9月も下旬となり、私はだんだんと前年のタイムと同じレベルで走れるようになってきた。自分のタイムが良くなる一方で、紗英の症状は日に日に悪くなっていった。紗英は声を出すのに数秒間もたつき、日によっては、体の一部を自由に動かせない時があった。彼女の体は神経が徐々に機能しなくなってきており、自分1人の力で外に出ることがだんだんと厳しくなっていった。
 9月23日、私は大橋整形外科に行った。この日が大橋先生に右足の怪我の様子を診てもらった最後の日となった。いつも通り右足の脛のレントゲンを撮り、診察室に入って先生から症状についての説明を受けた。
「足の具合はどうですか?」
「もう走っても痛くはないです」
「それは本当によかったです。骨には、まだかすかに線が入っています。とは言っても、もう気にすることはないでしょう」
先生は落ち着いた様子でカルテに症状等を記入しながら私に言ってきた。しばらくすると、先生が一瞬喉を鳴らして私に話しかけてきた。
「私は整形外科医であって精神科でも何でもないですが、佐藤さんにアドバイスがあります」
「えっ? 何でしょうか?」
私は突然の先生からの言葉に少し驚いた。
「それはね、大切なものを失っても、行く先々、気持ちがブレない心を持つことです。大切なもの、大切な人、なんでもそうです」
「ブレない心ですか?」
「そう。ブレたら駄目です。なぜなら、私は貴方によく似た患者さんを知っています」
「それって誰ですか?」
大橋先生は一瞬間を置いて答えた。
「清少紗英さんのお父様ですよ」
「紗英のお父さん!? 先生、紗英の父親も大橋先生に診察を受けていたんですか!?」
「そうです。彼は怪我をして以来、リハビリで私のところへよく通院されました。彼からもいろいろな話を聞きましたよ。娘の紗英さんのことも。そして、佐藤さんのこともよく話してくれました。二人のことを話している時はいつも嬉しそうな表情をしていました」
私は驚くとともに不思議な気分になった。
「そうだったんですね! なんか先生にはなんでも知られているようで恥ずかしい気分です」
「清少さんのお父さんもね、最初リハビリに来た時は気持ちが落ち着いてなかった。当たり前ですね。彼は大事な右足を失ったのですから。彼は義足を付けてから歩行練習で私の病院にリハビリに通院していました」
先生は眼鏡越しから優しそうな目で私の顔を見ていた。私の心を感じ取っているようだった。
「彼はリハビリを続け、それまで失っていた希望を少しずつ取り戻していったようです。貴方も同じ。怪我で走れないことに焦っていた貴方は清少さんのお父さんとそっくりでした。今、貴方はまさに復活しようとしています。これまでの半年間のことをよく胸に刻んで、これからの人生歩んでいってください」
私は、大橋整形外科から自宅へと帰っていた。運命とは一体何なのか、いろいろと自分なりに考えていた。それにしても、まさか紗英の父親が大橋先生の病院で足のリハビリを行っており、紗英だけでなく私のことも話題にしていたと考えると本当に不思議な気持ちでいっぱいになった。私は、紗英の父親には1年半程会っていなかった。紗英のお見舞いに行き、稀に、彼女に父親は元気にしているのかを尋ねていたが、あまり明確な返事をもらえることがなかった。