「…相変わらず速いですね〜先輩」

満開の八重桜。その八重桜の太い幹に座っている先輩に、呆れを含んだ言葉を投げかける

「そりゃぁ早く奏《かなで》と話したかったからね♪ほら、早く早く♪」

そういって、こちらに手を振るのは、病弱な事で有名な蒼《そう》先輩
一見、大きな桜の木に登れて、更には私に向かって元気良く手を振っているものだから、何ともなさそうに見えるけれど、実際はかなり危うい状態
本当ならここに来るのも止めて、保健室にでも連行したいぐらいの青白い顔は、先輩にとっては普通の様で、私はもう既に見慣れてしまった

「はいはい…少し待ってて下さいね〜?」

そう言って、長い髪のせいで多少途中で苦戦をしながらも、木をよじ登り定位置となった先輩の隣に座る

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「最近新しく開いたパン屋さん。この間行ったんですけどね?そのチョココロネがすっごく美味しかったんですよ」

「あのすぐ近くの駅前にできたパン屋さん?どんな風に美味しかったの?」

「それはですね〜…う〜ん…なんと言えば良いのやら…パンは…ふわっ?モチっ?な出来立てで、チョコがすっごい滑らかで、頭にミルクチョコ、尻尾にコーヒーチョコが入ってたんですよ。ミルクチョコで甘くなった所で、コーヒーチョコの控えめな甘さとほんのり香るコーヒーの香りがもぅ絶妙で…」

「ふふっ…奏がそんなに喜んでるの初めてみた。これは今回のパン屋さんは当たりだね」

「はいっ♪今回のは当たりです。先輩が好きなメロンパンもありましたし、こんがりと良いきつね色をしていました。これは期待出来ると思いますよ?」

「え、本当っ?わぁっ、わぁっ!今度行こう!一緒に行こう!今行こう!」

「せ、先輩落ち着いて下さい。今日の帰りに行きましょう?私もチョココロネ以外にも食べてみたいですし…」

「うんっ!」

そんな風に暫く雑談をしていた。
主に私が話し手となり、中々外に出れない先輩が聞き手にまわる。それが、何時もの事だった。

「…ふぅ…」
たわいのない事で盛り上がっていると、不意に少し辛そうに息を吐く先輩
「大丈夫ですか?先輩。保健室に行きますか?」
流石に無理をさせたかと焦る。
けれど、先輩は私を心配させまいと精一杯平常を保って、薄く微笑む
「大丈夫、大丈夫。大した事じゃ無いから」
そう言いながらも顔を顰める先輩…

先輩の体を蝕む病が、もぅ手遅れなぐらい進行してしまっている
それを知っている私は、精一杯外の色んな事を伝える
辛うじて、学校に行く事と、近くのパン屋さんに少し行くぐらいは許されているけれど、外に買い物に行く、だなんて、週に2回出来れば良い方で…

きっと…きっと、彼はもう長くない
甘く切ないこの気持ちは、ここ最近は私を苦しめるばかりだ

「…桜、綺麗ですね」

ふと、見上げた桜の木は、儚くも美しく

「そうだね。去年よりも綺麗に咲いてるよ」

精一杯今を生きていて

「また来年。一緒に見たいです」

もっと見ていたいのに、視界が滲んでしまう

「そうだねぇ。みたいねぇ…」

もっと

「先輩はその時は卒業生ですね」

もっとっ

「あぁ…確かにそうだ…。時が経つのは速いね…」

もっとっ…!



見ていたいのにっ…


「先輩…困り、ました」


「…うん」


「涙が溢れて、止まらないんですっ」


「…そっか」

先輩が困った様に笑った気配がした後、ゆっくりと私を包み込む暖かい温もり
その温もりに甘えて泣きつく私は、胸の内に溜め込んでいた言葉を吐き出してしまった

「っ…もっと見ていたいのにっ、もっと、一緒に居たいのにっ…どうしてっ…!」

一度、泣いている事を認めて仕舞えば、どんどん雫と共に溢れ出てくる本音

「うんっ…」

それは止め処なく溢れて、もぅ自分ではとても手に負えない

「もっと…もっといっぱい話したい事があるのにっ…!」

それなのに、この人はちゃんと受け止めてくれるから…

「大丈夫、大丈夫だよ」

甘えてしまう…


「…好きです、先輩…。大好きっ…」

この溢れ出てくる気持ちは、

「…ありがとう、奏。僕も、大好きだよ」

甘くて苦くて



とてもじゃないけどお代わりだなんて出来ない