「いっ、たー!もうちょい優しく…」


「すぐ終わりますからガマンして下さい!」



オレ、患者なんだけど…。


怒られる必要なくない?


擦りむいてから特別なにも処置を施していなかった膝小僧には、まだカサブタは張っていなかった。


だから消毒液が染みまくって痛い!


鼻につんと来る強烈な匂いとジンジンとした痛みがオレの心を蝕んで行く。


…ああ、早く帰りてぇ。



「ずいぶん派手に転んだんですね。どんな転び方したんですか?」



そんなのどうでもいいだろ!



声を大にして叫びたかったが、2階にいる店主に聞こえてしまってはまずいことになるから、喉まででかかった言葉を呑んだ。


イラつくオレを気にする様子もなく、星名さんは相変わらずマイペースに手当てをしていた。



「…よしっ!出来ました!」



おお!終わったのか?!


ようやく…


ようやく、解放される!



「ありがとう。んじゃ、オレはこれで…」



店を出ると、見える景色がガラリと変わっていた。


日が伸びて来たとはいえ、まだ5月。


午後8時を過ぎ、月や星がはっきりと見えるほどに辺りは暗くなっていた。


数メートルおきにポツポツとある街灯が夜道を優しく照らしている。


ふと、空を見上げる。


薄暗い雲に月が隠れたり、顔を出したり、月の表情はころころと様変わりしていた。


月は、どっかの誰かさんにそっくりだな…。


…って、誰だろうな。



ーーポトンッ…。



オレの頬が濡れた。



「ああ!雨、降ってきました!」



1人で悲鳴上げてろ。


オレは右手を上げた。


 
「…じゃあ」



「ちょっと待って下さい!傘、傘!」



星名さんはオレにピンクの傘を差し出して来た。


だから、これはアウトなんだって!


いやあ、疲れる!!



「ビニール傘はないわけ?」



「あっ……はいはい!これですね!お客様が忘れていったものですけど」



いやいや、まずいだろ、それは。


取りに来るかもしんないじゃん。


コイツの神経、ホントわかんねぇわ。



「小雨だし、傘は大丈夫だから。んじゃ、バイバイ」



オレは星名さんが話しかけて来ないよう、自転車にまたがり、強引に去った。


追いかけて来ていないか途中で2度振り返ったが、杞憂に終わった。




それにしても長い1日だった。


早く家に帰りたいって初めて思った。


いくらボロアパートとはいえ、オレの実家だから安心はするだろう。



しっかし、星名湖杜は史上最強のマイペースだな。


マイペース?


いや、KY?


おせっかい?


いやいや、全部だ。



本当にもうこれ以上関わりたくない。


ああいう人とは適度なキョリを保っておかないと、嵐に巻き込まれる。


自己防衛策を考えないとな…。




ブーブー…。




ズボンの右ポケットが鳴った。


きっと…


きっと…


汐泉からだ。