10月18日、夕方の18時、陸上部は練習を終え解散前のミーティングを行っていた。
「いよいよ、県の駅伝大会まであと20日だ。正直、3年は男子も女子も最後になるだろう。あとは、各自で秋の練習と調整を大事にするように。いいか、みんな後悔だけはしないように。そして、あとは清少のためにもだ」
松永先生が厳しい表情で言った。同時にサングラスの裏で目に涙を浮かべていた。陸上部のみんなも涙をこぼしていた。やはり、紗英が大会に出ることが絶望的だったからである。正直、女子に関しては、紗英がスタメンで走ることが出来れば、県内での優勝候補にあがり、ほぼ確実に12月に開催される京都での全国大会に出場できた。男子に関しては、全国大会への参加はほぼ不可能であった。駅伝になれば、個々の戦いではなくチームでの戦いとなり、瀬野高校よりも強い高校が県内に5校以上存在したため全国大会への出場は厳しかった。それでも、当時の私にとって京都は憧れの場所だった。