10月29日、県の駅伝大会前の最後のトラックレース大会が大村競技場で行われた。この日、天気は曇りで風も冷たかった。私は14時からの5000Mのトラックレースへの参加だった。ここは、6月に紗英が倒れる直前に最後にレースで走った場所だ。紗英は最後のレースにアシックスの靴で試合を走ることができなかった。私は彼女のアシックスの靴を会場に持って来ていた。その靴の中にはピンクのお守りが2つ、それぞれ右足用と左足用に入っていた。両足の靴をトラックのスタートラインの内側の芝生の上にそっと置いた。私はしゃがみこんで、両手で紗英の靴を掴みながら10秒間くらい目をつぶった。私の目から一瞬涙がこぼれた。私はすぐに涙を拭いウォーミングアップを開始した。レース前の緊張感などもはや何もなく、ただ、ひたすら目の前のトラックを走り抜けることに集中していた。レースは順調に進み無事に走り終えた。私は13分58秒という自己ベストのタイムを打ちだした。試合が終わった後、私はすぐに紗英の病院へ向かった。夕方の18時半頃に病院へと着き病室へ入った。部屋には私と紗英の2人だけだった。
「紗英、ただいま。なぁ、今日、俺が走っていた姿見えていたか? 走っているときに、まるで紗英も走っているかのようにアシックスの靴も跳ねていたよ」
私は全く動くことなく目をつぶったままの紗英にそっと声をかけた。その時だった。反応するはずのない紗英の目からかすかに一滴の涙がこぼれた。これが紗英との別れの合図だった。私は彼女の手をずっと強く握りしめていた。何度も紗英の名前を呼んでいた。そして、紗英は私の腕の中に包まれたまま天国へと旅立っていった。
11月3日、紗英の告別式が行われた。紗英の家族や親族、学校関係者など200名近く集まっていた。秋のすっきりとした晴れの日だった。誰しもが命の尊さを儚く感じていた。棺桶に入れられた17歳の紗英はあまりにも綺麗な顔をしていた。どうしてじっとして動かないのか。なぜ笑ってくれないのか。なぜ私のことをからかってくれないのか。悲しいはずなのに涙があまり出なかった。私は、紗英のアシックスの靴の中にピンクのお守りを2つそれぞれ片足ずつ入れて、その靴を棺桶の中に入れようとした。
「待って! お願い! その靴は棺桶に入れないで! 「修くん」の最後のレースまで持っていてほしいって。天国には持ってこないで「修くん」に渡してって。紗英からのメッセージだよ」
紗英の母親が手でハンカチを顔に当て涙を流しながら私に頭を下げて言った。私はこらえていた涙が溢れんばかり出た。紗英の告別式を終えた後、私は家へ帰るために葬儀場に停めてあった私の母の車に母と一緒に乗り込んだ。
「修ちゃん…」
「お母さーん!」
私は車の中で母に抱きついて大声で泣いた。まるで小さな子供のように。もはや、恥ずかしさなど全く無かった。この悲しさを表現できるのが母しかいなかったのだ。
「修ちゃん、紗英ちゃんは必ず修のことを天国から見守ってくれてるから! 貴方が辛い時はいつも! これからの人生頑張って生きなきゃだよ!」
母は力強く涙声で私に言った。私と母は大粒の涙をこぼしていた。この時は、母の温もりを感じた。私が泣き止むまでずっと私のことを力強く抱きしめていてくれた。まるで、幼い時に感じたとても懐かしいものだった。
11月6日、私は陸上の最後の練習の追い込みに取組んでおり、夕方の18時頃に練習が終わった。母が仕事を終えて学校まで車で迎えに来てくれていた。私は母の車に乗り込み、自宅の近所のスーパーへ夕飯などの材料を買いに向かった。家の近くの公園の交差点を曲がり、あと30秒ほど車でまっすぐ進めば家に着くところで、私は助手席から母に言った。
「お母さん、俺、絶対区間賞とるよ! 区間新記録作るから!」
私は母に宣言した。
「修ちゃん、お母さんはね、修ちゃんが走れるようになって試合に出てくれるだけで幸せだよ。必ず応援に行くから無茶しないようにね。ほら、寒いから先に玄関開けて電気とストーブつけておいて。お母さん、車停めてくるから。あと、これもお願いね」
母が私を先に車から降ろして、スーパーで買った買物袋を持たせた。家の玄関を開けると部屋は真っ暗でとても寒かった。私は部屋の明かりとストーブをつけ、買物袋から食材などを取り出し冷蔵庫の中に入れた。5分ほど経ってから、母が玄関を開けて帰ってきた。もうすっかり寒い晩秋の夜、この日の夕食はキムチ鍋だった。
「紗英、ただいま。なぁ、今日、俺が走っていた姿見えていたか? 走っているときに、まるで紗英も走っているかのようにアシックスの靴も跳ねていたよ」
私は全く動くことなく目をつぶったままの紗英にそっと声をかけた。その時だった。反応するはずのない紗英の目からかすかに一滴の涙がこぼれた。これが紗英との別れの合図だった。私は彼女の手をずっと強く握りしめていた。何度も紗英の名前を呼んでいた。そして、紗英は私の腕の中に包まれたまま天国へと旅立っていった。
11月3日、紗英の告別式が行われた。紗英の家族や親族、学校関係者など200名近く集まっていた。秋のすっきりとした晴れの日だった。誰しもが命の尊さを儚く感じていた。棺桶に入れられた17歳の紗英はあまりにも綺麗な顔をしていた。どうしてじっとして動かないのか。なぜ笑ってくれないのか。なぜ私のことをからかってくれないのか。悲しいはずなのに涙があまり出なかった。私は、紗英のアシックスの靴の中にピンクのお守りを2つそれぞれ片足ずつ入れて、その靴を棺桶の中に入れようとした。
「待って! お願い! その靴は棺桶に入れないで! 「修くん」の最後のレースまで持っていてほしいって。天国には持ってこないで「修くん」に渡してって。紗英からのメッセージだよ」
紗英の母親が手でハンカチを顔に当て涙を流しながら私に頭を下げて言った。私はこらえていた涙が溢れんばかり出た。紗英の告別式を終えた後、私は家へ帰るために葬儀場に停めてあった私の母の車に母と一緒に乗り込んだ。
「修ちゃん…」
「お母さーん!」
私は車の中で母に抱きついて大声で泣いた。まるで小さな子供のように。もはや、恥ずかしさなど全く無かった。この悲しさを表現できるのが母しかいなかったのだ。
「修ちゃん、紗英ちゃんは必ず修のことを天国から見守ってくれてるから! 貴方が辛い時はいつも! これからの人生頑張って生きなきゃだよ!」
母は力強く涙声で私に言った。私と母は大粒の涙をこぼしていた。この時は、母の温もりを感じた。私が泣き止むまでずっと私のことを力強く抱きしめていてくれた。まるで、幼い時に感じたとても懐かしいものだった。
11月6日、私は陸上の最後の練習の追い込みに取組んでおり、夕方の18時頃に練習が終わった。母が仕事を終えて学校まで車で迎えに来てくれていた。私は母の車に乗り込み、自宅の近所のスーパーへ夕飯などの材料を買いに向かった。家の近くの公園の交差点を曲がり、あと30秒ほど車でまっすぐ進めば家に着くところで、私は助手席から母に言った。
「お母さん、俺、絶対区間賞とるよ! 区間新記録作るから!」
私は母に宣言した。
「修ちゃん、お母さんはね、修ちゃんが走れるようになって試合に出てくれるだけで幸せだよ。必ず応援に行くから無茶しないようにね。ほら、寒いから先に玄関開けて電気とストーブつけておいて。お母さん、車停めてくるから。あと、これもお願いね」
母が私を先に車から降ろして、スーパーで買った買物袋を持たせた。家の玄関を開けると部屋は真っ暗でとても寒かった。私は部屋の明かりとストーブをつけ、買物袋から食材などを取り出し冷蔵庫の中に入れた。5分ほど経ってから、母が玄関を開けて帰ってきた。もうすっかり寒い晩秋の夜、この日の夕食はキムチ鍋だった。
