12時20分、男子の駅伝のスタート10分前となった。私が走るのは1区であり、1区の区間は10キロである。私はスタートの位置の少し手前で体をひねくり返し、心を落ち着かせていた。何度も靴の紐がしっかり結んであるか確認した。そして、いよいよ12時30分、審判がスタート銃を上に向けた。
「位置について!」
全38名の男子の選手が一礼をしてスタート場で構えた。そして、銃声が鳴り響くと、一斉に選手達は集団で走りだした。私は、一気に加速し、最初の500Mから1キロまでは私を含んだ上位5名が集団で同じペースで走った。この5人はまるで、いつどのタイミングでさらに前へ出るかとタイミングを見計らっているような様子だった。
「お兄ちゃん、がんばって!」
2キロを過ぎたあたりで、1人の女の子の声が聞こえてきた。その女の子の隣には橋本店長の姿が見えた。橋本店長も必死で私のことを応援していた。瀬野高校の陸上部のみんなが私を励まし応援してくれていた。応援の歓声が一気に上がり、私はその歓声に応えるようにしてスピードをあげていった。私の順位はこの時3位だった。私より20Mほど前を2名の選手が走っており、私のすぐ後ろに4位の選手がぴったりと付いてくるように走っていた。
「佐藤、ファイト! 今日はお前にとって運命の日だぞ!」
服部先生の声が聞こえてきた。そして、先生の横で3年1組のクラスメイトのみんなが私を応援してくれていた。
「佐藤、後ろは見なくて大丈夫だ! ペースはそのまま!」
松永先生が冷静に私に指示を出してくれていた。3キロを過ぎて、4位以降との差がだいぶ離れた。私はスピードを落とすことなく同じペースで走り続けた。そして、1位と、2位の選手のペースがそれぞれ、ごくわずかに落ちてきており、私を含めた上位3人はほぼ固まるようにして走り続けた。10キロを走る場合、長いと思ったら駄目なのである。そのような考えをした瞬間、必ず途中で力尽きてしまうからだ。あくまで、マラソンを走るようなジョギングだと思って、ただ冷静に走るしかない。5キロを過ぎて、私と男子の優勝候補の高校の選手と1対1の争いとなった。だんだん、走っているうちに暑さを感じてきた。2人で追い抜き追い抜かれの繰り返しだった。追い抜かれる度に、なぜか毎回絶望感を感じた。なぜ抜かれるのか。悔しい。私はずっと2人で争うようにして走り続けた。
「修! 負けるな! 頑張れ!」
歩道を見ると、私の母の姿が見えてきた。ようやく、母を見つけ、母が応援してくれる姿を見て、私は少しだけ気持ちが楽になった。母の声援が私にとても勇気を与えてくれた。私は苦しい表情ながらも母に向かって親指を立て合図をした。
7キロを過ぎた。10Mほど前を走っていた1位の選手に向かって私はだんだんと差を縮めていった。そして、ようやく1位の選手を抜き返し、今度は逆にその選手と10Mほど差を広げた。しばらく同じペースで走り続けた。だが、途中で差し掛かってくる微妙な登り坂が私を苦しめた。一瞬だけ後ろを振り向いた。2位の選手もこの登り坂に苦しんでいた様子であったが、私のことを今にも抜き返してやるといわんばかりの表情だった。私は苦しみながらも周りの風景などを見ながら気を紛らわせて何も考えずに走り続けた。私の目の前を白バイが走っており、ただ、無意識に白バイに付いていくような走りをしていた。
「おい、白バイのペースに合わせてどうすんだ!? お前がペースを作れ!」
登り坂を終え平坦な道を走っていると松永先生からの喝が入った。第一中継所まであと残り1キロ程のところまできた。そこで、私は不思議な感覚になった。
「修くん!」
私の中で何かが聞こえた。
「紗英!?」
私は思わず心の中で叫んだ。
「修くん、私を捕まえて!」
紗英の声が聞こえきたのだ。まるで幻の世界にいるような感覚だった。私は走っていてだんだんと怖くなった。紗英がどんどん遠くに離れていくような気がしていたからだ。私の全身から汗がひたすら湧き出ていた。私には、何故かいるはずのない紗英の声が聞こえ、彼女が私のことを応援しているのは確かだった。しかし、がむしゃらに全速力で走るにはまだ距離が長かった。ここで、いかにフォームを乱さず歩幅を広げてスピードをじわじわあげていくかで勝負が決まる。第一中継所まで残り500メートルとなった。私は1位を争っていた選手と共にスパートをかけ始めた。熾烈な1位争いになった。もうここまでくれば一瞬でも気が緩んでしまった選手が負けとなる。残り300M。最後は倒れてもいいと思った。人生、最大のスパートをかけた。紗英が6月の最後のレースで倒れた直前のスパートは、きっとこの時の私のスパートよりも遥かに何倍も辛かったのだろうと思った。私は死ぬつもりで走った。限界とは一体どこなのか。何を以て限界と言うのか。一瞬目の前が真っ白になった。気が付いたら、第一中継所まであと30Mほどであり、そこには2区の選手が待っていた。私はタスキを体から外して手に持って走った。
「頼むぞー!」
私は命がけでタスキを2区の選手に渡した。そして、ほぼ同時に2位の選手がタスキを繋いだ。何秒差だったのか、自分のタイムが何秒だったのか、全く分からなかった。私はセイコーの腕時計のタイマーを押すことなくよれよれで歩き、中継所で待っててくれた1年生の後輩の男子が私を支えてくれた。そして、路上の端っこの方へ2人で肩を組みながら歩き、私はそのまま歩道の上に倒れた。呼吸がとても苦しかった。数分の間、歩道の上に仰向けで倒れたままだった。この時の記憶はほとんど覚えていないが、彼が私の傍にずっといてくれたのを覚えている。15分くらい経って、少しずつ呼吸が落ち着いてきた。私は起き上がってジャージに着替えた。私のところへさらに2名、男子の1年生の後輩と女子の1年生の後輩が来てくれた。
「先輩、おめでとうございます! 1位でしたよ! 2位とは2秒差で、しかも区間新記録です!」
「そうか… よかった…」
私は後輩の言葉を聞いて安堵のため息をつき、ただ目をつぶって呟いただけだった。
「佐藤先輩、清少先輩の靴です! 清少先輩、絶対天国で喜んでますよ!」
「あぁ、本当にありがとうな!」
私は感激して泣きそうな気持ちだった。紗英の靴を第一中継所まで持って来てくれた後輩の頭を優しく触った。感謝の気持ちでいっぱいだった。
「みんな、ありがとう! 来年は、みんなも頑張ってな!」
「はい! ありがとうございます!」
私は第一中継所の近くで、紗英の母親が私の走り終わった様子を見ていた姿に気付いた。そして、紗英のアシックスの靴を持って紗英の母親のところへ向かった。
「お母さん、応援ありがとうございます!」
「佐藤君、おめでとう! そして、紗英のためにもありがとう!」
「とんでもないです。お母さん、紗英の靴をお返しします。僕にはもう必要ありません」
私は紗英の母親に紗英のアシックスの靴を手渡した。紗英の母親は一瞬、この靴を受け取ることを躊躇っていたが、そっと靴を受け取った。
「紗英はね、幸せだったのよ。亡くなる前はもう言葉もほとんど何を言ってるか分からない時もあった。だけどね、貴方のことを話すたび力がみなぎったようになって、私と主人だけでは面倒を見切れなかったの。本当にありがとう」
「僕は「紗英さん」と出会えて本当に幸せでした。ありがとうございます!」
私は紗英の母親に深く頭を下げお礼をした。紗英の母親もハンカチで涙を拭きながら私に深く頭を下げていた。そして、私は後輩達のところへと戻り、彼らと一緒に男子の選手達を応援しに向かった。
高校駅伝は男子が6位、女子が3位で無事に競技を終えた。私は閉会式で表彰をされ賞状を頂いた。閉会式が終わり、帰りのバスが停まってある大きな広い駐車場のところに陸上部の選手達は集まっていた。しばらくして、松永先生が私の姿を見つけると、先生は私のところに向かってきた。私は思わず先生のところへ小走りで向かい、先生と抱き合った。
「佐藤、おめでとう! いろいろと辛かったな。だけど、お前はまだ若い。人生これからいろいろある。どんなことがあってもこれだけにはなるなよ!」
この時、松永先生が泣きそうな表情だったのを初めて見た。先生は自分の鼻の先に手をつけ人差し指を上に指して言った。つまり、区間新記録を出した私に対して天狗になるような生き方はするなよという意味だった。
「先生、本当にありがとうございます! 俺、先生の言葉、一生忘れないです!」
私は涙を流していた。そして、先生に深々と頭を下げていた。
帰りのバスが駅伝大会の会場を出て瀬野高校へと無事に着いた。私は高校から真っすぐ家へと帰った。私はこの日の夜、部屋で1人ずっと泣いていた。涙が枯れるほどだった。17年間生きてきた人生の中で1番泣いたのだろう。区間賞を取り、新記録を出した嬉しさなど全く無かった。ただ全てが終わったという解放感と紗英がこの世からいなくなった悲しさだけの涙だった。
「位置について!」
全38名の男子の選手が一礼をしてスタート場で構えた。そして、銃声が鳴り響くと、一斉に選手達は集団で走りだした。私は、一気に加速し、最初の500Mから1キロまでは私を含んだ上位5名が集団で同じペースで走った。この5人はまるで、いつどのタイミングでさらに前へ出るかとタイミングを見計らっているような様子だった。
「お兄ちゃん、がんばって!」
2キロを過ぎたあたりで、1人の女の子の声が聞こえてきた。その女の子の隣には橋本店長の姿が見えた。橋本店長も必死で私のことを応援していた。瀬野高校の陸上部のみんなが私を励まし応援してくれていた。応援の歓声が一気に上がり、私はその歓声に応えるようにしてスピードをあげていった。私の順位はこの時3位だった。私より20Mほど前を2名の選手が走っており、私のすぐ後ろに4位の選手がぴったりと付いてくるように走っていた。
「佐藤、ファイト! 今日はお前にとって運命の日だぞ!」
服部先生の声が聞こえてきた。そして、先生の横で3年1組のクラスメイトのみんなが私を応援してくれていた。
「佐藤、後ろは見なくて大丈夫だ! ペースはそのまま!」
松永先生が冷静に私に指示を出してくれていた。3キロを過ぎて、4位以降との差がだいぶ離れた。私はスピードを落とすことなく同じペースで走り続けた。そして、1位と、2位の選手のペースがそれぞれ、ごくわずかに落ちてきており、私を含めた上位3人はほぼ固まるようにして走り続けた。10キロを走る場合、長いと思ったら駄目なのである。そのような考えをした瞬間、必ず途中で力尽きてしまうからだ。あくまで、マラソンを走るようなジョギングだと思って、ただ冷静に走るしかない。5キロを過ぎて、私と男子の優勝候補の高校の選手と1対1の争いとなった。だんだん、走っているうちに暑さを感じてきた。2人で追い抜き追い抜かれの繰り返しだった。追い抜かれる度に、なぜか毎回絶望感を感じた。なぜ抜かれるのか。悔しい。私はずっと2人で争うようにして走り続けた。
「修! 負けるな! 頑張れ!」
歩道を見ると、私の母の姿が見えてきた。ようやく、母を見つけ、母が応援してくれる姿を見て、私は少しだけ気持ちが楽になった。母の声援が私にとても勇気を与えてくれた。私は苦しい表情ながらも母に向かって親指を立て合図をした。
7キロを過ぎた。10Mほど前を走っていた1位の選手に向かって私はだんだんと差を縮めていった。そして、ようやく1位の選手を抜き返し、今度は逆にその選手と10Mほど差を広げた。しばらく同じペースで走り続けた。だが、途中で差し掛かってくる微妙な登り坂が私を苦しめた。一瞬だけ後ろを振り向いた。2位の選手もこの登り坂に苦しんでいた様子であったが、私のことを今にも抜き返してやるといわんばかりの表情だった。私は苦しみながらも周りの風景などを見ながら気を紛らわせて何も考えずに走り続けた。私の目の前を白バイが走っており、ただ、無意識に白バイに付いていくような走りをしていた。
「おい、白バイのペースに合わせてどうすんだ!? お前がペースを作れ!」
登り坂を終え平坦な道を走っていると松永先生からの喝が入った。第一中継所まであと残り1キロ程のところまできた。そこで、私は不思議な感覚になった。
「修くん!」
私の中で何かが聞こえた。
「紗英!?」
私は思わず心の中で叫んだ。
「修くん、私を捕まえて!」
紗英の声が聞こえきたのだ。まるで幻の世界にいるような感覚だった。私は走っていてだんだんと怖くなった。紗英がどんどん遠くに離れていくような気がしていたからだ。私の全身から汗がひたすら湧き出ていた。私には、何故かいるはずのない紗英の声が聞こえ、彼女が私のことを応援しているのは確かだった。しかし、がむしゃらに全速力で走るにはまだ距離が長かった。ここで、いかにフォームを乱さず歩幅を広げてスピードをじわじわあげていくかで勝負が決まる。第一中継所まで残り500メートルとなった。私は1位を争っていた選手と共にスパートをかけ始めた。熾烈な1位争いになった。もうここまでくれば一瞬でも気が緩んでしまった選手が負けとなる。残り300M。最後は倒れてもいいと思った。人生、最大のスパートをかけた。紗英が6月の最後のレースで倒れた直前のスパートは、きっとこの時の私のスパートよりも遥かに何倍も辛かったのだろうと思った。私は死ぬつもりで走った。限界とは一体どこなのか。何を以て限界と言うのか。一瞬目の前が真っ白になった。気が付いたら、第一中継所まであと30Mほどであり、そこには2区の選手が待っていた。私はタスキを体から外して手に持って走った。
「頼むぞー!」
私は命がけでタスキを2区の選手に渡した。そして、ほぼ同時に2位の選手がタスキを繋いだ。何秒差だったのか、自分のタイムが何秒だったのか、全く分からなかった。私はセイコーの腕時計のタイマーを押すことなくよれよれで歩き、中継所で待っててくれた1年生の後輩の男子が私を支えてくれた。そして、路上の端っこの方へ2人で肩を組みながら歩き、私はそのまま歩道の上に倒れた。呼吸がとても苦しかった。数分の間、歩道の上に仰向けで倒れたままだった。この時の記憶はほとんど覚えていないが、彼が私の傍にずっといてくれたのを覚えている。15分くらい経って、少しずつ呼吸が落ち着いてきた。私は起き上がってジャージに着替えた。私のところへさらに2名、男子の1年生の後輩と女子の1年生の後輩が来てくれた。
「先輩、おめでとうございます! 1位でしたよ! 2位とは2秒差で、しかも区間新記録です!」
「そうか… よかった…」
私は後輩の言葉を聞いて安堵のため息をつき、ただ目をつぶって呟いただけだった。
「佐藤先輩、清少先輩の靴です! 清少先輩、絶対天国で喜んでますよ!」
「あぁ、本当にありがとうな!」
私は感激して泣きそうな気持ちだった。紗英の靴を第一中継所まで持って来てくれた後輩の頭を優しく触った。感謝の気持ちでいっぱいだった。
「みんな、ありがとう! 来年は、みんなも頑張ってな!」
「はい! ありがとうございます!」
私は第一中継所の近くで、紗英の母親が私の走り終わった様子を見ていた姿に気付いた。そして、紗英のアシックスの靴を持って紗英の母親のところへ向かった。
「お母さん、応援ありがとうございます!」
「佐藤君、おめでとう! そして、紗英のためにもありがとう!」
「とんでもないです。お母さん、紗英の靴をお返しします。僕にはもう必要ありません」
私は紗英の母親に紗英のアシックスの靴を手渡した。紗英の母親は一瞬、この靴を受け取ることを躊躇っていたが、そっと靴を受け取った。
「紗英はね、幸せだったのよ。亡くなる前はもう言葉もほとんど何を言ってるか分からない時もあった。だけどね、貴方のことを話すたび力がみなぎったようになって、私と主人だけでは面倒を見切れなかったの。本当にありがとう」
「僕は「紗英さん」と出会えて本当に幸せでした。ありがとうございます!」
私は紗英の母親に深く頭を下げお礼をした。紗英の母親もハンカチで涙を拭きながら私に深く頭を下げていた。そして、私は後輩達のところへと戻り、彼らと一緒に男子の選手達を応援しに向かった。
高校駅伝は男子が6位、女子が3位で無事に競技を終えた。私は閉会式で表彰をされ賞状を頂いた。閉会式が終わり、帰りのバスが停まってある大きな広い駐車場のところに陸上部の選手達は集まっていた。しばらくして、松永先生が私の姿を見つけると、先生は私のところに向かってきた。私は思わず先生のところへ小走りで向かい、先生と抱き合った。
「佐藤、おめでとう! いろいろと辛かったな。だけど、お前はまだ若い。人生これからいろいろある。どんなことがあってもこれだけにはなるなよ!」
この時、松永先生が泣きそうな表情だったのを初めて見た。先生は自分の鼻の先に手をつけ人差し指を上に指して言った。つまり、区間新記録を出した私に対して天狗になるような生き方はするなよという意味だった。
「先生、本当にありがとうございます! 俺、先生の言葉、一生忘れないです!」
私は涙を流していた。そして、先生に深々と頭を下げていた。
帰りのバスが駅伝大会の会場を出て瀬野高校へと無事に着いた。私は高校から真っすぐ家へと帰った。私はこの日の夜、部屋で1人ずっと泣いていた。涙が枯れるほどだった。17年間生きてきた人生の中で1番泣いたのだろう。区間賞を取り、新記録を出した嬉しさなど全く無かった。ただ全てが終わったという解放感と紗英がこの世からいなくなった悲しさだけの涙だった。
