数日後のまだ暑い夏の盛りの午後、予約の時間に遅れることなくA氏はやってきた。
「数年前、いえもう十年以上も前のことになります。スペインのバルセロナへ行ったときのことです。バルセロナの中心街に古い石畳のゴシック地区という場所があります。サンタ・エウラリア大聖堂が有名ですが、少し歩くと海岸もあってとてもいいところなんです。先生はスペインには行ったことがありますか?」
「いえ、私はスペインに行ったことはありません、海外へはハワイへ一度と韓国へ一度行ったくらいです」
「バルセロナは気候もよくて冬でもあまり寒くはなく、過ごしやすいところなんです。治安も想像していた以上に悪くもないです。観光客が多いですしスリに気をつけていれば、とくに危険だと感じることもありませんでした」
A氏の話しは唐突だが、頷きながら聞くことにする。これはカウンセリングなのだ。まずは患者の話したいように話させてみることは大切だ。
「バルセロナの中心街で夕食をとっているときのことです。そのお店は一見ファミリーレストランのように広いのですが、店内はすべてカウンターになっていて、人見知りの私にとってはうってつけのお店です。ステーキにフライドポテトがついて日本円で1200円程度と、値段もリーズナブルです。味はまぁまぁでしたが、とても満足しました。そしてステーキを食べ終わり食後のコーヒーを飲もうかとしているとき、突然となりに禿頭に赤ら顔に髭の男が座り、こちらに話しかけてきたのです。どうやら自分は中国人か。と、聞いているようなので、違う、自分は日本からやってきたツーリストだと伝えました。スペイン語はほとんどわからないので英語でしたが、どうやら通じたようでした。そのスペイン人はテレビを指差しながらなにか訊ねてきました。そのテレビにはどこの国のチームかはわかりませんがサッカーの試合を放映しています。自分はサッカーはよく知りません。いや、その頃、日本でもサッカーの人気が盛り上がってきているのは知っていましたが、ほとんどサッカーには興味がありませんでした。なので、自分はサッカーはあまり好きでもない。と、身振り手振りで伝えると、その禿頭赤ら顔はガッカリしたようでした。
そのとき気付いたのですが、この店はスポーツバーのようでした。というかそういうものが存在するのかわかりませんが、スポーツを見ることができるレストランのようでした。禿頭はビールを飲みながらなんだか当てが外れたかのように、つまらなさそうにテレビを見入っています。なんだか悪いことをした気がします。この禿頭おじさんはもしかしたら日本からやってきた自分と仲良くしたかったのかもしれません。なのでコーヒーを飲む間少しその禿頭に話しかけてみることにしました。どうやらその親父はそのサッカーチームを指差しなにかを懸命に伝えようとしています。ブラウン管に映るそのサッカーチームをよく見てみるとそれはどうやらフランスのサッカーチームのようでした。スペインのレストランでなぜフランスのサッカーチームの試合を放映しているのか自分にはわかりません。禿頭の男の機嫌が見る見るうちに悪くなっていくのを感じました。ぼくは拙い英語とスペイン語を駆使して禿頭の男にその理由を聞きました。
すると、禿頭はどうやらフランスが嫌いだと言っているようでした。なぜフランスリーグの放送をしているのかと、怒っているようです。理由はわかりません。スペイン語でまくし立てられたとしても自分には理解できないからです。パリは最低だとも言っているようです。僕は反応に困ってしまい、禿頭おじさんを黙って見ていることしかできませんでした。

そして思ったのです。この次は、絶対にパリへ行ってみようと」