9月17日、大村競技場でトラックレース大会が行われた。数日間、雨が降り続きこの日も小雨が降っていた。私は5000Mのトラックレースへの参加だった。レースが終わり、携帯を見ると1通のメールが届いていた。紗英からのメールだった。「お疲れ様。今日、修くんの試合を観に来ました。駐車場の噴水の前で待ってます」私はメールを見て驚いた。急いで、控え室でジャージ姿に着替えダッシュで大村競技場の駐車場へ向かって走った。小雨だった雨はほとんど止んでいた。走って大村競技場の駐車場に着くと、そこには車椅子に座った紗英がいた。
「紗英!?」
「修くん!」
紗英は私の顔を見て笑顔になった。私は車椅子に座っていた彼女を抱きしめた。
「わざわざ観に来てくれたの!?」
私は少し興奮気味で彼女に言った。
「うん! どうしてもね、修くんの走る姿を観たかったの。私、感動しちゃった! 修くん、もう完璧に昔の修くんに戻ったね!」
紗英はとても嬉しそうな表情だった。
「お前、ここまでどうやって来たんだ? 具合は大丈夫か?」
「お母さんと車で来たの。ねぇ、修くん、今から一緒に病院まで来てくれる?」
私は紗英と一緒に紗英の母親が運転する車へと乗り込み、私達は瀬野病院へ向かった。車はインターに入って高速道路を走った。車の後ろの席に座って外の景色を眺めていると、さっきまで止んでいた雨が今度は強く降り出してきた。
「紗英がね、どうしても試合を観に行きたいって。だから、先生に無理言ってここまで来たのよ」
紗英の母親が私に優しく話しかけてくれた。車の中では時折、その日の試合の話や、学校での話などをしていた。約50分かけて、私達は瀬野病院まで着いた。病院に着くと雨は本降りになっていた。
「佐藤君、紗英のこと少しお願いね」
紗英の母親がそう言って病室を出た。私は紗英と2人きりになった。
「修くん、今日の走り本当にかっこよかったよ。修くんの走りを生で見れて本当によかった」
「ありがとう」
私は彼女に微笑んで言った。
「あと、何回観れるか分からないから…」
紗英が小さな声で呟いた。
「どうした? 何かあったの?」
「あのね、MRIの結果があまり良くなかったの。前より腫瘍が大きくなってた」
「そうなのか?」
私は不安げな表情で紗英の顔を見つめた。
「明日から、治療も少しずつ増えていくって。私、ちょっと怖い…」
紗英は少し怯えたような声をしていた。
「諦めたらダメだぞ! 良い時も悪い時もある。陸上と同じだ。だからまたこれからも治療頑張ろうな! 俺、ちゃんといつでも傍にいるから!」
私は励ますように紗英の両手を強く握った。彼女は軽く頷いただけだった。
「修くん、今夜雨だね。九月の満月楽しみにしてたのに。一緒に見れなくて残念」
「しょうがないよ。元気だして」
紗英が一瞬間を置いた。
「ねぇ、修くん、私、きっともうすぐ死ぬんだね」
私は紗英の言い放った言葉を聞いて愕然とした。そして、急に怒りが込み上げてきた。
「お前、何バカなこと言ってんだよ!」
私は思わず叫んでしまった。
「死ぬなんて言うな! お前、レース中にそんな弱気見せたことないだろ!?」
「修くんに何ができるっていうの? じゃあ、医者にでもなって私の病気を治してくれるの?」
紗英は感情的になって今にも泣きだしそうだった。私はそんな彼女の姿を見てなんと反論してよいか分からなかった。
「紗英、ごめん。本当に申し訳ない」
何度も紗英に謝った。彼女は何度も鼻をすすっていた。
「ごめんなさい。修くんは何も悪くないの。でも、私は幸せだよ。だってこんなに修くんと一緒にいれるんだから」
私は、ずっと下を向き病室の床を眺めていた。病室内は何分間も沈黙が続いた。部屋の時計の針の音が僅かに聞こえるだけだった。
「紗英、すまん。ちょっとトイレ行ってくる」
私は紗英にそう言って荷物を持って病室を出た。そのまま、廊下を渡り病院のトイレを通り過ぎて階段を下り、病院の出入口の外に出た。私は、出入口の天井の下に座り込み1人泣いていた。私にとって、紗英の余命がたとえどれくらいであろうと、彼女がこの世からいなくなることなど受け入れることができなかった。「ごめん。今日、お母さんの具合が悪いみたいだから先に帰るよ。また明日の夕方来るからね」私は彼女にメールを打ってそのまま瀬野病院から歩いて帰った。傘を持っておらず体中が雨に濡れた。母の具合が悪いなどというのは勿論嘘だった。何もかもが嫌になって1人でいたかった。私は自宅へと着き、台所のテーブルには母が遅番のために夕飯で作り置きしてくれた鯵のフライが置かれていたが食欲など全く無く、部屋で濡れた体をタオルで拭き着替えだけしてそのまま一人寝てしまった。