もあたるから、もうこれで」
俺は、勝手に盛り上がる2人に背中を向けた。
遠くから聞こえる楽器の音に混ざって、女子の甲高い笑い声が響く。無解決で尻尾を巻いて逃げ出す俺をあざ笑っているのか。
疑惑。不自然。それ以上に確かな物は何も無かった。
右川みたいに、俺は重森を感情的に爆発させる事すら出来ない。
……悔しい。
自分が右川に及ばないという事よりも、何でここにあいつが居ないのか。それが悔しい。もし居たら、重森はまんまと煽られて黙っていられなくなる。あの2人だって、けちょんけちょんにして、怒らせて、言わなくて好いことまでうっかり喋らせて、最後はあいつら3人まとめてギャフンと言わせてくれた筈だ。……後始末は、大変だろうけど。
気が付くと、いつか右川に付けられた手の傷が、その後特に手当もケアもしないまま、また薄っすらと血が滲んでいる。俺は両手でこすりつけた。どうせまた後になって小さい傷が叫び出すのだ。毎年。毎年。
「毎年、こんなことの繰り返しなのかな」
〝金が盗まれる〟
被害の殆どは1年生で、先輩にやって来られて仕方なくという背景があった。
取られたものは仕方ないと、金額をごまかしたり、誰かが身銭を切ったり……生徒会の場合、その役目の殆どは松下さんだった。俺は、周りに内容を悟られないよう、誰も居ない展示室に潜り込んで、松下さんに電話した。
『1万円って、また微妙だな。んー……』
松下さんは、しばらく悩んだ後、
『それほど売り上げが無かったって事にして、上げちゃおうか』
そう、伝えます……それが、今の俺の役割のような気がした。さっそく1組に赴いてそんな事情を打ち明けた所、「そうするんだろうなーって思った」と、男子は苦虫を噛み潰す。女子は意外にも、「あー、良かった」と笑顔になった。
「うちって持ち込みの古着だから高価な物無いし。だから黙ってゴマかそうって思ったんだけど、それが後でバレてクラスに迷惑かけるの嫌だし。逆に、重森に脅されたらと思うと、怖くてさ」
ずっと不安だったから沢村に言って楽になった……女子は握っていた古着で目元を拭うと、その泣き顔を見せないよう背中を向けながら、忙しく周りを片付け始める。少しでも疑ってしまった自分が恥ずかしい。
〝じゃ、帰るね♪〟
俺には言えないな。
古着の山に埋もれていたスポーツ・タオルを1枚取り出して、
「これ、貰おうかな」
「それって同情じゃん」
「そうだよ。同情だよ」
否定しない。「これだけ干されてたら、誰だって同情するよ」
酷ぇッ!と、男子は笑い飛ばして、「そんなら、ついでにこれも買ってよ。50円でいいからさ」と頼んでも居ないのに、カミナリ坊や(?)のヌイグルミまで、文字通り、包み隠さず持たされてしまった。
「わ、似合~う」
……ウソだろ。笑顔が戻ったから良いってもんじゃない。このまま、ゴミ回収所に直行したくなるゾ。
その後5組にも顔を出し、ノリも黒川も居ない事に一抹の寂しさを感じながら、校舎棟を後にした。
生徒会室に戻る途中で水場を通りがかった時、そこに居た女子の手元から鉢巻きが落ちて、それを拾って渡してやる。そこにたむろする後輩女子3人組は、同中で顔見知りだった。
ついでにこれもやる!と、カミナリ坊やを渡すと、「うわぁ~ありがとうございますぅ~。やっちゃんが喜びますぅ~」と大歓迎。
そこまでニーズがあるとは、正直思ってなかった。
「このキャラクターって、そんなに人気?」
「うわぁ、先輩。手が血祭りぢゃないですかっ」
俺の素朴な疑問を丸っと無視して、3人は手荒れに着眼した。「血祭り!」「血祭り!」と、やたら大袈裟に喜んでくれるけど……こうやって指摘されると、やっぱり右川の言うように、薬を持ち歩くべきかなと思い始める。
「しゅ、出血萌えっ」
は?
「先輩っ!包帯ですっ」
そこで、シュッ!と包帯が飛び出た。
と思ったら、女子は手際よく俺の手をクルクルやり始める。
「包帯って、そんな大袈裟な……って、どっから出てくんの!」
やけに長い包帯が、何故か女子のスカートの下から、しゅるしゅると飛び出す。アッという間に俺の右手が、まるでミイラのようなグルグル巻きになった。
「沢村伯爵。我が〝耽美オカルト研究会〟にようこそ」
嫌な予感がして逃げようとした所、巻かれた包帯が鎖のように絡んで、腕が引きずられてしまった。そこで3人組に囲まれてしまう。
「先輩……いっぺん……死んで見る?」
無理無理無理無理無理無理無!
そこまで驚く側に居たくない!
俺は、包帯を手袋のように引っこ抜いて逃げ出した。
すっかり片づいた生徒会室に戻ってくると、阿木も浅枝もどこかに消えている。
〝金庫のカギ。先生に返しておくから。後は、よろしく〟
〝焼きそば、食べてきま~す〟
〝巨乳・爆裂DVD〟上に、恭しく、そんなメッセージが置かれていた。
「これは、死にたくなるな」
作戦会議は少し遅れると、ノリに電話した。
今日、俺は1つの決意を固めて、右川亭を目指すのだ。
つまり。
いっぺん……死んでみる。