2006年10月15日、私は陸上の練習を終え、自宅の部屋で一眠りしていた。紗英が競技場のトラックを走っている夢を見た。まるで、その夢で起こされたかのように私は目を覚ました。「今から病院に行く。今夜、一緒に瀬野通りを歩こう!」まさに、時が来たというような感覚で私は紗英にメールを送った。送信ボタンを押した瞬間、私は家から飛び出し紗英がいる瀬野病院まで走って向かった。夜20時を過ぎ外はすっかり真っ暗だった。先週と打って変わって急に風が冷たくなった。紗英からのメールの返信は来なかった。そんなことはもうどうでもよかった。紗英のいる病室へ急いで向かいドアをノックして部屋の中へ入った。
「紗英!」
「修くん」
紗英は私の方に身体を向けながらベッドの上に座っていた。彼女はグレーのパーカーを上に来て、下は黒のジャージ姿だった。頭には鬘をつけ、その上から白のベースボールキャップを被っていた。私は紗英のもとへ駆けつけ彼女を抱きしめた。
「修くん、待ってたよ。会いたかった。私、修くんが今夜来るって信じてた」
「俺もお前に会いたかった。具合は大丈夫か?」
「平気。ねぇ、走ってきたの? 修くんの体暑い。私ね、手が震えてうまくメール打てなかった。打つのに時間かかるから。でも、それより先に修くんの方がきっと来るの早いだろうなって思ってた」
紗英の体も暑く感じた。少し呼吸が荒い感じだった。彼女は鼻にかかったような小声で私のもとで囁いた。
「今日ね、橋本店長がお見舞いに来てくれたの。娘さんも一緒に来てくれたんだよ」
「そうか、よかったな。みんな、紗英のことを応援してるよ」
「ほら、見てこれ。店長の娘さんが作ってくれたの」
紗英の枕元には千羽鶴が飾ってあった。そのすぐ隣には、紗英と橋本店長と店長の娘さんの3人の似顔絵も飾られていた。その絵にはとっても大きな満月も描かれていた。紗英はとても幸せそうな表情をしていた。
「修くん、私の靴をとって」
紗英は、病室のテレビの横に置いてあったアシックスの靴を指差して言った。
「履かせてほしい。あっ、その前にね、修くん、私の右足の靴履いてみて」
紗英は私の顔を見つめながら笑顔で言った。
「アホか、お前サイズ24だろ? 俺、27だぞ」
私は苦笑いして言った。
「でも、紐を外したら履けるって。ほら、早く」
紗英は小意地悪するように小声で囁いた。まるで、少女のいたずらのように。そのいたずらのような笑顔がとても愛おしかった。私は紗英に言われるがまま、しぶしぶ無理やり彼女の靴を履いた。足が全部靴の中に入りきらない状態で少し斜めにかかとが浮いていた。
「いやー、厳しいな。っていうか、かかとが浮いてるし足先も曲がってるよ」
紗英がクスクスと笑っていた。私はそんな彼女を再び抱きしめた。
夜の21時、病院内の廊下はとても静かで、2人はゆっくりと病院を出た。
「ねぇ、私のipod忘れてない?」
「あぁ、ほら、ちゃんと持ってるよ」
私は紗英の白のipodを忘れずに持って自分のズボンのポケットに入れた。紗英が途中で音楽を聴きながら歩きたいと言っていたからだ。彼女と腕を組みながらゆっくりと瀬野通りを歩き始めた。満月が私たちを明るく照らしていた。
「寒い…」
紗英が凍えたように言った。瀬野通りの交通量はまだ多く、学校帰りや会社帰りの人々が行き通っていた。私たちは、肩を寄せ合いながら腕を組み、体をお互いしっかりと密着させ一緒に歩いた。紗英は少し前かがみ気味になっていた。夜の冷たい風で木の葉が揺れ、2人は緩やかなカーブに差し掛かった。すると、木の葉でしばらく隠れていた満月が再び見えてきた。とても綺麗ではっきりと遠くに見えた。私たちはまるで月に向かうように歩いていた。
「待って」
紗英はそう言うと突然立ち止まって、じっと私の顔を見つめてきた。少し泣きそうな顔をしていた。不意にも私は力が抜けてしまった。その瞬間、あろうことか、紗英は急に私の腕から身を離して走りだしたのだ。
「おい! 紗英、待て! 走るな!」
私は全速力で必死に紗英を追いかけた。紗英は左足を少し引きつるようにして走り続けた。
「修くん、私を捕まえて!」
私は、真剣に強ばった表情をしていたのだろう。紗英と出会った2年前と同じだった。そして、100M進んだ先の多田川の陸橋の上でようやく紗英を捕まえ強く抱きしめた。
「お前、バカ野郎! また倒れたらどうすんだよ!」
私は紗英を後ろから強く抱きしめたまま怒るようにして言った。すると、紗英は震えだした。やがて、彼女の泣く声が聞こえてきた。
「修くん、私、病気で死ぬのが怖いよ…」
紗英が大声で泣きだした。震える彼女を後ろから抱きしめたまま彼女の頭を優しくさすった。私もただ、涙だけがこぼれていた。
「怖がらなくていいぞ! 俺が守ってやるからな! 絶対に! 紗英、大丈夫だぞ!」
ただひたすら、紗英を励ましていた。泣いている小さな子供をあやすようにしながら。
「修くんと出会った時、修くんは私を助けてくれた。私の生きる道を与えてくれた。だから、あの時みたいに救ってほしかった。もし、修くんがここで私を捕まえてくれたら、私の病気もきっと治るって思ったから走った。だから… ごめんなさい…」
私達は溢れんばかりの涙をこぼしていた。私は、紗英を抱きしめたまま私の方に身を振り向かせ彼女にキスをした。夜空に輝く満月の下、多田川の橋の上で私と紗英は熱い口づけを交わした。人生で忘れることができない口づけだった。紗英が私の目を見て言ってきた。
「ねぇ、最後に一緒に走って。あのイオンの交差点のところまで。手を繋いで。お願い」
私はどう答えてよいか分からなかった。しかし、紗英の気持ちを素直に受け止めようと思った。
「あぁ、分かった。そのかわり、ちょっとだけだぞ! ゆっくりしか走らないからな!」
私は目をこすり涙声で言い放った。
「約束する」
紗英は泣きながら頷いた。私は左手で紗英の右手をしっかりと繋いだ。そして、2人はゆっくりと手を繋ぎながら走りだした。紗英は引きつるような左足を我慢していた。いつ倒れても支えることが出来るように彼女の背中のあたりを繋いだ手で押さえるようにして走った。夜の空は澄み切っていて、満月の明かりが今までの人生で観てきた中で1番明るく感じた。顔に当たる風が冷たかった。私と紗英は輝く満月に向かって手を繋ぎながら走った。そして、多田川の橋を越えイオンの交差点のところまで着いた。紗英はそのまま下にしゃがみこんだ。
「修くん、ありがとう」
「紗英、大丈夫か!? 歩けるか!?」
「大丈夫。心配しないで。私、大丈夫だから」
「無理するなよ。頼むから」
「平気。ねぇ、歩いて帰ろう。タクシーなんか呼ばないでよ」
紗英はなんとか立ち上がったもののよろけていた。そして、何度も地面に倒れ込むような状態だった。
「ダメだ! 無理だよ! タクシー呼ぶから、ここで一緒に待とう!」
「嫌だ! 歩くの! 歩いて一緒に帰る!」
私は体が震えていた。紗英がいつ倒れてもおかしくない恐怖心でいっぱいだった。彼女はもはや私に対する返答などではなく独り言のようにただ言葉を発していた。それでも、紗英はどうしても自らの力で私と一緒に歩いて帰りたかったのだ。
「大丈夫。歩ける。歩いて修くんと帰るの。ねぇ、音楽聞いて帰ろう。そのほうが元気でるから」
「あぁ、分かった。分かったから。辛かったら必ず言えよ!」
私は紗英のipodをズボンから取り出した。イヤホンを片方ずつ私と紗英のそれぞれの耳に付け腕を組みながら歩いて帰った。紗英は流れてくる音楽の鼻歌を歌いながら必死で歩いていた。目が虚ろであり、途中、紗英は何度も立ち止まり地面に座りこんだ。私はその度に、彼女を抱え込み立たせた。何度も諦めかけたが、紗英の意思を尊重し私達はそのまま瀬野病院まで必死で歩き続けた。イオンの交差点の所から約1時間半かけて、ようやく病室まで着き、私は紗英をすぐにベッドに寝かせた。
「紗英、着いたよ。おつかれだったな。具合悪くなったらすぐに言えよ! ずっと傍にいるから!」
紗英の息は少し荒かった。
「ありがとう。私は大丈夫だよ」
私はずっと彼女の傍にいた。とても心配だった。そのまま落ち着いたのか、紗英はすぐにベッドの上で眠ってしまった。時折、少し苦しそうに体を動かす姿が不安であり何度も彼女に声をかけていた。深夜2時を過ぎて紗英が目を覚まし私に囁いてきた。
「まだ起きてたの?」
「心配で寝れるわけないだろ」
「寝ていいんだよ。私はずっとここにいるから」
紗英が震えたような右手で私の右の頬を優しく触った。手がとても冷たかった。私は涙がこぼれてしまった。
「修くん、泣かないで」
「泣いてなんかいない」
「修くんが泣くと私も悲しくなるよ」
「大丈夫。一緒に寝ような。俺も寝るから」
「うん。ありがとう」
紗英は、ただ、大丈夫だから安心して私に寝てくれと言うだけだった。彼女は安心して再び眠ってしまった。そのまま深夜を過ぎ、日が昇る前の早朝まで私は眠ることができなかった。
「紗英!」
「修くん」
紗英は私の方に身体を向けながらベッドの上に座っていた。彼女はグレーのパーカーを上に来て、下は黒のジャージ姿だった。頭には鬘をつけ、その上から白のベースボールキャップを被っていた。私は紗英のもとへ駆けつけ彼女を抱きしめた。
「修くん、待ってたよ。会いたかった。私、修くんが今夜来るって信じてた」
「俺もお前に会いたかった。具合は大丈夫か?」
「平気。ねぇ、走ってきたの? 修くんの体暑い。私ね、手が震えてうまくメール打てなかった。打つのに時間かかるから。でも、それより先に修くんの方がきっと来るの早いだろうなって思ってた」
紗英の体も暑く感じた。少し呼吸が荒い感じだった。彼女は鼻にかかったような小声で私のもとで囁いた。
「今日ね、橋本店長がお見舞いに来てくれたの。娘さんも一緒に来てくれたんだよ」
「そうか、よかったな。みんな、紗英のことを応援してるよ」
「ほら、見てこれ。店長の娘さんが作ってくれたの」
紗英の枕元には千羽鶴が飾ってあった。そのすぐ隣には、紗英と橋本店長と店長の娘さんの3人の似顔絵も飾られていた。その絵にはとっても大きな満月も描かれていた。紗英はとても幸せそうな表情をしていた。
「修くん、私の靴をとって」
紗英は、病室のテレビの横に置いてあったアシックスの靴を指差して言った。
「履かせてほしい。あっ、その前にね、修くん、私の右足の靴履いてみて」
紗英は私の顔を見つめながら笑顔で言った。
「アホか、お前サイズ24だろ? 俺、27だぞ」
私は苦笑いして言った。
「でも、紐を外したら履けるって。ほら、早く」
紗英は小意地悪するように小声で囁いた。まるで、少女のいたずらのように。そのいたずらのような笑顔がとても愛おしかった。私は紗英に言われるがまま、しぶしぶ無理やり彼女の靴を履いた。足が全部靴の中に入りきらない状態で少し斜めにかかとが浮いていた。
「いやー、厳しいな。っていうか、かかとが浮いてるし足先も曲がってるよ」
紗英がクスクスと笑っていた。私はそんな彼女を再び抱きしめた。
夜の21時、病院内の廊下はとても静かで、2人はゆっくりと病院を出た。
「ねぇ、私のipod忘れてない?」
「あぁ、ほら、ちゃんと持ってるよ」
私は紗英の白のipodを忘れずに持って自分のズボンのポケットに入れた。紗英が途中で音楽を聴きながら歩きたいと言っていたからだ。彼女と腕を組みながらゆっくりと瀬野通りを歩き始めた。満月が私たちを明るく照らしていた。
「寒い…」
紗英が凍えたように言った。瀬野通りの交通量はまだ多く、学校帰りや会社帰りの人々が行き通っていた。私たちは、肩を寄せ合いながら腕を組み、体をお互いしっかりと密着させ一緒に歩いた。紗英は少し前かがみ気味になっていた。夜の冷たい風で木の葉が揺れ、2人は緩やかなカーブに差し掛かった。すると、木の葉でしばらく隠れていた満月が再び見えてきた。とても綺麗ではっきりと遠くに見えた。私たちはまるで月に向かうように歩いていた。
「待って」
紗英はそう言うと突然立ち止まって、じっと私の顔を見つめてきた。少し泣きそうな顔をしていた。不意にも私は力が抜けてしまった。その瞬間、あろうことか、紗英は急に私の腕から身を離して走りだしたのだ。
「おい! 紗英、待て! 走るな!」
私は全速力で必死に紗英を追いかけた。紗英は左足を少し引きつるようにして走り続けた。
「修くん、私を捕まえて!」
私は、真剣に強ばった表情をしていたのだろう。紗英と出会った2年前と同じだった。そして、100M進んだ先の多田川の陸橋の上でようやく紗英を捕まえ強く抱きしめた。
「お前、バカ野郎! また倒れたらどうすんだよ!」
私は紗英を後ろから強く抱きしめたまま怒るようにして言った。すると、紗英は震えだした。やがて、彼女の泣く声が聞こえてきた。
「修くん、私、病気で死ぬのが怖いよ…」
紗英が大声で泣きだした。震える彼女を後ろから抱きしめたまま彼女の頭を優しくさすった。私もただ、涙だけがこぼれていた。
「怖がらなくていいぞ! 俺が守ってやるからな! 絶対に! 紗英、大丈夫だぞ!」
ただひたすら、紗英を励ましていた。泣いている小さな子供をあやすようにしながら。
「修くんと出会った時、修くんは私を助けてくれた。私の生きる道を与えてくれた。だから、あの時みたいに救ってほしかった。もし、修くんがここで私を捕まえてくれたら、私の病気もきっと治るって思ったから走った。だから… ごめんなさい…」
私達は溢れんばかりの涙をこぼしていた。私は、紗英を抱きしめたまま私の方に身を振り向かせ彼女にキスをした。夜空に輝く満月の下、多田川の橋の上で私と紗英は熱い口づけを交わした。人生で忘れることができない口づけだった。紗英が私の目を見て言ってきた。
「ねぇ、最後に一緒に走って。あのイオンの交差点のところまで。手を繋いで。お願い」
私はどう答えてよいか分からなかった。しかし、紗英の気持ちを素直に受け止めようと思った。
「あぁ、分かった。そのかわり、ちょっとだけだぞ! ゆっくりしか走らないからな!」
私は目をこすり涙声で言い放った。
「約束する」
紗英は泣きながら頷いた。私は左手で紗英の右手をしっかりと繋いだ。そして、2人はゆっくりと手を繋ぎながら走りだした。紗英は引きつるような左足を我慢していた。いつ倒れても支えることが出来るように彼女の背中のあたりを繋いだ手で押さえるようにして走った。夜の空は澄み切っていて、満月の明かりが今までの人生で観てきた中で1番明るく感じた。顔に当たる風が冷たかった。私と紗英は輝く満月に向かって手を繋ぎながら走った。そして、多田川の橋を越えイオンの交差点のところまで着いた。紗英はそのまま下にしゃがみこんだ。
「修くん、ありがとう」
「紗英、大丈夫か!? 歩けるか!?」
「大丈夫。心配しないで。私、大丈夫だから」
「無理するなよ。頼むから」
「平気。ねぇ、歩いて帰ろう。タクシーなんか呼ばないでよ」
紗英はなんとか立ち上がったもののよろけていた。そして、何度も地面に倒れ込むような状態だった。
「ダメだ! 無理だよ! タクシー呼ぶから、ここで一緒に待とう!」
「嫌だ! 歩くの! 歩いて一緒に帰る!」
私は体が震えていた。紗英がいつ倒れてもおかしくない恐怖心でいっぱいだった。彼女はもはや私に対する返答などではなく独り言のようにただ言葉を発していた。それでも、紗英はどうしても自らの力で私と一緒に歩いて帰りたかったのだ。
「大丈夫。歩ける。歩いて修くんと帰るの。ねぇ、音楽聞いて帰ろう。そのほうが元気でるから」
「あぁ、分かった。分かったから。辛かったら必ず言えよ!」
私は紗英のipodをズボンから取り出した。イヤホンを片方ずつ私と紗英のそれぞれの耳に付け腕を組みながら歩いて帰った。紗英は流れてくる音楽の鼻歌を歌いながら必死で歩いていた。目が虚ろであり、途中、紗英は何度も立ち止まり地面に座りこんだ。私はその度に、彼女を抱え込み立たせた。何度も諦めかけたが、紗英の意思を尊重し私達はそのまま瀬野病院まで必死で歩き続けた。イオンの交差点の所から約1時間半かけて、ようやく病室まで着き、私は紗英をすぐにベッドに寝かせた。
「紗英、着いたよ。おつかれだったな。具合悪くなったらすぐに言えよ! ずっと傍にいるから!」
紗英の息は少し荒かった。
「ありがとう。私は大丈夫だよ」
私はずっと彼女の傍にいた。とても心配だった。そのまま落ち着いたのか、紗英はすぐにベッドの上で眠ってしまった。時折、少し苦しそうに体を動かす姿が不安であり何度も彼女に声をかけていた。深夜2時を過ぎて紗英が目を覚まし私に囁いてきた。
「まだ起きてたの?」
「心配で寝れるわけないだろ」
「寝ていいんだよ。私はずっとここにいるから」
紗英が震えたような右手で私の右の頬を優しく触った。手がとても冷たかった。私は涙がこぼれてしまった。
「修くん、泣かないで」
「泣いてなんかいない」
「修くんが泣くと私も悲しくなるよ」
「大丈夫。一緒に寝ような。俺も寝るから」
「うん。ありがとう」
紗英は、ただ、大丈夫だから安心して私に寝てくれと言うだけだった。彼女は安心して再び眠ってしまった。そのまま深夜を過ぎ、日が昇る前の早朝まで私は眠ることができなかった。
